3.1 争いの始まり、それぞれの野心(1)
1415年8月、ヘンリー五世率いるイングランド軍が1400隻もの船でドーヴァー海峡を渡り、ノルマンディーに上陸した。
もとを正せば、イングランド王家はフランス貴族出身で、称号はノルマンディー公だ。フランス国内に領地を持っている。
ロンドンに拠点を築きながらも、フランスへの望郷の念が忘れられず、イングランド王の野心と欲望と闘争心をかき立てるのだろうか。
戦争再開の手始めに、イングランド軍はノルマンディーの北岸ラ・エーヴからセーヌ川河口へ侵攻し、アルフルールを包囲した。
アルフルール守備隊は奮闘し、イングランド軍の半数近くに打撃を与えた。
フランスは有効な援軍を見込めなかったが、それでも包囲戦は一ヶ月以上におよび、9月末に陥落した。
イングランドに抵抗した者は斬首され、見せしめとして城壁から首を吊るされた。
「つまらん」
イングランド王ヘンリーは退屈していた。
侵攻から一ヶ月以上経過しているというのに、フランス宮廷の反応が鈍かったからだ。
***
兵は続々と集まっていたが、王太子急病につき、フランス王国軍の出立は大幅に遅れていた。
王太子の代わりに従兄のシャルル・ドルレアンが出陣することになり、その準備のためにさらに出立が遅れた。
「お待ちしていました」
パリの王城で、宰相アルマニャック伯がシャルル・ドルレアンを出迎えた。
「久しぶりだな」
かつて、アルマニャック伯は、両親を亡くしたシャルル・ドルレアンの後見人を務めた。
シャルル・ドルレアンは元イングランド王妃イザベル王女と結婚し、王女が一人娘を出産して亡くなると、アルマニャック伯の令嬢と再婚した。
アンジュー公と公妃ヨランドが、マリーと私を婚約させて親代わりに養育した関係と似ている。
「王太子殿下のご容態は?」
「詳しく申し上げることはできませんが、あまり芳しくありません」
「そうか、ひと目でもお目にかかれればと思っていたのだが」
イングランド侵攻に対して、フランス王家の男子は誰も戦おうとしない。
王家の代わりに王弟の遺児シャルル・ドルレアンが引っ張り出され、パリに上京しても王族は出迎えの挨拶さえしない。
王弟が殺されて犯人のブルゴーニュ公が処罰されなかったこと、淫乱王妃イザボーと無怖公ブルゴーニュ公の醜聞は、王国中に広まっていた。
騎士や傭兵から見た王家の心証は最悪だった。
これから戦いにおもむくというのに、何のために、誰のために戦うのか。
狂人王の代わりに王太子に期待が集まっていたからこそ、王太子が戦わないことにみな失望した。
王太子は仮病ではないかと疑われ、臆病者だと罵る者もいた。
一方で、シャルル・ドルレアンは貧乏くじを引かされたように見なされ、同情を集めた。
「アルマニャック伯、貴公の判断は間違っていない」
王家について何を聞かれてもアルマニャック伯は口をつぐんだが、シャルル・ドルレアンは義父をねぎらった。
「王太子殿下がパリを離れている隙に、ブルゴーニュ公が宮廷に戻って来る可能性もある。暴動の一件もまだくすぶっているようだ。王太子殿下が残り、私が戦いに行くことは良策だと思う」
そう言って評価した。
「ご配慮に感謝を申し上げます」
「だが、これ以上出立を遅らせるのは得策ではないな」
「御意」
王太子不在で滞っていた宮廷は、シャルル・ドルレアンの到着と同時に動き出した。
***
出立のめどがついた頃。シャルル・ドルレアンの執務室はいつも静かだったが、めずらしく賑やかだった。
「兄上、俺をここに置いていくという話は本当ですか!」
「『俺』は改めるようにと何度も言ったはずだぞ」
シャルル・ドルレアンには母の違う弟がいた。
亡き王弟オルレアン公の庶子で、私の幼なじみのジャン・ダンギャンは、騎士志望の熱血少年だ。
「戦地までお供します!」
「だめだ。君は私の弟だ。私の身に何かあったとき、オルレアンを任せる血縁者がいなくては困る」
「冗談は詩の中だけにして下さい!」
兄のシャルル・ドルレアンは詩を好む文学青年で、弟のジャンは騎士を目指して剣の鍛錬を好んだ。
母親が違うせいか、性格はまったく似ていなかった。
「本音を言うと、私よりも君が戦場に行った方が活躍できると思う」
「だったら!」
「だが、まだ若い。君は子供だ」
ジャンは13歳だった。
「兄上だってまだ20歳じゃないですか!」
「私は君とは違う。父からオルレアン公の称号を継承し、義務を果たさなければならない。これは遊びではないのだ」
「俺だって遊びのつもりじゃ……」
「『遊び』じゃないなら、君の考えは『甘い』と言い換えよう。実年齢ではなく、君の中身が子供なのだよ」
シャルル・ドルレアンは柔和なたたずまいとは逆に、その性格は厳格で、意志が固かった。
「それなら、どうして……!」
失望と興奮のあまり、ジャンは口をぱくぱくさせて何か言いたそうだったが、なかなか言葉が出なかった。
シャルル・ドルレアンは無言のまま、手元の書類をしたためていた。
「無視ですか」
「被害妄想は感心しないな」
「戦地に連れて行くつもりじゃないなら、どうして俺を……私をここまで連れて来たんですか。オルレアンに残っていた方がまだ良かった」
ジャンは王弟の庶子である。
一応、王族の血を引いているのだが、陰険な宮廷人は「私生児」と陰口を叩いた。
ジャンは一本気な性格だったから、王侯貴族と宮廷人を嫌っていた。
「パリの宮廷に置いていかれるなんて、考えるだけでぞっとする!」
「考えすぎだろう」
「ああもう! 兄上の貴族っぽいエラそうな言い方がアタマにくる!」
「口を慎め」
シャルル・ドルレアンはジャンと話しながら、さらさらと何かを書き付けると弟に差し出した。
「これを」
「誰に届けるんですか」
宮廷に仕える小姓は、ひんぱんに
ジャンは感情的なところがあったが根はまじめで、自分の仕事を忠実にこなした。
「王太子付きのある騎士に。だが、それは君の書簡だ」
「意味が分かりません」
「前に、剣術指南の師を探すと約束しただろう。宮廷には、王家に仕える優秀な騎士がたくさんいる。紹介状を書いたから持っていくといい」
ジャンは目を見開いて、兄を見つめた。
「そのために、君を王城まで連れて来た」
シャルル・ドルレアンは母親に似て、厳格で、意志が固く、詩が好きで、義理堅かった。
「私が戦いに行って帰って来るまでに、弟が騎士見習いとしてどこまで成長しているか楽しみにしている」
「ありがとうございます!」
ジャンは深々と頭を下げた。
嫡子と庶子は、いがみ合い、殺し合うことも多い。
シャルル・ドルレアンとジャンはまったく似ていなかったが、兄弟関係は良好だった。
(※)重複投稿しているアルファポリスで挿絵「干潮のラ・エーヴ岬」をアップロードしました。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/394554938/595255779/episode/1725349
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