追放された王太子のひとりごと

◆前置き


 救国の英雄ジャンヌ・ダルクがあらわれる数年前。

 百年戦争は休戦中だったが、フランス王シャルル六世の発狂で王国は内乱状態となり、イングランド王ヘンリー五世は再び野心を抱く。

 兄王子たちの連続死で、末っ子で第五王子のシャルル(のちのシャルル七世)は14歳で王太子となり王都パリへ連れ戻された。父王に統治能力がないため、王太子は摂政(国王代理)である。細い肩に重責を背負わされ、宮廷で孤軍奮闘していたが、母妃と愛人に命を狙われてついにパリを脱出した。


 運命に翻弄される王太子は、逃亡先で星空に問いかける。







◆追放された王太子のひとりごと


 ——敬愛する父上。

 あなたが歩んできた道のりには死の匂いが漂う。

 現実から目をそらしたまま、あなたは何を見ているのですか。


 ——親愛なる母上。

 あなたが毒を吐くと、色狂いした情夫が殺戮を繰り広げる。

 相手が誰かも分からないまま、どうして私を産み落としたのですか。


 人は「第五王子が王太子になるのは幸運だ」というが、私はいつも憂鬱だった。

 兄弟と死別し、両親と生き別れ、私はまた一人になった。

 この先、私は何を信じ、何をすべきなのだろう。



 フランス王国・王都パリの宮殿。

 イングランド王ヘンリー五世を出迎えたのは、花嫁カトリーヌ王女と義母となるフランス王妃イザボー・ド・バヴィエールだった。


「なんと美しい姫君だ!」


 ヘンリーは熱っぽくため息をついてカトリーヌ王女を抱擁し、畳みかけるように求婚した。


「姫の美しさはこの王国そのものだ。私は姫のすべてが欲しい。そのためにここへ来た。私は姫を愛するがゆえにフランス全土を我が物としなければ気が済まない!」


 現フランス国王シャルル六世は、「狂人王ル・フー」と呼ばれている。

 ずいぶん前から精神を病み、統治能力を失っていた。

 摂政(国王代理)を務める王太子ドーファンシャルルは、王妃の愛人ブルゴーニュ公に命を狙われ、二年前にパリから逃亡。

 その一年後、王太子の側近が報復としてブルゴーニュ公を殺害すると、王妃は復讐と権力掌握のため、王太子を愛人の子——つまり王の子ではなく私生児として王家から廃嫡し、敵国イングランドにカトリーヌ王女と王冠を差し出した。


 ヘンリーとカトリーヌは大聖堂で厳粛な婚姻の儀を済ませると、城下で豪華な結婚パレードを繰り広げたが、民衆の反応は冷ややかだった。

 人々は、王太子が生きているのに王冠をイングランドに売った王妃イザボーを「売国奴」または「淫乱王妃」と呼んでいた。


 ヘンリーも、娘を差し出して媚びを売ってくる義母イザボーを見下していた。

 息子シャルルを陥れるために「夫の子ではない」とほのめかした。

 それはつまり、王妃自身が不義密通を認めたことを意味する。


(……売女め)


 王侯貴族は政略結婚が強制されるため、婚姻後の恋愛には比較的寛容だが、それでも夫以外の子を孕むことは禁忌である。

 シャルルを憎むあまり、息子もろとも王妃自身の尊厳を傷つけているとイザボーは自覚しているのだろうか。

 ヘンリーとしても、不実な相手と取引することは賭けだった。


(だが、フランス王位継承は百年来の宿願だ……)


 火種を抱え込むことは承知の上だ。

 それに、フランス王家の威信が失墜するほど「王位の正統性」は曖昧になっていく。

 イザボーの悪徳と浅知恵は、ヘンリーには都合が良かった。


 一方で、民衆の冷たい視線は、馬上のヘンリーにも注がれていた。


(くだらぬ。初代クロヴィス王に連なる男系血統がそれほど大事か)


 フランス王国の前身、フランク王国の初代国王クロヴィス。

 フランス王位はクロヴィスの男系血統が受け継ぐと古来より定められている。

 イングランド王ヘンリーは女系血統の末裔だった。


(シャルルめ、奴さえ生まれてこなければ!)


 王の息子たちは、末弟シャルルをのぞいてみな不審死を遂げた。

 現・王太子シャルルは最後の直系男子であり、唯一生き残っている王位継承者だった。まだ17歳で妻子はいない。


(シャルル本人に恨みはないが、王位継承を確実にするために死んでもらわなければな)


 結婚パレードは余興に過ぎない。

 ヘンリーの本命は、王太子廃嫡を記したトロワ条約調印である。


(シャルルの生死に関係なく、これでフランス王位は私のものとなる。くっくっく、女系血統と蔑むなら蔑むがいい。フランス王になるのはこの私だ!)


 たとえ国王の精神が狂っていても、条約は国同士の取り決めである。

 覆すことは容易ではない。


 人々は戦火に翻弄されながら噂をささやく。

 このままでは王位簒奪が成就し、フランスは再び焦土と化す。

 イングランド王ヘンリーが剣を取るならば、フランス王太子シャルルは何を取るのだろうかと。



 フランス最大の大河ロワール川は南北を隔てる要衝で、川のほとりに多くの城塞がある。

 そのうちのひとつ、シノン城に王太子は居を定めた。


 時は流れ、今日もまた赤い夕陽が落ち、漆黒の夜空が降ってくる。

 どこにいても、どんな時も、この空だけは変わらない。

 修道院に幽閉されていた幼いころ、のどから手が出るほど家族に焦がれていた。

 初めて両親に会ったのは、皮肉にも兄王子たちの死で王都に連れ戻されたがため——


「父上、母上……」


 何度も夢に見てやっと手に入れたはずの宝物はガラス細工のように脆くて、てのひらからこぼれ落ちていく。居場所も肉親も、かけがえない友も、何もかも。


「私たちはいつまで奪い合い、憎み合い、血を流し続けるのだろう」


 どれほど祈り、叫ぼうとも声が返ってくることはない。


「私は何と戦い、何を守るべきなのか。何を信じ、何を愛すべきなのだろう」


 祈りが途切れ、ふと夜空を仰ぎ見た。

 頭上には数え切れない星屑が散っていて、地上へ降ってくるような錯覚を覚える。

 偉大な天上の神は、愚かな者を試すように絶えず試練を降らせるが、その神意は計り知れず、私はただ運命を受け入れることしかできない。


「ならば、暗闇に光を灯す星々に問いかけよう。愛する同胞よ、滅びへ向かう王国よ、過去と未来を繋ぐすべての人に問う。人間は何を育み、何を遺すべきなのか」


 私には何が正しいか分からない。

 だが、遠い未来で歴史は語るのだろう。

 数奇な運命を呪いながら、それでも必死に生きた私たちの物語を。







◆あとがき


ヘンリー五世がカトリーヌ王女に求婚するエピソードは、ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『ヘンリー五世』を参考にしています。

ロマンチックな物語ですが、本来の王位継承者である王太子シャルル(シャルル七世)からすれば迷惑な話です。


なお、イングランド史観の歴史では英仏百年戦争はここで終わったことになっているらしい。まだだ、まだ終わらんよ!


(※)現在の英国の中等教育カリキュラムでは「1453年で一応終わった」としているようです。


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