5.7 服従の条件(1)

 かねてより、母は私との面会を望んでいた。

 親睦を深めるため……というより、支配下に置くために。

 アルマニャック伯やシャステルたちは、私を守るため……というより、彼らもまた王太子を支配下に置くために、私と母を遠ざけている。それが間違っているとは思わない。母の悪評は知っていたし、おそらく醜聞が事実であることも察していた。それでも私は——


「母上と話をしたい」


 私はアルマニャック伯に相談した。

 護衛たちに守られて、母を避けているだけでは何も変わらない。

 不意打ちで騒動を起こすくらいなら、じかに面会して率直に話してみようと考えた。

 アルマニャック伯は、充分な護衛を付けることと、私自身も剣を帯びることを条件に、王妃イザボー・ド・バヴィエールと母子会談の機会を設けてくれた。




***



 王宮の離れにある、ピュート・イ・ミュースという邸宅に招かれた。

 母のお気に入りの邸宅だという。近くには、幼い王子王女を養育するサン・ポル邸やバルベット邸があり、私も物心つく前にそこにいたらしいが、記憶にない。


「物騒だこと……」


 母は開口一番、不快感を示した。

 剣を帯び、護衛を連れていることに不信感を持ったようだ。


「ご容赦ください。アルマニャック伯は心配性で、護衛をつけないと面会を許してくれなかったのです」

「恐ろしいわ。まるで脅迫されているみたい」


 母妃イザボー・ド・バヴィエールは小柄だったが、豊満な肢体を兼ね備えた美女だった。

 父王シャルル六世は見合いで一目惚れして、その日のうちに母を手に入れなければ気が済まなかったと聞く。


「わたくしに乱暴しようと企んでいるのではなくて?」


 母は、護衛たちに流し目を送った。

 口ぶりは怖がっている風だったが、本気ではないようだ。


「居てもらうだけです。私と母上の対話に口出しさせません」

「口を出さずに、手を出すのではなくて?」

「口出しも手出しもさせません」


 私は、神の名のもとに「私と母の身の安全」を誓った。

 屈強な護衛に取り囲まれているようだが、母もまた寵愛する侍女を大勢連れて来ていた。


「信用できないわ」

「なぜです」

「王太子も護衛たちもアルマニャック伯の言いなりだから」


 母は憮然としていた。

 宰相アルマニャック伯は、無怖公ブルゴーニュ公の政敵だ。

 母とブルゴーニュ公は愛人関係であったから、母もまた宰相を敵視していた。


「母上の心配はごもっともです。ですが、私はまだ宮廷に不慣れで、補佐してくれる人が必要です」


 だが、母が言うように宰相の言いなりではない。

 アルマニャック伯は知略に長ける軍人でもある。その思惑は計り知れない。

 善人とは思わないが、私の意向を汲み、こうして母と会談する機会を作ってくれたことも事実だった。


「そうね。若い王太子には補佐役が必要ね。でも、アルマニャック伯である必要はないわ」

「母上のお力添えがあれば心強いです」

「この母にできることがあれば喜んで」


 母は、私の足元にひざまずくと、さらにこうべを垂れて足に接吻キスした。

 一瞬驚いたが、おかしなことではない。この接吻は「服従」を意味する。

 私は「この会談は成功だ。母と分かり合うことができる」と思い、ほっとしていた。


(母上は少し変わった人かもしれないけど、この私だって王太子として物足りない部分がたくさんある)


 離れている時間が長過ぎたせいで、私たちは互いのことを知らなすぎるのだ。

 これから時間をかけて親子の情を深めていけばいい。埋め合わせはまだ可能だ。

 私はこそばゆくて、「おもてを上げてください」と促した。


「分かり合えて嬉しいわ」

「私もです」

「ひとつだけ、お願いがあるの」

「お聞きします」


 母は、私の両膝に身を乗り出して「ブルゴーニュ公の復権を!」と言った。


 四年前、ブルゴーニュ公は王都パリでひそかに暴動を煽動した。

 王太子だった兄の調査で、自作自演が発覚すると自領に逃亡した。

 兄は追放を宣言し、今もそのままになっている。

 母は、追放令の解除を望んだ。


「私の一存では決められません」


 そう言うのが精いっぱいだった。

 母の瞳があやしく煌めき、私はぞっとして気圧された。


「やっぱり、王太子はアルマニャック伯の言いなりなのね」

「いいえ。罪と罰が妥当かどうか、見極めなければならないから」

「詭弁だわ!」


 私の膝に触れている母の指先に力がこもったのがわかった。

 今にも、爪を立てて引っ掻かれそうだ。


「ああ忌々しい! アルマニャック伯に何を吹き込まれたか知らないけど、あの方に罪などないわ!」

「ブルゴーニュ公は自分から逃亡したと聞いています。それに、追放を命じたのは兄上ですよ」

「だから王太子は死んだのよ! いい気味だわ!」


 母の剣幕と口から出た言葉に、私は戦慄した。

 兄の死をいい気味だと——?


「母上、それはどういう……」


 私の問いには答えなかったが、母は態度を軟化させ、猫なで声で語りかけた。


「可哀想な息子たち。わたくしには、もうあなたしかいないの」


 甘い声でささやきながら、母は私の膝頭をすりすりと柔らかな指先で撫で始めた。

 流されてはいけない。母の真意を聞かなければならない。


「ねえ母上、なぜ兄上たちはお亡くなりになったのですか」

「神罰かしらね」

「兄上たちが何をしたというのです?」

「わたくしの大切なあの方に、罪なき罰を与えたから。この母の言うことを聞かなかったから」


 母は人目もはばからず、私をなだめるかのように愛撫を続けた。


「まさか母上が……?」

「うふふ、何を想像しているの?」

「いいえ、嘘だと言ってください!」

「ええ、いいわ。王太子の望みのままに、嘘でも真実でも言ってあげる。何でもしてあげるわ。その代わり、あの方を宮廷に戻してちょうだい」

「母上、何を……」


 ふいに、母の指先が内腿の深いところへ伸びて来た。


「母上、それ以上はお止めください!」


 思わず総毛立ち、とっさに母の手首を掴んだ。

 さらなる侵入を止められた母の指は、からかうように私の内腿の肌をとんとんと叩いた。


「うふふ、ヴァロワ家の男たちはみんなここが弱いのねぇ」

「ヴァ、ヴァロワ家の男たち……?」


 私はにわかに信じられない思いで、母を見下ろした。


「あ、兄上にも同じことをしたのですか?」


 母は答えなかった。

 王弟と関係があった件は知っているが、母の言動は「それ以上」の含みがあるようにも感じられた。


「王太子たる兄上がどんな気持ちでいたか考えたことは?」

「ならば、わたくしの気持ちを考えたことはあるのかしら」

「母上のお気持ち?」


 媚びるような甘い声と、優しく愛撫する指先の感触は、私の心と体を震え上がらせた。

 相手を刺激しながら翻弄する手練手管が、淫乱王妃と呼ばれた所以ゆえんなのかもしれない。

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