5.11 王太子といとこの秘密通信(3)飛翔する密書
宰相アルマニャック伯が戻って来たとき、
「少し席を外している間におもしろい余興をしていたようですな」
宰相にそう言われて、私は護衛隊長シャステルと顔を見合わせた。
予想に反して、否、予想した通り、大鴉が変身する奇跡を見ることはできなかったが、面白くなかった訳ではない。
余興と言われて面白くないのは私よりも——
「からかわないでください」
「ふふ、アルテュール殿は救出できましたかな?」
ジャンはむくれているようで、それ以上答えなかった。
「だから、あれほど『ただのカラスだ』と申し上げているのに」
飼育担当の若い侍従は、「まったく、相変わらずデュノワ伯は単細胞で思い込みが激しいな」と呆れている。
遠慮のない物言いに、私は「もしかして、ふたりは顔見知りだろうか」と思い至った。
確認する間もなく、若い侍従は上衣に留めている凝った
まるでガチョウの鳴き声のようなけたたましい笛の音が響き、大鴉が照明器具を蹴って下りてきた。
「本来、伝達役に適しているのは鳩ですが、宰相閣下のご要望でコイツを調教しています」
侍従は片腕を広げて、大鴉を迎え入れた。
「ロンドン塔は大鴉の巣窟です。伝書鳩では食われてしまう」
大鴉をみごとに手なずけた侍従は、クレルモン伯シャルルと名乗った。
私より2歳年上の16歳で、2年前に上京して宮廷に出仕しているという。
ちょうどジャンがパリの王宮に来た時期と重なる。
「すごい!」
「恐れ入ります」
至近距離で見る大鴉は、想像以上に大きい。
狩猟で見慣れたハヤブサなどの猛禽とはまた少し違う迫力があった。
「クレルモン伯と言ったね。貴公が手なずけたの?」
「いえ。元を正せば、我が父ブルボン公とオルレアン公——そこにいるデュノワ伯の兄君シャルル・ドルレアンの提案です」
クレルモン伯の父・ブルボン公は、アジャンクールに参戦して捕らわれ、いまはロンドン塔に幽閉の身だった。
父や兄、あるいは息子や弟がイングランドの人質になっている宮廷人は少なくなかった。
「軍馬、伝書鳩、猟犬、狩猟用のハヤブサ。有用な動物の調教は、軍略に欠かせません。おそらくアーサー王の変身伝説も、動物を上手く使役する能力が元になっているのでしょう」
アルマニャック伯は、大鴉を腕に載せたクレルモン伯を満足そうに眺めた。
「鳩を調教できるなら、あるいはカラスも可能ではと」
ロンドン塔は、裕福かつ高い身分の貴族ばかりが集められた。
虜囚たちは、故郷の支援と身代金のおかげで生活に不自由していないが、厳しい監視がついている。
英仏間で手紙の往来は禁じられていない。
だが、使者を介する書簡は、
ロンドン塔ではシャルル・ドルレアンとブルボン公が、パリの王宮では宰相アルマニャック伯とクレルモン伯が秘密の通信・調教実験を担当した。
「美味い餌と
「えっ、密輸?!」
「言葉のあやです」
確かに、カラスはどこにでもいる鳥だから、輸出入を禁じられていない。
パリの東にあるヴァンセンヌの森から大鴉を放鳥したところ、一部は森に居着き、一部はロンドンへ戻った。
何度か繰り返して、帰巣本能の強い個体を選び、さながら伝書鳩のように調教を施した。
「ここまで、2年かかりました」
「2年」
長いのか短いのか、私にはよく分からなかった。
「鳩とハヤブサの扱いには慣れていますが、父も私もカラスを相手にするのは初めてで少々手こずりました。しかし、想像以上に頭のいい鳥です。実用に堪える仕上がりになっていると自負しています」
そう言って、クレルモン伯は頭を下げた。
派手な羽飾りのついた帽子と、装飾品の多い凝った衣服はまるで道化のように見えるが、クレルモン伯は自身の技量に誇りを持っていた。
***
パリの宮廷とロンドン塔を結ぶ秘密の
だが、たとえ監視役の検閲を免れても、途中で書簡を奪われたり落としてしまう可能性を考えて、文中には暗号を仕込んでいる。
シャルル・ドルレアンは得意の詩文をよく書いた。
もし誰かに見られたときには、詩の師匠に添削してもらう作品だとごまかす手はずになっている。
アルマニャック伯は、
ノルマンディーのバイユー出身で、地元では代々、公証人や聖職者を務めている裕福な一族だ。
パリ大学は、フランスのみならず西欧各国から優れた学者や文人が集まっていた。
「小心者のしがない役人でございます」
アラン・シャルティエは謙遜したが、一年前に発表した「四人の貴婦人の書」という詩集で一世を風靡し、パリ大学でも一目置かれていた。
シャルル・ドルレアンの手紙から暗号を拾い上げ、詩の韻文を解読してもらった。
「ロンドン塔は相当寒いのでしょう。防寒着を送って欲しいと」
「なんとおいたわしい……」
「女人の温もりが恋しいと」
「にょにん?」
「心が凍えてしまうと」
「心が?」
「はい、そう書いてあります」
当代一流の暗号文は私にはチンプンカンプンだった。
詩的な比喩表現なのか本音なのか。
判断が難しいが、アラン・シャルティエの講義は面白かった。
自称・役人だが、やはり彼は洗練された言葉を操る詩人なのだ。
「あっ、そうだ。アンジューに手紙を送ることはできる?」
「大鴉はロンドン塔のみですが、主要都市に飛ばせる伝書鳩なら各種ご用意してあります」
マリーに手紙を送ろうと思いついた。
まだ妃として迎えにいく余裕がないが、忘れていない証しに何かしたいと思った。
「王太子殿下の婚約者がアンジューに? それはそれは……」
護衛隊長のシャステルが何か耳打ちしたらしく、詩人の心に火をつけたようだ。
「美女に恋文といえば、私の得意分野です!」
「美女? いや、マリーはまだ13歳の少女で……」
「わかります。未成熟の美少女ですねっ!!」
詩人はらんらんと目を輝かせ、ぐいぐいと来るので、私はたじろいでしまった。
「このアランめにお任せください。必ずや美少女の心を射止めてみせましょう」
「いや、婚約者だから射止めるも何も……」
アランいわく、女性とはすべからく美女であり、美少女なのだという。
そして、男とはすべからく美女の忠実な
アランの指導で、恋文と言えなくもない手紙をしたため、クレルモン伯が伝書鳩を飛ばしてくれた。
返事は来なかった。
クレルモン伯は「悪天候に巻き込まれたり、野生の猛禽や狼に襲われて伝書鳩が届かないこともある」と言った。
アラン・シャルティエは「気高い美女は、簡単にはなびかない」と言った。
それは慰めか?と聞いたら「王太子殿下の婚約者は、すばらしい美女の資質を持っている」と返ってきた。
ロンドン塔との往復書簡と違い、この手紙は戯れも同然。
児戯のような恋文は少々恥ずかしかったが、読まれて困る内容ではない。
アンジューから反応が返って来ないことは寂しかったが、もし届かなかったならば仕方がない。
(二通目を送ってみよう。シャルティエに添削してもらうと、恥ずかしい手紙になりそうだけど)
胸が張り裂けそうな恋心と、男が求めてやまない女人の温もりとやらを、このときの私はまだ知らなかった。
(※)アラン・シャルティエは32歳。
(※)クレルモン伯は16歳で、デュノワ伯は15歳。二人とも宮廷入り2年目の同期です。
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