第9話

 世界が危機に陥ったころ、この世界では救世主を呼ぶ試みがなされた。


 それは世界の危機をなんとかしてくれる存在のはずだった。


 けれど長く平和な時間を過ごしてきたこの世界において、救世主伝説は神殿の坊主が唱えるだけのおためごかし・・・・・・になっており……


 もちろん、本気で信じる者もいたけれど、それは少数派の、熱心なおかしな人々だけだったのだ。


 けれど、聖典に記された『破滅』が始まった。


 まずは隣国が一夜にして滅ぼされたという情報が入り、さらにまた別の国が、別の国が、と報告が重なった。


 これが聖典に記された『破滅』であると決めるまで元老院は十日も水掛論を繰り返し、そのうちのこの国の都市までも大攻勢スタンピード……いわゆる『破滅』に襲われた。


 ようやく一連の事態が『破滅』認定されたころにはもはや国家が半壊しており、さらに聖典にあった儀式を執り行おうと決定するまで、そこから十日もの日が経った。


 すでに王都の他には小集落が点在するだけになったころ、ようやく儀式は執り行われた。


 その時に呼び出された救世主によって世界は救われるはず、だった。


 ……けれど、儀式を手順通りにしても、救世主は現れなかった。


 そうして、この国は滅びた。


 世界全土はどうかわからない。

 対策をできた国もあるかもしれないが、今日のこの日になっても、他の国の者が来ることはない。


 だからきっと、世界は滅びたのだろう━━


「……それが、我が家に代々伝わる伝承です。お母様の、お母様……の、お母様の、代から、ですけれど」


 王国、王家の長い歴史はそこで一度寸断したが、聖典の教えを未来に伝える者は絶対必要だと、当時生き残った王家とそれに心から仕えた近習たちは思い知った。


 そこで王家を『伝承語り』の一族として、この朽ちた城を守り、そこで伝承を伝え続ける役割を負った━━


 とのことだ。


「もう、この伝統を守るのは私一人ですけれどね……」


 父母が生きていたころは、誠心誠意仕える者たちもいた。


 けれどまずは父母の父母の代から仕えていた近習たちが、寿命というどうしようもない法則により亡くなっていく。

 すると『伝承の守り手』としての生き方しか知らない父母もまた、亡くなってしまった。


 残された若い……比較的若かった従者たちは日を追うごとに一人、また一人と行方不明・・・・になっていき……


 最後にはこの子だけが残された。


「……彼らは、このつらい世界で、私に仕える暮らしに嫌気がさしたのでしょう。仕えたところで報いることなどできないのですから」


 思ったよりも冷静な様子で、おどろく。


 見捨てられたのだと理解し、それを嘆くばかりではなく、冷静に解釈し、『仕方ない』と受け入れてみせる。


 剣を持って襲い掛かってきた姿とうまく重ならない、が……


「知識を守るのが、私の役割ですから。知識は命よりも重いのです」


 だから命より重い価値を持つ書物を守るため、もはや唯一の財産である命を差し出す覚悟で立ち向かってきた、と。


 それは蛮勇に決まっていた。

 でも、輝かしい蛮勇とでも言うべきものだった。


 こんなふうになってしまった世界でも、命ではなく使命のために生きる人がいる。

 その素晴らしさに胸を打たれたし、自分のことばかり考えて村を飛び出したこの身にはあまりにもまばゆく感じた。


 それはそれとして、悲しくもあった。


 誰もいない朽ちた城。

 残された、たった一人の幼い少女。


 生まれた時から負わされていた『知識を守る』という使命は、その高潔さゆえにもはや彼女以外に身命を賭す者もなく、それでも少女は使命を果たそうと、今日も一人で朽ちた玉座に小さな体を置く。


 寒々しい城で一人一人仲間が減っていき、ついに一人になってしまった彼女は、いったいどんな気持ちだったのだろう?


 ……そして。


 知識を守ること以外を知っている様子がない彼女は、これから、どうやって生きていくのだろう。


「もし、よければなんだけれど、しばらく俺をここに留まらせてはもらええないかな?」


 口をついて出た言葉を追いかけるように、あとから理由が思い浮かぶ。


 ここは間違いなく知識の巣窟であり、ここに留まることは、俺の目的と合致する。


 だいたいにして彼女は『異世界から救世主を呼ぶ方法』を知る唯一の生き残りだ。

 その話を聞くために対価が必要であれば、彼女の衣食住を世話し、生きていく手段を教えるのは対価足り得るのではないだろうか。


 だいたいにして……


 こんな幼い女の子を見捨てて行くなんていうのは、できない。


 それは俺にとっての『現実』において幼いころからどうしようもなく刷り込まれ続ける、『子供とお年寄りには親切にしよう』という、冷笑的に受け止められることさえあるお題目のせいだった。


 村と違って、彼女はたった一人きりで、俺がいなくなれば、生きていく力もない。


 狩りに挑んだところでこの貧弱さではモンスターに勝てるはずもない。見捨てることは確実に死につながる。


 あの村と、違って。


 …………嫌になる。俺は俺のエモーションにそれらしい理屈をつけて、あの村の人たちを見捨てた罪を少しでも減らそうとしていた。

 たしかにあの村は俺がいなくてもやっていける。でも、それは俺が心の中で何度も唱えていい言い訳たりえないだろう。見捨てたことは、事実なのだから。


 ともすれば俺は、もう戻れない場所に対する償いを、目の前の女の子に代わりにしようとしているのかもしれない。


 でも、やっぱり、見捨てられないという気持ちはどうしたってどこにも追いやれず心の真ん中にある。


 それが『異世界』につながる情報の持ち主という理由まで得てしまっては、気持ちを動かすことはできそうにもなかった。


 彼女は、ちょっとだけ思案するように俺を見た。


 ぱっちりとした青い瞳。

 『そうあれかし』とお姫様のように、無力なまま育てられた体を包む薄青色のドレス。


 小さな体は玉座の上で、布に埋もれるようにある。


 肘掛けにしがみつくようにしながら彼女は、告げた。


「わかりました。城への逗留を許します。その代わり、屋根を貸す分の働きを期待しますよ」


 王として育てられた少女は、滅びた城でも、王のようだった。


 自然と胸に手を当て、腰を折って礼をしてしまうほどに━━天井の穴から差し込む月光に照らされた姿には、威厳があったのだ。


 でも、少女は月光がかげるとほぼ同時、ただの少女に戻り……


「でも、本当になにもないですけど、いいんですか?」


 不安そうな声が奇妙にかわいらしいのは、さきほどまでの威厳とのギャップのせいだろう。


 だから俺は安心させたいあまり、こんな言葉を発していた。


「あなたの知識は、俺にとってそれだけの価値があるものです」


 自然と敬語になっていた。

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