第35話 私は、蘭丸君の帰りを待つ

 鉾田さんの件で、時間がかかってしまったため、日が暮れてしまった。

 鉾田さんも、熊谷さんが欠勤している事を知っていたが、特に交流する事もないため、結局、詳細は分からず仕舞い。何の成果も得られる事も出来ず、とぼとぼと歩いていた。


『そう怒らないでくれよ~。先方の接待していたら、こんな時間になっちゃった――って、もしもし、もしもしっ!?』


 信号待ちをしていると、隣りで通話していたサラリーマンが、奥さんに怒られていた。

 辺りは薄暗い。何も連絡をしていない、きっと帰りの遅い私を、蘭丸君は心配しているのだろうと思い、私は急いで帰宅する。


「……あら? ……帰っていない?」


 自分の部屋に到着するが、玄関は鍵がかかったままだった。蘭丸君から連絡が来てないかと思って、スマホを確認したが、着信も、ラインのメッセージも来ていなかった。


「……ただいま」


 誰もいない、薄暗い部屋に電気をつけると、更に虚無を感じる。

 蘭丸君と同棲を始めて以降、いつもマンションに帰ると、もやしのおひたしを作っている蘭丸君、勉強している蘭丸君、自分の布団を敷いて、ゴロゴロしている蘭丸君。どんな時でも、帰ったら蘭丸君がいたから、さらに寂しく感じる。


「……大学の講義が長引いているのですよね。……そう、きっとそうですっ!」


 自分に暗示をかけて、部屋着の体操服に着替えてから、私は推しの育成をしながら、蘭丸君の帰りを待つことにした。


「……」


 いつもなら、捗るはずの推しの育成。なのに、今は全く捗らない。何度も、スマホで時間を確認してしまう。たった1分ぐらいしか経っていないというのに、長く時間が経った気がする。


「……あっ、失敗した」


 いつもなら、こんな些細なミスなんてしない。失敗の可能性が99%の状態なのに、間違えてトレーニングさせてしまい、推しを怪我させてしまう。


「……」


 トレーニングに失敗して、悔しそうに涙を流す推しの姿を見て、なぜか私も目尻から涙が垂れた。


「……高松さんの勝負に負けたら、蘭丸君のせいにしますからね」


 全く推しの育成に集中できない。なので、私は気を紛らわせるために、蘭丸君を迎えに行くことにした。




 マンションを出て、私は蘭丸君がいつも使っている、バス停に向かった。歩いて5分の所に、大学方面に向かう路線バスがある。今からでも降りてくるのではと思って、私はバス停の前で、蘭丸君を待つことにした。


「……最終便にも乗ってなかった」


 本日の最終バスにも、蘭丸君は乗っていなかった。


「……もしかすると、入れ違いで帰っているかもしれませんね」


 肩を落として、私はマンションに戻った。けど、私の部屋は鍵かかったまま、部屋の中も真っ暗で、まだ蘭丸君は帰っていなかった。


「……もう10時……ですよ」


 自分の布団に寝転がって、私は何もない天井を見つめる。あと2時間で日付が変わる。日付が変わったら、会社に行かないといけない。


 日付が変わっても、帰ってこなかったらどうしよう。二度と蘭丸君が帰ってこなかったらどうしよう。


「……蘭丸君」


 スマホの画面は、何も変わらない。通話しても繋がらない、ラインでメッセージを送っても、既読すらつかない。どうしてしまったのか、私はより一層、不安になってしまう。


「……高松さんの仕業ですか?」


 ずっと蘭丸君に会えていないせいか、私はそんな事を考えてしまう。私との勝負に勝つため、事前工作と言った事を――


「……そもそも、蘭丸君と高松さんは面識ないですよ」


 親睦会の時に、高松さんはいなかった。だから、高松さんが蘭丸君を誘拐する事は無いだろう。


「……じゃあ、あの五木さん?」


 蘭丸君を、どうしても男の娘が経営する喫茶店、男の娘クラブで働く五木さんの仕業じゃないだろうかと思ってしまった。運の悪い事に、蘭丸君と五木さんは同じ学科のようで、よく遭遇してしまうみたいだ。


「……」


 強引な方法でも、五木さんなら蘭丸君を勧誘しようとするだろう。


「……蘭丸君を迎えに行かないと」


 ただ待っているだけじゃ、何も状況が変わらない。電話にも、ラインの返事も無いという事は、やっぱり蘭丸君の身に、何かが起きたとしか思えない。私も最後に足掻いてやろうと、頬を思いっきり叩いて、気合を入れてから部屋を出た――



「マナ。遅くなった」



 部屋を出たすぐの場所に、大きな袋を引きずって歩く、蘭丸君の姿があった。


「……あの。……その」


 蘭丸君は、申し訳なさそうに、私から顔を逸らし、言葉を詰まらせる。


 こう言った時は、蘭丸君に駆け寄って、蘭丸君の中で泣き崩れた方が良いのだろうか。

 蘭丸君に会いたかった、心配したなど、彼女としてそう言った態度を取った方が良いのだろうか。

 けど、それは蘭丸君に嫌な思い出を作らせてしまう。私が心配したと、少しぐらい連絡入れてほしいなど、怒った方が良いのかもしれない。けどこの様子だと、蘭丸君に何か理由があったのだろう。


「お帰りなさい。もやしのおひたし、キンキンに冷えていますよ」

「自分が作ったように言うな」


 私はとても心配した。けど怒らない。いつものように立ち振る舞い、二人で蘭丸君が作ったもやしのおひたしを食べようと思い、私は初めて出会った時のような、柔和な目で、蘭丸君を迎え入れた。

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