4.1 王太子の死(1)

 中世時代の城は、住居と要塞を兼ねている。

 君主とその家族が暮らすエリアは侵入されにくい安全な場所にあり、外部の者と接触するエリアから離れている。


 私が「ソコ」へ行くことは滅多になかったが、この日は特別だった。

 謁見の前に、私室へ立ち寄って着替えさせられた。対面する相手は王家の使者だ。シャルロットのよだれがついた服を着ていたら、アンジュー公に恥をかかせてしまう。

 四年前、兄の使者として婚約祝いを届けにきたアルテュール・ド・リッシュモン伯なら、きっと「君主として自覚するように」と叱責されるだろう。


(また、彼が来ているのだろうか)


 王家の使者。兄の便り。

 そう聞いて、ふとリッシュモンのことを思い出した。

 アンジューに来て四年が経つ。私は14歳になっていたが、いまだに兄の顔を知らなかった。


 一年前から愛用している黒衣に腕を通した。

 したくを済ませて案内役の侍女についていく。

 居住エリアと応接エリアの境界で、侍女から護衛の侍従にバトンタッチ。

 エリアごとに専用の管理者がいて、境界を通過する時に出入りをチェックされる。単独で動き回ったら、たちまち迷宮に迷い込むだろう。

 この城の構造をすべて知る者は、ほぼ皆無と言っていい。


 案内された場所は、もっとも格式の高い「謁見の間」だった。


王子ルプランスがお越しです」


 先触れの声を聞き、私は歩きながら深呼吸した。

 この部屋では「君主らしい振る舞い」を要求されるため、どうしても緊張してしまう。

 入室してすぐ、アンジュー公と公妃ヨランドの姿をみつけて少し安堵した。他に、見覚えのある顔はなかった。

 今回の使者は、婚約祝いのときとは比べ物にならないほど多人数で、私は内心ぎょっとした。

 話をする前から気圧されていたが、多少失敗してもアンジュー公とヨランドがフォローしてくれると思えば心強い。


「お初にお目にかかります」


 使者のなんちゃら伯がうやうやしく臣従礼をとりながら名乗ったが記憶にない。

 使者の人数が多すぎて覚え切れない上に、私はとても緊張していたのだ。

 なにより、今回の「知らせ」がショッキングでこまかいことを覚えていない。


「誠に申し上げにくいのですが、王子の兄君にあらせられる王太子殿下が、このたびご逝去あそばされました」


 知らせの内容はさておき、とりあえず「使者のお務め、大儀である」と定型通りにねぎらいの言葉をかけた。この後が難しいのだ。


「しかしながら、兄上の不幸でしたらすでに聞き及んでいます」


 王族らしく尊大に振る舞うべきだが、語尾が丁寧になってしまった。

 しまったと思ったときにはもう遅い。だが、言い直してはならない。

 間違ってもいいから堂々と、主君らしい態度を貫かなければならないのだ。

 間違いを嘲笑う家臣がいたら、恥をかかせた罪で「処す」。王侯貴族はこのくらい傍若無人でなければ務まらない。


 私の兄、王太子ルイは病死した。1年以上前の出来事だ。

 私は葬儀に参列できなかった。アンジュー公を通じて事後報告を聞かされ、私はショックのあまり数日間ふさぎ込んだ。


(王都の人々も、王家の方々も、きっと末弟の王子のことを忘れているんだ……)


 兄の訃報は悲しかったが、音沙汰がなかったことに腹を立ててもいた。

 だが、私はもう幼い子供ではない。アンジュー家の「きょうだい」では最年長の兄でもある。

 修道院の麦畑で従者のジャンに見守られて泣いた日もあったが、遠い昔のことだ。


「兄上にいつかお目にかかりたいと思っていました」


 今さら王家の使者が何人来ようとも怖れることはない。

 堂々と、嫌みのひとつも言ってやればいい。


「ささやかな願いも叶わないままで、とても残念です。亡き兄を偲びたくて、今もこうして喪に服しています」


 王家の使者に対する皮肉であり本心でもある。

 私が着用している黒衣は「喪服」だった。


(今さら、私に何の用だ!)


 往復書簡よりも、本物の兄上にお会いしたかった。声をお聞きしたかった。


(いつも私は蚊帳の外で、事後報告ばかりで、私は——)


 心がささくれていた。

 私の心境を知ってか知らずか、使者は冷静に話を続けた。


「恐れながら、王子はひとつ勘違いをなさっておいでです」

「勘違い?」

「はい。前の王太子殿下ルイ・ド・ギュイエンヌ公がご逝去されて1年あまり。第4王子のジャン・ド・トゥーレーヌ公が、次の王太子となられました」


 私は、狂人王シャルル六世の10番目の子で五男。つまり第5王子だ。

 生まれた時に長兄と次兄はすでに亡く、三番目の兄ルイ・ド・ギュイエンヌ公が王太子だった。

 ひとつ年下のジャン・ド・トゥーレーヌ公は四番目の兄だ。


「新たな王太子殿下が、つい先日ご逝去されたのです」

「えっ……」


 不幸は続くというが、わずか1年あまりで二人の王太子が立て続けに急死したのだった。


「まさか……そんな……」

「誠に、おいたわしいことです」


 使者は沈痛な表情を浮かべていたが、本音か建前か分からない。

 彼らはすでに「知っている」のだから。


 不意打ちの訃報に、私だけが動揺していた。


 兄の手紙は私の心のよりどころだった。

 面識がなくても、私には特別な人だった。

 訃報を聞いてショックを受けたが、行き場のない怒りと悲しみを「君主らしく」心の底に沈めた。

 あれから1年、今また新たな訃報が私の心をかき乱そうとしている。


「……」


 私は、浮上してきた感情をごくりと飲み込んだ。

 これ以上、君主らしい振る舞いを続けることは困難になってきた。吐き気がする。


(そろそろ退室したい)


 アンジュー公とヨランドをちらっと見たが、フォローしてくれそうな気配はない。

 もう少し自力で話をしなければ。


(お悔やみを言えばいいのか? いや、兄の訃報なのだから、私は身内として振る舞うべきで……)


 私が混乱しているのを察して、使者がなだめるように言葉を続けた。


「王子のご心痛はお察し申し上げます。ですが、私どもは務めを果たさなければなりません」


(務めとは何のことだ。たった今、こうして果たしているじゃないか!)


 感情も頭の中も混乱の極みだった。

 それでも君主らしく振る舞おうと努力した。

 自分が今、どのような顔をしているかも分からなかったが、どうにか言葉を絞り出した。


「気遣いは無用です。それより、『私どもの務め』とは一体?」


 驚くほど冷静な声が出た。上出来だ。

 私が問いかけると、使者は表情を消して居住まいを正した。謁見の間の空気がぴんと張りつめた。


王子ルプランスシャルル、殿下は王位継承権を持つ唯一の若君となられました」


 何を言っているのか、とっさに理解できなかった。


「王位けいしょう……」

「はい。次期国王陛下です」


 使者のなんちゃら伯と、他の随行員たちが一斉に礼をした。


王太子ドーファンシャルル、殿下をお迎えに上がりました」


 もう私の口からは何も出てこなかった。

 君主らしい言葉の代わりに、心の奥に押し込めていた何かが、つと、目の端からこぼれ落ちた。

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