第14話

 俺たちが最初に『国民』とした、盲目の弟とその姉とは、もうずいぶんと大きくなっていた。


 とはいえ元の世界の基準からすれば、まだまだ子供だ。少なくともこの世界に転移してきた当時の俺よりずっと若い。


 けれど彼女らはすでにひととおりのことができたし、度重なる狩りのおかげで強くもあった。


 この二人をふくめた合計四組八名の子供たちに王都周辺東西南北それぞれの土地を与え、そこを新たなる領地とする勅命が下った。


 子供たちは例の『王城近くに住めるほど偉い』というようなルールの遊びをしていたものだから、この指令は左遷ととられるかなと不安だったのだけれど、そんなことはなく、うやうやしく拝命してくれた。


 ……それはなんていうか、奇妙に大仰な様子で、「かしこまりました、女王陛下」だなんて地面に膝をついて頭を垂れてみせる様子には奇妙な気恥ずかしさが感じられた。


 その理由は、俺自身がああいう感じ・・・・・・のことをしているから、なのだった。


 子供たちが女王陛下に対して行う『礼節ある動作』は、すべて俺のものまねなのだ。


 どうにも子供たちはそれを格好いいと思っている様子はあるのだけれど、まざまざと自分の行いを鏡写しのように見せられるこちらとしては、やめて! と叫びたくなるような気持ちなのだった。


 ……ともかく八人の子供たちは二人ひと組で、王都の東西南北それぞれの土地を拓く命令を受けた。


 最初の陣地構築までは俺も手伝ったが、あとはもう、代表する二名と、それに付き従う十名ほどに任せておけば、俺の方には大した仕事もない。


 基本的に自給自足生活のこの世界では、大工仕事も針仕事も、調理もその下拵え……ようするに生のモンスター肉をさばくのだって、みんなできる。


 もちろん得意不得意はあるのだけれど、それでもひととおりはできなければならないのだった。


 だから任せていれば勝手になんでもやってくれる。……まあ、いちから家を作る経験はない者が多かったけれど、それは元妻の集落から同行した大人たちが知識と手を貸してくれた。


 子供たちが独り立ちしていく。


 それは嬉しいような寂しいような、不安なような、そういうなんとも言い難い気持ちだった。


 そして、再び時間ができた俺たちのあいだに、例の、奇妙に粘度が高い空気が戻ってくる。


 女王陛下は最近ますます美しくなっていた。


 率先して陣頭で狩りを行い、拾った子供たちに対して優しく、時に厳しく接する姿からは、まだまだ俺が転移したころぐらいの歳だというのに、母性というものを感じさせた。


 だというのに、たまにあどけなく、幼いところも見せる。

 すると俺は子供の当時から彼女を知る身として、なんとも愛おしく、かわいらしく思い、彼女の要求をなんでも聞いてしまいたいような気持ちになるのだった。


 彼女が子供のころに着ていたドレスは、今、王城のクローゼットの中に大事にしまいこまれている。


 それはモンスター素材ではない、彼女の母の、そのまた母から受け継いだ、まだこの世界に文明があったころに編み上げられたものだった。


 もはや世界に一着きりのそれは、綺麗に洗われ、着なくなってからも定期的に整備され、大事に大事に残されている。


 いつか、我が子に着せるため、なのだった。


 それは王冠の遺失した現代における王冠だ。王家という血筋に生まれた者が子に戴くためのものこそ、そのドレスなのだった。


 現在の王家……彼女の使命は『知識の失伝を防ぐこと』であり、それはなにも、血のつながりがなくとも伝えていけるものではある。


 けれど、人間的な感情として、その使命を継がせたいのはやはり、血のつながった子で……


 血を絶やさないことこそ、父母への手向けになるだろうと、彼女は考えているらしかった。


 ……そんな話を最近多くされる。


 その意図するところは、わかっているつもりだ。


 彼女は『王家の血を遺す』という使命も負っていてそのための教育もされているらしい。

『だから、なにもわからないわけではありません』という慎ましやかで、そしてあまりにも不器用な、彼女の言葉の裏にあるメッセージを、俺だって感じとることはできている。


 ……もう、色々なものが、臨界点に達しつつあった。


 これ以上俺は彼女からのメッセージに気付かないフリはできない。


 このごろになって俺の頭の中から、元の世界のことが無視できないほどに薄れつつある。


 それはごくごく自然な経年による記憶の劣化のように思われた。

 かつて色合いやにおいまで鮮明に思い出せた元の世界での日々は、だんだんと大まかな出来事の羅列になり、その輪郭をぼんやりさせている。


 元の世界で約束を交わした彼女のことは覚えている。

 でも、覚えているのは、大晦日のあの日、除夜の鐘に混じって聞こえた、彼女の「うん」という声だけなのだ。


 もちろん顔も名前も覚えているけれど、それはだんだんと歴史上の人物のようになってきていて、俺の中で無味乾燥なデータと化しつつあって、『覚えている』と表現するには、あまりにも臨場感に欠けた記憶だった。


 ……だというのにこのごろよく頭によぎるのは、彼女が部活の先輩と仲良くしていたという情報なのだ。


 浮気、のような。

 でも、浮気じゃないとしたら、距離感が近すぎた、ような。


 大事なことは抜け落ちていくのに、俺の頭は勝手に彼女が浮気をして、俺を裏切っていたことを裏付ける情報ばかりを思い出す。


 そんなことないと信じたいのだけれど、心の一番底では『でも、信じてなんになるんだ?』という言葉が重苦しくうずまいていた。


 ━━でも、その彼女がまだお前を待っているとは限らないだろう?


 ━━もう、長い時間が経ってるじゃないか。


 ━━お前は努力したんだから、


 ━━この世界で幸せになって、なにが悪い?


 頭によぎるのは、元妻の言葉なのだった。


 あの時にはすんでのところで振り切ることができた誘惑は、時を経るごとにだんだんと重く苦しく俺をからみとる鎖へと変じていった。


 迷いたくない。一度『こう』と決めたら、そのまま、貫徹する強い意思がほしい。


 だというのに元の世界に戻るための努力のことごとくが空振りに終わり、この世界に大事な愛しい人が増え……


 どうしようもなく、我が身に時間が流れていくごとに……


 俺は迷い、苦しみ、歯を食いしばって頭を抱えてうめくしかできなくなっていく。


 この世界は、もう、とっくに、俺にとっての『現実』だから。


 幻想と添い遂げたいと……『元の世界に戻る』という夢を叶えるために生きていきたいと。そう願って生きるタイムリミットが、間違いなく近付いているのがわかる。


 かつて、『俺はあなたを愛せない』と、元妻に別れを告げた。


 それは元の世界にいた恋人が色濃く俺の隣にいたからだ。


 けれどその色は薄れ、あの日にした約束はもう、俺を強く奮い立たせる力を失いつつある。


 情けなく醜い自分の性根に嫌気が差す。


 そうだ、俺は、元妻……それも、たった一日、村長の策謀によって妻だった彼女が、赤ん坊を抱いている姿に、たしかに衝撃を受けたんだ!


 幸せになってほしいと願っていた彼女を振り切って村を出ておきながら、彼女の赤ん坊の父親に、ほんの一瞬だけではあっても、嫉妬をした。

 なんて醜く、節操のない独占欲!


「……どうして俺は、もっと、立派な人間になれないんだ」


 嫉妬なく、後悔なく、迷いのない、人になりたい。


 けれど、なれない。どうしたって俺にはあまりにも難しい、理想の人間像……

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