5.10 王太子といとこの秘密通信(2)デュノワ伯の喜劇

 かのロンドン塔には、大鴉レイヴンクロウが住み着いている。

 ワタリガラスにしては大型で、幽閉中の虜囚をずいぶん震え上がらせていると聞く。


「ご注文はカラスですか」

「いかにも」


 フランスとイングランド間の交易を生業とする商人は、なんと「ロンドン塔に棲息する大鴉」を持って来た。宰相アルマニャック伯の注文らしい。


「ま、まさか……」


 侍従長として私のかたわらに控えていたジャンが、血相を変えて木箱に飛びついた。


「ジャン?」

「中に入っているのはアルテュール殿では?!」


 返事をするかのように、箱の中からギャアギャアと鳴き声がした。


「やはりそうなのか!」


 みなが呆気にとられている中で、ジャンは木箱に収まっている大鴉を「アルテュール殿」と呼んだ。


「早く出してあげないと! くそっ、この箱どうやって開けるんだ!!」

「逃げてしまわないよう、四方八方にしっかりと釘を打ち込んでいます。そう簡単に開きません」

「何てことを!」


 商人が木箱の説明をすると、ジャンが悲鳴を上げた。

 今にも商人に掴み掛かりそうなジャンを、私は慌てて引き止めた。


「ジャ…デュノワ伯ジャン、控えよ」

「はっ!」


 威厳に欠けていても、主従関係がゆるくとも、私は王太子ドーファンであり、ジャンの主君だ。


「一体どうしたんだ。そのカラスを知っているの?」

「これは、ただのカラスではありません」


 意味が分からない。だが、ジャンは真顔だった。


「王太子は、アーサー王の物語を知ってますか」


 私は、ジャンやアンジューのルネほど騎士道物語に惹かれていないが、有名な物語のあらすじくらい知っている。


「一応はね」

「アーサー王は大鴉に変身するんです」


 嘘かまことか、アーサー王は大鴉に変身すると言われている。

 大鴉は、英雄の賢さの象徴だった。

 物語に登場するほど、ブリテン島では身近な生き物なのだろう。


「かの国では、狡猾な鳥だと嫌う者もいるようですが」


 宰相アルマニャック伯は、がたがたうるさい木箱を見下ろしながら言った。

 イングランド王国の建国は、ケルトの地ブリテン島の征服が発端となった。

 現イングランド王家を権威づけるためだろうか、ケルトの伝説の王とゆかりのある動物——例えば大鴉、穴熊オコジョなどが忌み嫌われているらしい。


「イングランドでは、王太子殿下の祖父・賢明王ル・サージュシャルル五世も狡猾な王と評価されています。名君・賢君といえど、敵方からすれば『目障りな暴君・暗君』に見えるのでしょうな」


 賢明王しかり、アーサー王しかり。


「忌避されているからこそ、使い勝手がいいのですよ」


 宰相は口角を上げて、含みのある笑みを浮かべた。


「よく分からないな。ロンドン塔の大鴉はアルテュールと呼ばれ、嫌われているからこそ使い勝手が良くて……」

「『アルテュール殿』に関しては、私は存じませんが」


 私と宰相は首を傾げて、ジャンを見た。


「アルテュール殿は、アーサー王の子孫です。イングランドで嫌われていても関係ありません。少なくとも、俺はアルテュール殿を尊敬しています。あの方は立派な騎士シュバリエです!!」


 ジャンは熱弁を振るったが、ジャン以外はぽかんと呆気にとられていた。

 沈黙を破ったのは、護衛隊長シャステルだった。


「もしや、デュノワ伯が言っている『アルテュール殿』とはアルテュール・ド・リッシュモン伯のことか?」

「そう、それーーー!!」


 尊敬している立派な騎士に「それ」はないだろう。

 ジャンも大概、口が悪い。




***




 私は宮廷の事情に疎いが、聞いたことがある。

 アルテュール・ド・リッシュモン伯はブルターニュ公の弟である。

 そして、ブルターニュ公一族はかのアーサー王の末裔だと。


「つまり、デュノワ伯はこのカラスはリッシュモンが変身していると?」

「きっとそうです!」


 商人は、飼育担当の侍従に木箱を預けると退出した。

 アルマニャック伯も、パリ大学ソルボンヌの詩人を呼びつけるために一時退出していた。


「コレが?」


 木箱の中で、カラスがぎゃあぎゃあと鳴いていた。


「ひどい! 王太子までそんなこと言うなんて!」


 ジャンは、このカラスがあのリッシュモンだと完全に信じているようだ。

 にわかには信じられないが、もし本当にリッシュモンだとしたら——


「早く出してあげないと」

「そうですよ!」

「引っ掻かれないかな?」

「はは、そんなことしませんよ」


 シャステルは、「ご安心を。このカラスが何者であろうと、王太子殿下を傷つけるならば即座に手打ちにしてみせます」と宣言した。


「あの方はそんなことしません!」

「デュノワ伯よ、私はアルテュール・ド・リッシュモンがまだ従騎士エスクワイアだったころから知っている」

「な、なんと!」


 実は、私も知っている。

 私とジャンとシャステルは、それぞれ違うところでリッシュモンと縁が繋がっていた。

 まさに奇縁である。


「護衛隊長の役目は、王太子殿下の御身を第一にお守りすることにある。貴公にも分かるはずだ」

「はい」

「このカラスが本当にリッシュモン伯ならば手荒なことはしない。信じよ」

「わかりました。俺はシャステル隊長を信じます」


 カラスを木箱から解放したら何が起きるのだろうか。

 怖いような、見たいような。


「頭がいい奴に違いありませんが」


 飼育担当の侍従は、木箱の釘を抜きながら「間違いなく、ただのカラスです」と言って、中身を解放した。


「グワァ……」


 長旅のせいか、羽根の艶は失われていたが、見たこともない立派な大鴉があらわれた。


「おお、なんと立派な……」

「アルテュール殿!」

「本当に?」

「いえ、カラスです」


 私たちは小一時間ほど様子を見ていたが、カラスが変身する奇跡を見ることはなかった。

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