1.2 狂王シャルル六世(1)発病【改稿版】

(※)第一章〈幼なじみ主従〉編「1.2 父は狂人王(1)」を全面的に改稿して差し替えました。改稿前の旧バージョンは番外編の章にあります(https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614/episodes/16817330669411055256





 らせん階段を上っているような、下りているような——

 頭上から淡い陽光が差し込み、夜になればいつのまにか灯火がついている。

 らせん階段の先には、見慣れたがある。

 ここは、私の「スペシャルプレイス」だ。

 壁一面が本棚で覆われていて外が見えない。

 誰かに覗かれることもない。

 私が招かない限りは、何人たりとも入れない。


 生前、アラン・シャルティエという旧知の詩人が、私についてこう謳った。


「あなたの容姿は美しいとは言えない。王家の人らしい顔立ちなのに、残念なくらいに威厳がない。けれど、あなたの目はいつも不思議な光をたたえている。瞳の奥に、ちらちら揺れる灯火ともしびが見える」


 王らしい威厳が身に付かなかったのは、宮廷生活を知らずに育ったからだ。

 王位継承順位の低い王族は修道院に送られて、野心を抱かないように育てられる。どこかの国と違って、むやみに殺したりしない。

 主要な王族メンバーに不幸があったときの代用品、つまり「王のスペア」として担ぎ出すために生かされる。


 私は宮廷育ちではないが、ある意味「箱入り」と言えよう。

 14歳になるまで王国の苦境を知らなかったのだから。


 私は無知だった。

 図書室は夢見る場所ではなくなった。

 足りない知識を埋めるために、足しげく図書室へ足を運び、偉大な先人が残した足跡を読み、少しでも過去から教訓を得ようとした。


 我がフランス王国は歴史が長く、歳月を重ねただけ重くて、そして風前の灯だった。


 父王シャルル六世は若くして王位に就いたが、ほとんど政務を執っていない。

 しばしば精神を病み、宮廷で問題行動を起こしては内密に処理されていたようだ。




***




 父は生まれつき狂っていたわけではない。


 狂気の兆候が現れたのは1392年。

 私が生まれる11年前で、父王シャルル六世は23〜24歳くらい。


 重臣で友人でもあったオリヴィエ・ド・クリッソンの暗殺未遂事件が起きた。犯人がフランス西部ブルターニュ地方に逃げたため、父王は身柄の引き渡しを求めたが、領主のブルターニュ公は王命を拒否した。


 祖父シャルル五世の時代、ブルターニュでは公位継承をめぐる戦争が起き、フランス王家が支援した勢力が敗北した。

 継承戦争から30年近く経ち、フランス王は代替わりしたが、ブルターニュ公当事者は健在だったから、過去に自分を支持しなかった王家に恨みがあったのかもしれない。


 しかし、ブルターニュ継承戦争の当時、父王は生まれてもいない。

 ブルターニュ公の対応は理不尽で、王の面目をつぶしたも同然だ。


「けしからん! 余に逆らえばどうなるか、思い知らせてやる!」


 父王は怒り狂い、ブルターニュと戦うことを決めた。


 1392年7月1日、父王は軍勢を引き連れてブルターニュ遠征に向かったが、夏の暑さも相まって行軍は遅れがちで、父王の苛立ちはエスカレートするばかり。

 脳が茹で上がってしまったのか、だんだん病的な興奮と支離滅裂な言動をするようになった。


 8月3日、その日は朝から異常に暑かったという。


 ル・マン近郊の森に差しかかった時、ぼろぼろの白いマントを羽織った占い師がフランス軍の前に現れた。


「おまえたちは王軍だな。私は神の声を聞いた預言者だ」

「はあ?」

「神のお告げを伝えたい。王に会わせてくれ」

「この暑さで気でも狂ったのか?」

「早くしろ、王に危機が迫っている!」


 王の取り巻きたちは、あやしい占い師をつまみ出した。


「神の声を聞かない者は呪われるぞ!」

「どんな危機が来ようとも、我ら忠実な家臣団が陛下をお守りするさ」


 占い師はしつこく軍隊に付きまとい、護衛の隙をついて、王が騎乗する馬に駆け寄って手綱をつかんだ。


「高貴なる王よ、これ以上進んではならない」

「な、何だ貴様は!」

「危機が迫っている。すぐに引き返しなさい……!」

「無礼者め! その汚い手を離せ!」


 すぐに護衛が駆けつけて占い師を追い払ったが、王から引き離され、遠くへ連れていかれる最中もずっと不吉な予言を叫び続けていた。


「この王国は呪われている。誰も信じてはいけない! ああ、この中にも裏切り者がいるぞ……!」


 正午ごろに森を抜け、強い日差しを浴びながら進軍していると、王の武具を運んでいた小姓ペイジが手を滑らせて槍を落とした。時計仕掛けが連動するように、倒れた槍は次から次へと武具を薙ぎ倒し、別の小姓が運んでいた兜に当たって派手な金属音を響かせた。


「いっけね!」

「もう、気をつけろよなー」

「あははは」


 猛暑の正午過ぎだったというから、きっかけは手汗だったのかもしれない。

 そそっかしい小姓がやらかしたになるはずが、狂気と恐怖が発動する合図になるとは誰にも想像できない。


「裏切り者はおまえか?」


 父王は熱を帯びた息を吐き、誰ともなしに問いかけた。


「えっ……?」

「裏切り者はおまえかと聞いている」

「陛下、一体何を……?」

「ええい、余が直々に成敗してくれるわ!」


 父はぶるりと身震いすると、唐突に剣を抜いて叫んだ。

 そして、なおも困惑する自軍の騎士に向かって襲いかかった。


「裏切り者に突撃せよ。奴らは余を敵に引き渡すつもりだ!!」


 狂気に目覚めた王は、馬に拍車をかけて行軍のまっただ中に躍り出ると、重臣から一兵卒まで片っ端から撫で切りにした。


「この、裏切り者めーーーっ!!」


 忠誠を誓った王に刃を向けることはできない。

 兵士たちは事態を飲み込めないまま、散り散りになって逃げ惑い、気の利いた重臣たちは他の王族を守ることに専念した。


「敵襲か? なぜ、誰も剣を抜かない!」

「王弟殿下、お逃げください!」

「何をいう。陛下をお守りしなくては……」

「そ、その陛下が! どうやら襲撃犯らしいのです……」

「そんなバカな……」


 その時、近くで悲鳴と血飛沫があがった。


「ぎゃあああああああ!!」

「ポリニャック卿ーーー!!」


 まるでタロットカードの死神のような——、王家の旗をはためかせ、血濡れた武具を振りかざし、倒れた死傷者を馬脚で踏みにじる狂王がそこにいた。


「うわああああああああ!!」

「陛下、ご乱心ー!」


 ある者は落馬し、ある者は背後から切りつけられ、またある者は王を取り押さえようとして返り討ちにされた。勇気ある侍従と兵士が連携して数人がかりで王を馬から引きずり下ろし、地面に取り押さえるまで王の凶行は休むことなく続いた。


「はあ、はあっ!」

「陛下、一体どうなさったというのです!」

「はあ、はあ……」

「まさか、悪魔にでも取り憑かれましたか?!」


 忠実な家臣の心情としては、王の身体を傷つけることはできない。

 これ以上の犠牲は何としても避けたいが、王を縛り上げることも躊躇われる。


「我らはどうすれば……」


 幸い、屈服した父王はほとんど抵抗を見せなかった。

 さんざん暴れてよほど疲れたのか、気がつくと深く眠りこけていた。


「ぐうぐう、むにゃむにゃ」

「ええっ……」

「寝てる……」


 フランス軍は王の襲撃によって数人の死亡者と多数の負傷者を出し、ブルターニュ遠征は中止となった。ブルターニュ公の真意も、暗殺未遂の真相も、王に予言を告げた占い師の正体もうやむやだが、もはやそれどころではない。


 父は一度も目覚めず、昏睡状態で王都パリに帰還した。


 今度は睡魔に取り憑かれたのか、三週間後にようやく目覚めた。

 父は正気を取り戻すと、凶行の許しを乞い、回復を願ってシャルトル大聖堂に巡礼したが、翌年、再び狂気に陥り、錯乱状態で宮廷の中を走り回った。


「悪魔め、裏切り者はどこだ!」


 凶暴なまなざしと恐怖に怯えた表情で、奇行と罵詈雑言を繰り返す。

 時には、王妃や子供のこと、自分の名前や王であることさえ忘れ、入浴と着替えを半年間も拒絶して暴れた。


「けがらわしい。何人たりとも余の体に触れるな!」


 ついに、侍医さえも「陛下は悪魔に呪われた」と言い出した。

 治療できると宣言して治らなかった場合、侍医は処刑される可能性があったから、理由の分からない病気は「悪魔のせい」と診断されるのが普通だった。


 正気を取り戻す期間もあったが、狂気に襲われているときは手の施しようがなく、王自身と周囲を取り巻く人々を守るために、城の出入り口を厳重に閉ざすようになった。







(※)改稿前の旧バージョンはこちら。

▼1.2 父は狂人王(1)シャルル六世:

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