1.3 狂王シャルル六世(2)燃える人の舞踏会

 人々は、奇行と惨劇を引き起こす父王シャルル六世を「狂人王ル・フー」と呼んだ。

 だが、父王に統治能力がなくても特に問題なかった。

 王の代わりに、宮廷の政治をまとめる摂政や宰相、評議員、侍従たちがいる。

 軍事方面では、騎士団と騎士団長、その上には元帥マレシャル大元帥コネタブルがいる。戦力が足りないときは、フリーランスの傭兵を雇う。


 私が生まれる前から、フランス王国はすでに翳りが見え始めていたが、統治機構はかろうじて機能していた。


 そもそも、王が最優先すべき仕事は政治でも軍事でもない。

 王家の血統と王冠を受け継ぐ「世継ぎ」をもうけることだ。

 幸い、父王はたくさんの子に恵まれた。

 なにせ私は10番目の子で、5人目の男子だ。


 父王は難しいことをしなくても、機嫌良く日々を過ごしていれば充分だった。

 王の狂気が目覚めないように、いつも穏やかでいるようにと、宮廷では毎日のように楽しいイベントを催していた。


 あるとき、父王と取り巻きの貴族たちは仮装パーティーを企画した。


 フランス王国の東隣にある神聖ローマ帝国では、とがったフードに鈴をくくり付けてちりんちりんと鳴らすファッションが流行っていたらしいが、おしゃれなフランス人たちの間では「まるで道化のようだ」と酷評され、嘲笑の的だった。

 楽士たちが賑やかな曲を演奏し、道化に扮した誰かがへんてこなダンスを舞いながらフードの鈴を鳴らした。


「はっはっは、これほどゆかいな仮装パーティーは初めてだ!」


 父王は腹を抱えて笑い転げた。


「みな、楽にしてくれ。今宵は大儀であった。だがな、余が考えた仮装はもっとすごいぞ!」


 王は玉座の下から革製の鞭を取り出すと、大理石の床を叩いた。

 すると、幕間から毛むくじゃらの熊が数頭あらわれた。

 宴席は一瞬どよめいたが、よく見ると熊たちは二本足で立っていた。

 この日の余興ために、父王は毛皮の端切れを何枚も集め、松やにの接着剤でぺたぺたと貼り付けて「熊の着ぐるみ」を自作したのだ。


「今宵の余は国王ではない。熊使いである!」


 取り巻きの若い小姓ペイジたちに、毛むくじゃらの着ぐるみを着せて宴会芸を仕込んだ。


「さあ、とくとご覧あれ。暴れ熊を手なずけ、自在に舞わせてみせようぞ」


 観客の貴族たちは喝采を送り、父王は上機嫌だった。

 熊使いに扮し、指揮棒を振るように、小気味良く鞭を振るった。

 着ぐるみの小姓たちは最初は上手く演じていたが、次第に動きが鈍くなっていった。

 何度かテンポを外すと、父王は不機嫌さをあらわにした。


「何をしている。何度も稽古をしたではないか!」


 楽団は演奏を中断し、小姓たちは父王の足元に駆け寄ってひれ伏した。


「ちゃんと余の合図を見よ」

「申し訳ございません。前がよく見えないのです」

「ム、そうか。稽古は昼間だったからな。仮装パーティーが夜だということを忘れていた」


 着ぐるみの小姓は、怯えた様子で震えていた。


「申し訳ございません、申し訳ございません!」

「なにとぞお許しくださいませ!」


 主催の権力者に気を遣いすぎると、宴会は白けて盛り下がる。

 父王は雰囲気を察すると、気を取り直して「まあいい、顔を上げよ」と促した。


「今宵はゆかいな仮装パーティーであるぞ。無粋な無礼打ちなどしないから安心せい。気楽に楽しもうではないか」


 楽団が演奏を再開し、着ぐるみの小姓も観客もほっと安堵したかに見えた。


「暗くて見にくいならば、どれ、明かりを増やして見やすくしてやろう」


 父王は精神を病んでいたが、非情な暴君ではなかった。

 少なくとも、この夜の父王は優しくて親切だった。


「誰ぞ、松明をもて」


 父も私も、好き好んで王家に生まれたのではない。

 父王もまた穏やかに楽しく暮らしたかっただけなのだろう。

 それなのに、父王の周辺には不幸と惨劇がつきまとう。


「どうだ、余が見えるか」


 小姓たちの視界を明るくしようと、父王は親切心で松明を求めた。


 その時、仮装パーティーに遅刻した王弟オルレアン公が、いつものように派手な装いで登場した。大広間に通じる両開きの扉が開け放たれ、新鮮な風がたっぷり吹き込んだおかげで、松明の炎がちらちらと揺らめいた。


「あれ?」


 一堂を見回すと、宴もたけなわだというのに玉座が空いている。

 王弟は、隣席の王妃——私の母・イザボー・ド・バヴィエールの手を取り、口付けして挨拶を交わすと「兄上はどちらに?」と尋ねた。

 王妃は奥ゆかしく、無言のまま流し目を送った。

 視線の先に、奇妙な仮装をした父王と毛むくじゃらの小姓がいた。


「小さな松明では白けますよ。仮想パーティーらしく、もっと派手にいきましょう!」


 王弟は、遅刻した引け目から、その場を盛り上げようとしたのだろうか。

 王と小姓たちをめがけて、いきなり松明を投げた。


「わあ!!」

「ははは! 兄上、私ですよ!」


 火の粉が飛び散り、毛皮の着ぐるみに火が移った。


「えっ……」


 父王は裁縫ができない。

 だから、松やにの接着剤を使って毛皮の端切れを貼り付けた。

 知っての通り、「松やに」は可燃物だ。


「あ……ああッ! 誰か!!」


 小姓たちは着ぐるみごと火炎に包まれ、断末魔の叫び声をあげながら踊り狂った。ある者は、燃えながら逃げ惑ったあげく、ワイン樽の中へ飛び込んだ。

 ぼたぼたと滴り落ちる断片は、熱で溶けた松やにか、毛皮の端切れか。

 それとも、人の皮膚あるいは皮脂だったのだろうか。


 そして、誰にも——王の権力を持ってしても為す術なく、小姓たちは焼け死んだ。

 焼死体と着ぐるみは完全に焼き付き、一体化していた。

 毛皮を剥がして「中の人」を取り出すことはできなかったという。


 人々は、奇行と惨劇の絶えない父王シャルル六世を「狂人王」と呼んだ。

 その一方で、心が穏やかな日に接触した者は「親愛王」と呼んだ。







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