第36話 僕と大切な扇風機

 大学の講義を終え、自分のスマホを確認すると、メッセージが届いていた。それはマナからではなく、昨日フリマアプリで、扇風機を出品していた人からだった。


『購入ありがとうございます! 相談なのですが、直接受け取りに行く事は可能でしょうか?』


 メッセージには、そんな事が書かれていた。僕は、てっきりマナのマンションに、宅配便で来ると思っていたので、まさかそんな提案が来るなんて、思っていなかった。


「面倒だと思っているようだね?」

「人の心、勝手に読むな」


 僕の隣りの席で、講義を受けていた五木弥生。未だに僕に執拗以上に付きまとってくるので、物凄く鬱陶しい。


「変な物を送って来るよりマシじゃないかな? フリマアプリは、現物とは全く違う、変な物を送り込んでくる、詐欺(さぎ)紛(まが)いのような事もよくあるって聞く」

「それぐらい、言われなくても知ってる」


 なぜ、直接受け取りに来て欲しいなど言うのか。僕は不審に思ってしまう。


「同じ都道府県のようだし、送料をケチりたいのかもね」

「少し黙れ」


 五木弥生の囁きが、物凄く鬱陶しいと思いながら、僕は考える。今日の講義は午前中で終わったので、今から受け取りに行く事も可能だ。五木弥生宇の言う通り、相手も僕と同じ都道府県で、電車やバスを使えば、すぐに帰ってこられる場所だった。


「早く手に入れたい気もする。なら、早急に受け取りに――」


 五木弥生を無視して、僕は大学を出て、購入した扇風機を受け取りに行くことにした。




 駅前に行くため、僕はバス停でバスを待っていると、相手からメッセージが来た。


『ありがとうございます! では、竹葉駅でお待ちしております!』


 竹葉駅は、そこまで離れていない駅。すぐに帰ってこれる駅で、マナが仕事を終えて帰って来るまでには、充分に帰ってこれるだろう。マナにもサプライズしたいし、連絡はしないでおこう。

 それから、バスから電車に乗り継いで、僕は竹葉駅に到着した。


「……着きましたっと」


 メッセージで送ると、すぐに相手から返信が来た。


『わざわざ足を運んでいただき、ありがとうございます。すみませんが、ちょっと家を出るのが遅れてしまったので、もう少し待っていただけますか?』


 向こうから提案したのに、なぜ遅れるのだろうと思いながらも、僕は目立つであろう、改札近くで待つことにした。


 それから1時間後――


『すみませんっ! 道が渋滞しているので、もう少し、もう少しだけ待ってもらえませんか?』


 1時間も待ったと言うのに、相手がかなり遅刻している。もう購入手続きをしてしまったので、このまま帰ってしまうと、更に面倒なことになりそうなので、僕は少し苛々しながらも、相手が来るのを待つことにした。


 更に1時間後――


「……どうなってんの」


 相手が全く来る気配がない。夕方に近づいているので、授業を終えた高校生が段々と入って来て、駅のホームに入って行く。


「あ、あの……。お姉さんががランランさんですかね……?」


『早く来てくれませんか? これ以上は待てません』とメッセージを送ろうとした時、かなり息を切らしている、還暦を迎えているであろう、高齢の女性が、僕に話しかけてきた。


「そうです」


 僕は、フリマアプリのアカウント名を、『ランラン』で登録している。


「よかった……。私が、出品者のキクエです……」


 向こうの名前は、確かにキクエと言った名前だった。年齢まで分からなかったので、まさかこんなお婆さんが、僕に扇風機を売ってくれる人だと思わなかった。


「ごめんなさい。私ね、山の中に住んでいるから、道中に、落石があって、かなり迂回してきたせいで、こんなに遅れてしまったの……本当にごめんなさい」

「別にいいですよ。僕も浮かれていたみたいで、かなり早く来てしまっただけですから」


 こんな風に頭を下げられては、僕も文句を言えない。


「これね……ランランさんが購入した扇風機……」


 百貨店の名前が入った大きな袋の中に、確かにフリマアプリで見た扇風機が入っていた。元々白かったのであろう、扇風機の本体は日焼けをして、茶色っぽくなっている、かなり年季の入った扇風機だった。


「ありがとうございます。この場で払っても良いんですが、後に支払う事になっていたので、今回は貰うだけになってしまいます」

「本当は、タダでいいぐらいで、尚更かなり待たせてしまったし、タダで受け取ってほしいぐらいだけど、無料だと怪しんで誰も買ってくれないからって、娘に言われるがままに、その値段で売ったのだけど……あ、心配しないでね、ちゃんと動くから」


 このお婆さんの様子だと、嘘はついていない。人当たりもよさそうなので、変な物を買わされた訳ではないようだ。


「お姉さんは、まだ独身……?」

「……まあ」


 僕は男だ。けど、このお婆さんに僕が男だと説明しても、お婆さんは混乱してしまうだと思うので、僕はマナが作った設定、蘭子で行こうと思う。


「そうなのね。なら、この扇風機をランランさんに託せる」

「何か、思い出深い物ですか?」

「ええ。この扇風機、私が親から結婚祝いで貰った物なの。けど、先月に旦那を亡くして、一人暮らしは危ないからって、娘のいる大阪で暮らす事になった。長年過ごした家も取り壊して、家財の処分に困っていた時に、娘にフリマアプリの存在を知って、この思い出深い、扇風機を手放すことにした」


 そんな大切な物、家具も何もないマナのマンションに置いていいのだろうか。あわよくば、マナはびしょ濡れになった服でも乾かすのに使おうとか言っている。


「最近は便利になったわ。家電なんて、中々人に譲る事も出来ないし、使えるのに捨ててしまう所だった。けど、ランランさんに買ってくれて、扇風機も第二の人生を歩めて、扇風機も喜んでいると思うわ」


 お婆さんは、最後に深々と頭を下げた。


「買っていただき、本当にありがとうございます」


 この扇風機は、お婆さんにとっては、自分の子供のように大事な物なんだろう。もしかすると、我が子を嫁に出すときの親って、こんな風に嬉しくて寂しい、複雑な気持ちで祝福するのかもしれない。


「こちらこそ、そんな大切な物を譲っていただき、感謝します」


 そんなお婆さんの姿を見て、僕はしっかりと扇風機の入った袋を持った。


「新たな家族として、大切に過ごしていきます」


 僕も頭を下げて、お婆さんの大切な扇風機を持って、僕は改札を通り抜けて、マナのマンションに帰ることにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る