第10話
俺たちの奇妙な共同生活は『救世主召喚儀式の詳細がわかるまで』『図書館のめぼしい書物に目を通すまで』とだんだん終わりが延びていき、このごろにはもう『彼女が一人でも生きられる能力を身に付けるまで』に変わってしまっていた。
幼かった彼女はもともと物覚えがよかったのか、さまざまなことをすぐさま吸収した。
けれど俺が村で学んだ『この世界で生きていくには』という情報は、俺自身が体得していないこともあって、色々と試行錯誤をしながら、新たにコツを考え出したりと、時間をかけて実地で学ばねばならないものだったのだ。
俺は、普通ではない。
不死身の、救世主。
救世主などと定義されるのはなんだか気恥ずかしくて、いかにも大仰さがぬぐえないのだけれど、自分の不死性は確かに『破滅』などという意味のわからないものから人類を救うために必要なのだと言われれば、そんな気もしてくる。
もっとも、救うべき国家はすでに消え去り、今はモンスターどもそこまで活発には行動をしていないのだけれど……
俺と小さな女王陛下との生活は当初の予想をはるかに超えた年数続いた。
拠点は崩れた城のままだった。
ここは周辺にほとんどモンスターがいないぶん安全ではあるのだけれど、モンスターが『素材』であり『食糧』である都合上、どうしたって狩りに出なければならず……
安全さとトレードオフになっている『モンスター生息地域までの距離の遠さ』がなかなかどうして、地味な苦労として毎日俺たちをさいなんだ。
けれど拠点を他に移すことは女王陛下が承知なさらなかった。
この場所には先祖代々の『知識』が眠っていて、女王陛下はその知識を守り、伝承するお立場だ。
これを放棄することはお役目にもとるし、膨大な量の書物を置いていくわけにもいかない。
……日々が忙しくなければ、荒れ果てた図書館も整備したかったという。
けれど、世界が滅んでからというもの、そのような余裕はなかった。
『今日生きる』ことに精一杯な人に、住環境を整えたり、将来を見据えたりする余裕はない。
……本当は忙しい時ほど住環境を整えたり未来を見据えた計画を立てなければならないのだけれど、この世界の人類もまた、そんな冷静な精神構造はしていないようなのだった。
……まあ、お役目はあくまでも大義名分というか、建前で。
ここは、彼女が生まれてからこれまで過ごし続けた場所で━━
とうに亡くなっているご両親と過ごした場所、なのだ。
離れ難く、また、ここ以外の場所に不安や恐ろしさを感じるのもまた、仕方ないことだろう。
俺たちは城を拠点に生活を続けた。
女王陛下を鍛えるかたわら、城の中を少しずつ整備していった。
大工仕事も当然必要で、石造りの城の補修経験などは当然なかった俺たちは試行錯誤しながら、魔物の素材をどうにかこうにかやりくりしながら、ちょっとずつ、ちょっとずつ、城を住める環境にしていった。
女王陛下はだんだんと大きくなっていった。
……俺たちのあいだに月日が流れていく。
異世界転移の方法はもちろん色々考えた。
けれど、女王陛下がご存じの方法はあくまでも『救世主召喚』のためのものでしかなく、『救世主送還』のための方法はご存知ないらしかった。
城の図書館を調べ、『そういえば禁書庫にまつわる怪談があって……』とのことで、その話を参考に『隠された禁書庫』を探したりもしたが、成果はかんばしくなかった。
……ああ、老いていく。
女王陛下が大人になり、美しくなっていく姿を見るのは、もうこの時の俺にとって喜びですらあった。
俺たちの年齢はさすがに親子ほどには離れていなかったのだけれど、歳の離れた妹のように感じていて、彼女が肉体だけでなく、能力的にも成長していく姿は、俺を本当に喜ばせたんだ。
……俺はまだ、二十代そこそこのはずだった。
わからない。自分の正確な年齢を思い出そうとするとき、そこにはあの『村』で過ごした日々のぶんがまるごと『誤差』として立ちはだかる。
城で暮らすようになってからは日付を数えている。
けれどそれは、数字を重ねるほど俺に焦燥と絶望を大きくもたらす以上の効果を発揮しなかった。
帰りたい気持ちは、当然、まだ、ある。
そのために女王陛下にも協力していただいて、色々と試している。
━━……二人で並んで、見よう。初日の出。
━━うん!
覚えている。まだ、覚えている! 俺はあの日の会話を忘れない。あの日の声を忘れていない!
……でも。
最近は、あの日の声以外のことが、だんだん、思い出しにくくなっている。
それまでにもあったはずの日々。半年間の恋人生活。それより以前、ただの幼なじみだったころ━━
思い出が積み重なった末にあの大晦日の約束があったはずなんだ。
でも、その記憶はかすれていって、今ではもう、歯を食いしばって思い出そうとしないと、おぼろげになって消えてしまいそうなほど頼りないものになっていた。
忘れてしまうことが恐ろしい。
俺は、元の世界に、帰る。
でも━━
「救世主さま」
大きく美しくなった女王陛下が俺を呼ぶ声に、びくりとさせられることが増えた。
恐ろしかった。
彼女が最近俺を呼ぶ時に発する声は、そのきらめく青い瞳の揺れ方は、長い金髪を片手ですきながら視線を逸らす様子は……
強烈に、あの村で妻となった女性を思い出させた。
容姿はまったく似ていないというのに、強烈に、あの日の迷いが、あの時に選べたはずだった別な道が……
この世界を『現実』だと定めてしまうこともできたあの日の分岐点を思い起こさせるのだった。
……俺は彼女を避けるようになった。
もちろん俺たちは師匠と弟子でもあるから、まったく会話をしないというわけにもいかない。
俺が自分を『家臣』と定めて譲らないのも、彼女と一線を引きたいからなのだった。
その線を飛び越えてしまうほどの情熱が互いの胸に宿らないことを祈りながら、彼女から離れられない。
……ある日のことだ。
いつものように狩りを目的として王都外へと出ていく。
俺たちのあいだにはぎくしゃくした気まずい空気が漂い、会話はぎこちなく、彼女が俺を見て、それから悲しげに目を伏せることも増えていった。
それがなんとも申し訳なくて、いっそ離れてしまえればいいのだけれど、俺の目的を思えばますます彼女のいる王城を離れる理由を捻出できず、ただずるずると日々を過ごしている。
そんな、日のことだ。
王都外部で、幼い子供を見つけた。
━━そうして、俺は思い出すことになった。
この世界は、なにが原因でこうなり、人々は今もなお、なにを恐れているのか。
……恐れている
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