2.8 王弟オルレアン公の子供たち

 ジャン・ダンギャンが初めてオルレアンに来たとき、父の正妻・オルレアン公夫人と対面した。


「ジャンと言いましたね。あなたの母が遺したという書き付けを読みました。あなたのお父様は、この街の領主・オルレアン公で間違いないようです」


 この時のジャンは、子供ながら陰気な貴婦人だと思ったらしい。

 無理もない。王弟と王妃の不貞の噂と痴情の果ての死にざまは、さぞオルレアン公夫人の心痛だったに違いない。

 王弟殺害というスキャンダルの最中に、第三者の女性との間に生まれた子——ジャンまでもが現れたのだ。オルレアン公夫人の心痛は察するに余りある。




***




 私がアンジューへ発つと、ジャンも還俗してオルレアンへ帰還した。


「ジャン・ダンギャン、ただいま戻りました」

「入りなさい」

「失礼します」


 現在、オルレアン公の称号はジャンの異母兄が継いでいる。

 兄は正妻の子——嫡子で、ジャンは庶子だ。


「これまでのいきさつは聞いているよ。オルレアンへようこそ」


 ジャンを迎えたのは、陰気な貴婦人ではなく兄のオルレアン公だった。

 名をシャルル・ドルレアンという。


「騎士になりたいそうだね」

「よくご存知で……」


 私とジャンは麦畑での修行風景を秘密にしていたが、よく考えてみると、修道院の塔の上階から見下ろせば私とジャンが何をしているか一目でわかる。

 大人たちにはとっくにバレていて、私とジャンの暮らしぶりはアンジューやオルレアンに伝わっていたのだろう。


「宮廷にはさまざまなルールとマナーがある。しばらくの間、私のもとで小姓ペイジをしながら見聞を広めるといい。しかるべき時期を見計らって、騎士として叙任しよう」

「ありがとうございます」

「君は私の弟だ。礼にはおよばないよ、デュノワ伯」


 ジャンは王族の端くれだが、貴族社会のしきたりになじみがなかった。

 称号で呼ばれることもあまり好まなかった。

 シャルル・ドルレアンは、異母弟ジャンの微妙な雰囲気を察知したらしい。


「母から聞いてないか? 君はデュノワ伯の称号と領地を相続する約束をしているはずだが」


 ジャンは、「仮初めの称号だと聞きました」と答えた。

 オルレアン公夫人は、オルレアン公の息子として恥ずかしくない振る舞いを覚えたら一族の末端貴族として迎えると約束した。


「なるほど、君はまだ子供だったからね。今のところ、デュノワ伯領の統治はオルレアン家に仕える城代が……つまり代理人がやっている」

「ありがとうございます」

「もし領地経営に興味があるなら、君自身が関わってもいいと思っている」

「はぁ」

「とはいえ、シロウト領主を送り出すわけにいかない」

「そうでしょうね」

「領地経営や財産運用、その他諸々について学んでもらうことになる。その覚悟はあるかな」


 ジャンは馬鹿ではないが、小難しい事柄がとても苦手だ。


「いえ、いいです。代理の人に任せます!」


 アンジューの私と同じく、ジャンの方も環境が様変わりして慣れるまで大変だったようだ。


「領地経営はともかく、デュノワ伯の称号は君のものだ。遠慮しないで名乗るといい」

「その、称号というものにまだ慣れなくて」

「慣れてもらおう。宮廷では個人名をそのまま呼び合うことはまずない」


 ジャンの兄・シャルル・ドルレアンは良心的な人物で、貴族らしい青年だった。

 ジャンは庶民的な気質だから噛み合わない部分もあったが、兄弟仲は悪くなかった。


「では、君の私室へ案内しよう。騎士を目指すなら、師にふさわしい人物を探さなければ」

「あのぅ、兄上から剣術を教わることは失礼でしょうか」

「私から?」


 シャルル・ドルレアンは貴族然としていたが、この時はじめて「素顔」がかいま見えた。

 少し言い淀むと、困ったように苦笑した。


「残念だが、剣術の腕はたしなみ程度でね。弟に指南するほどの技量を持ち合わせていない」


 貴族らしい振る舞いをしているのに実力以上に見栄を張ったりしない。

 このとき、ジャンは正直な異母兄に好感を感じたようだ。


「私は母似なんだ。剣を振るうよりも、ペンを振るって詩を書いたり読んだりする方が性に合っている」


 ジャンが「陰気な貴婦人」と評したオルレアン公夫人は、実は憂いのある聡明な美女として名高く、詩人から美貌を称える詩を贈られたこともある。

 彼女の息子であるジャンの兄は、詩作を好む穏やかな横顔の青年だった。

 しかし、そんな彼もまた否応なく動乱に巻き込まれていく。


「兄上、オルレアン公夫人はお元気ですか」

「私の母のことか?」

「はい。初めてここへ来たとき、いろいろ取り計らってくれた御礼を言いたいのです」

「そうか。気持ちは嬉しいが、母はすでに他界したよ」

「えっ……」


 ジャンは思いがけない訃報に絶句し、立ち尽くした。




***




 王弟オルレアン公が殺され、ブルゴーニュ公が申し開きをしたとき、未亡人となったオルレアン公夫人も遺族として同席していた。

 10歳の王太子は罪状を問いただすことができず、ブルゴーニュ公は罪をあがなうどころか赦免状を与えられた。


「あんまりです。たとえ王命であの罪人が許されようとも、わたくしは…… せめてわたくしだけは……!」


 オルレアン公夫人は、ブルゴーニュ派が勢力を増していく宮廷に抗おうとした。

 そんなオルレアン公夫人を反逆者として嫌疑にかけたのは、王妃イザボー・ド・バヴィエールだった。

 オルレアン公夫人からすれば、夫をたぶらかした上に死に追いやり、いまは夫を殺した男と愛人関係になっている、二つ名どおりの淫乱王妃だ。


 王弟オルレアン公の死から翌年。

 未亡人オルレアン公夫人は、夫の後を追うように急死した。

 心労が祟ったのか、何らかの陰謀が関わっているのか、彼女の死因はさまざまな憶測を呼んだ。


「このまま終わらせてなるものか!!」


 王弟オルレアン公と正妻の子——ジャンの異母兄シャルル・ドルレアンは両親の墓前で、無念を晴らすことを誓った。

 詩作を好む物静かな青年は、怒りの刃を胸に秘め、雌伏しながら好機を待っていた。








(※)オルレアン公の子供たち=王弟の子供たち。シャルル・ドルレアン(現オルレアン公)とジャンくんは、主人公の従兄弟にあたります。

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