5.14 狂王のタロット占い(3)王太子の運命

 父・狂人王シャルル六世はタロットカードが好きだった。

 まじないは良くないと言われていたが、金箔を張った絵札はとても美しかった。

 思いがけず私の未来を占うことになり、二枚のカードを引いた。


 一枚目のカードは運命の輪。

 その意味は、転換点ターニングポイント、幸運の到来、チャンス、変化、出会い、解決、定められた運命、そして結束。


「まわるまわる、車輪はまわる〜。運命は小姓ペイジをどこへ運ぶ〜?」


 父は上機嫌で鼻歌を歌い出した。


「陛下、二枚目のカードの意味を教えてください」

「ム、そうであった!」


 もう一枚のカードを取り上げると、父は眉根を寄せた。


「これは……」


 父が言いよどむので、私はカードを覗き込んだ。

 絵札には、馬に乗った黒騎士が描かれていた。

 その手には漆黒の軍旗。

 馬の足元には、立派な身なりをした聖職者と王侯貴族が倒れている。

 私は思わずつぶやいた。


「これは……」


 死体だろうか。


「死神のカードだ」


 父は低い声でそう言った。

 タロットカード全78枚の中でもっとも怖れられている最凶カード、それがこの死神だった。


 その意味は、停止、終焉、破滅、離散、清算、決着、死の予兆、消滅、全滅、満身創痍、死屍累々、風前の灯。


「運命の輪と、死神……ですか」

「小姓シャルルよ。これが、そなたの未来に待ち受ける運命だ」


 恐ろしい話をしているのに、狂人王と呼ばれる父から狂気は感じられなかった。

 父よりも私の方が動揺していたかもしれない。


「そなたの運命も死に彩られているのだな。余と同じように」

「同じ……」


 父の手が伸びてきて、私の頬に触れた。


「そんな顔をするでない。無防備すぎるぞ」


 私はどのような顔をしていたのだろう。

 自分の顔を見ることはできないが、父の目にはどう映ったのだろうか。


「恐ろしいか?」

「よく分かりません」

「そうか」


 父の両手が私の顔を包み、くしゃくしゃと撫でた。


「未来のことなど誰にも分からぬよ。すべては神の御心のままに」

「ですが、父上!」

「運命に従うもよし。運命に抗うもよし。そなたはどう生きる?」


 父は笑いながら、また鼻歌を歌い始めた。


「めぐるめぐる、時間はめぐる〜。運命はシャルルをどこへ運ぶ? 今は見えざる歴史の果てに舞い降りるのは……」




***




 タロット占いをしている間に、侍女オデットは王の寝具をあらいざらい引っぺがしていた。

 かなりの重労働だろう。


「恐れながら陛下、洗濯室へ行ってまいります」


 いつの間にか、ベッドの横に山盛りの洗濯物が積み上がっていた。


「おお、行ってまいれ」


 父は機嫌がよく、にこやかにオデットを見送ろうとしたが、私は驚いて引き止めた。


「ちょっと待って、これを全部ひとりで?」

「はい」


 王のベッドは大きく、毛布やシーツを何枚も重ねている。

 水気がしみ込んだ寝具一式を剥がし、ひとりで運ぶのは無理だと思った。


「平気です。二往復すれば持っていけます」

「そうだ、父上!」


 私は鼻歌を歌っている父に声をかけた。


「オデット殿を手伝ってもよろしいでしょうか」

「まぁ!」

「二人で協力して運べば一往復で済みます。オデット殿はすぐに戻って来れますよ」


 私の提案に、オデットは「王太子殿下にそんなことをさせられません!」と言ったが、父は「そうか。ならば行ってまいれ!」と快諾した。


「なりません。それに、手がよごれてしまいます」

「父上の命令だよ。手は洗えば済むことだ」


 修道院時代、私はあまり手伝いをやらせてもらえなかった。

 ジャンがてきぱきと作業しているのを、手持ちぶさたで眺めていた。

 年上の僧や尼僧たちと協力してちょっとした雑用をしている光景が少し羨ましかった。


 よごれた寝具を抱えて父の居室を出ると、待機している護衛と侍従がぎょっとした。

 私は、先手を打って「父上のご命令だ」と告げた。


「さぁ、オデット殿。洗濯室まで案内して」

「どうしましょう、どうしましょう……」


 オデットはおろおろと恐縮しながらも、私を先導してくれた。

 私たちの後ろからぞろぞろと侍従や護衛がついてくる様子は、さぞ滑稽だったと思う。

 王宮の裏手へまわると、王太子の顔を知らない下働きの男女がちらほらいた。


「オデットじゃないか。その子は新しい小姓かい?」

「やめてよ父さん」


 オデットが真っ赤な顔でたしなめた中年男は、顔がすすで真っ黒だった。


「かわいい小姓さん、うちのオデットをよろしくなー」


 人の良さそうな好人物だった。


「あの人は父君?」

「はい。父は厨房でかまど番をしています」


 侍女オデットは、宮廷のかまど番をする父の縁故で採用されたらしい。

 本来なら、下働きの娘が王に面と向かって仕える侍女になるなど例外中の例外だ。


(気になるけど)


 マルグリットの出生から推測して、デリケートな事情がありそうだった。

 不躾ぶしつけに聞き出すのはためらわれた。

 つらつらと考え事をしていたせいだろうか。


「殿下、落とし物です」


 後ろをついてきた侍従が、何かを拾った。

 細長い布切れがぶらりと。父の汚れた脚衣ショースだった。


「あの、王太子殿下。ここまで来れば充分です。他の誰かに手伝ってもらいますから」


 オデットは小声でそう言った。


「私では役に立てない? 私は余計なことをしている?」

「とんでもございません」

「洗濯物を落としたから?」

「いいえ。落として汚れたとしても、これから洗うのですから大丈夫ですよ」


 オデットは優しかった。

 だが、下働きのまねごとをするなとやんわり断られているのだろう。

 気づいていたが、私は駄々をこねた。


「やりたいんだ」


 ふいに泣きたくなるような気持ちになり、私は唇を噛んだ。


「殿下、どうされました?」


 このときの私は王太子ではなかった。ただの子供だった。

 例えるなら、老いた父と後妻のいる家庭に帰ってきて、腹違いの妹と無邪気に遊び、継母の手伝いをしたいと願う孤独な孤児。

 それが私の本性だった。


「私はね、いまは王太子だけどずっと修道院にいたんだ。いつか父上と母上に会いたいと夢を見ていた」

「修道院にいらしたのですか」

「うん。ロワール川沿いにある王立修道院に……」


 目の前で、オデットが抱えていた寝具がばさばさと床に散らばった。


「オデット殿?」


 侍女オデットはみるみる顔を歪め、「ああ、何てことなの」と叫ぶと、人目もはばからずに泣き崩れた。


「オデット殿、どうしたの?」

「ああ……ああ……よくぞご無事で……」


 嗚咽にかき消されて、オデットの言葉は断片的にしか聞こえなかった。


「王太子!」


 いつの間にか、ジャンが迎えにきていた。タイムリミットらしい。


「もう時間?」

「いいえ。宰相アルマニャック伯が呼んでます」


 ジャンは、「急いでください。緊急事態が発生しました」と耳打ちした。




***




 1417年12月。

 王都パリの宮廷から追放された王妃イザボー・ド・バヴィエールは、愛人・無怖公ブルゴーニュ公と結託して王太子シャルルの横暴を糾弾。パリ南東にあるトロワに対立政府を樹立した。


「まわるまわる、車輪はまわる〜」


 父の鼻歌が耳に残って離れない。

 死神に取り憑かれた運命の歯車が、からからとまわり始めていた。







(※)第五章〈王太子の宮廷生活〉編、完結。

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