第22話 私の初めての給料日

 蘭丸君は、家事をしながら大学に通い続けて、そして私も、機械の操作や、仕事内容、社会人としてのルールなどを学び続けた。


「お疲れさん」


 月末、ゴールデンウィークに入る前のある日に、玉川課長に封筒を渡された。何か悪い事でもしたのかと思って、私はきょとんとしていると、玉川課長に鼻で笑われた。


「これ、給料明細書。初任給でどれだけ貰えたか、ちゃんと覚えておけよ」

「あ、ありがとうございますっ!」


 人生で初めての、労働で得た給料。感極まって泣きそうになったけど、私は堪えて、大きく玉川課長にお辞儀をした。


「確認すりゃいいんやぞ。給料気になって、集中できないのも困るからなぁ」


 私に指導してくれている、私のお父さんとあまり年齢が変わらない上司の川端さんにそう促されて、私は川端さんにも頭を下げてから、初任給を確認した。


「……なる……ほど……です」


 私の初任給は、12万円強。そして税金で数万円取られて、手取りで11万円を切っていた。


「予想していたより、低かったんか?」

「ま、まあ……」

「そりゃあ、しゃーない。教育期間でもあるし、まだいろんな手当とか入っていないからな。お金欲しいんなら、地道に働いていく事やな」


 川端さんにそう言われ、私は少し肩を落としていた。確かにまだ手当とかは付いていない。玉川課長も言っていた、夜勤とか絡んでくると、少しは給料は上がるだろう。これから生活するため、推し――蘭丸君と一緒に暮らしていくためにも、私の多少のプライベートを削ってまで、この会社に貢献しないといけないのかと思うと、私はこの世界に不信感を持つ。


「木下さん。世の中には、お金が欲しくても貰えん人だっている。たった少額な給料でも、とてもありがたーく思える日が、いつか来るはずや」

「はい……」


 川端さんに軽く怒られた後、私は気持ちを切り替えて、今日の研修を始めようとした時。


「ありがとうございますっ!!! こんなどこの馬の骨か分からない余所者に、こんなたくさんの給与をくれるなんて、とても感謝しますっ!!!」


 機械音にも勝る、小金井さん。川端さんとほくそ笑んだ後、今日の研修を始めた。




 そして定時になったので、私は会社を退社しようとすると、私は誰かに背中を叩かれた。


「師匠。お疲れ~」


 誰かと思ったら、別部署になった市川さんだった。市川さんは検査を専門とする部署に配属されたはず。


「師匠、機械音うるさくて、耳おかしくなんない?」

「どちらかと言うと、小金井さんの声の方が……」


 先程もそうだったけど、あれだけうるさい機械音でも、なぜか小金井さんの声は遠い場所にいてもはっきり聞こえる。前に、眠そうな夜勤終わりの人に、うるさいって怒られていたこともあった。


「小金井さんらしいわ~。あ、そうそう。給料、どうだった?」


 そして市川さんは、デリカシーの無い質問をしてきたので、私は詳細な事は言わずに、返答する。


「まだ研修の身ですから、決して多くありませんよ」

「だよね~。高卒だからと言って、更に給料を少なくしてんじゃないんかと思うわ~」


 大卒と高卒では、かなり給与の差が出ると聞く。そう思うと、なぜか高松さんの顔が浮かんで、にんまりと給料明細書を眺めていた光景を思い出すと、私は思わず地面を蹴飛ばしたくなった。


「師匠は、初めての給料、どうするの?」


 初めての給料は、マンションの家賃と、光熱費に使う。それらを支払ってしまえば、給料も残りわずかになるだろう。


「特に何も考えていませんよ」

「そっか~。ねえ師匠、初めての給料、親に使うっておかしい?」

「いいえ。おかしくありません。自分で頑張って稼いだお金ですよ。何に使おうが、市川さんの自由です」


 それは素晴らしい事だ。私みたいに、残った給料を、推しのために使うよりは、有意義な使い方だろう。


「小さい頃からさ、色んな所に連れて行ってくれたり、色んな物を買ってくれた。少量でも、親孝行出来たらなって思って、ゴールデンウィークに外食でご馳走しようかなって思った訳よ」

「素晴らしい事ですね。きっと、市川さんのご両親もお喜びになるはずです」


 私に相談したからか、市川さんは自信が付いたようで、にひっと私に笑いかけた。


「あのクソ親、何でうちの夢を壊すのかなって思っていたわけ。パリコレに出れるようなカリスマモデルになりたい、お金が溜まったら、さっさとこんな会社辞めようと思っていたわけだけどさ。いざ給料もらったら、こうやってお金を稼ぐのも悪くないなって思った」


 そして市川さんは、天を仰いで、こう呟いた。


「何だか生きてるって、実感する」


 市川さんは、どこか吹っ切れたような表情をしていた。一皮むけたような、誰よりも最初に、大人の世界に順応した気がした。




 市川さんと別れた後、私はマンションに直帰した。


「ただいま帰りました」

「お疲れさん」


 部屋には、ちゃんと蘭丸君がいて、自分のスマホを操作していた。


「蘭丸君。本日、給料日でした……って、私の顔に、何かついていますか?」


 給料日、そう蘭丸君に伝えると、蘭丸君は私の顔をじっと見ていた。


「……初日に遅刻ギリギリ。……家では、同期がウザいとか言ったり、推しが育成出来ないから、やる気出ないと言っていたり。あれこれ言っていたのに、ちゃんと給料は支払われるんだなって」

「外では真面目に、推しを育成するみたいに、ちゃんと仕事をしていますよっ!?」


 もう一人の私は、裏の事情を知っている蘭丸君の前だけに見せるのであって、表向きは小学生から続けている優等生を演じている。もう機械の操作もほとんど覚え、異常が出た時の対処法を覚え始めている所だ。


「……それで、蘭丸君。あと数日で連休があるじゃないですか」

「あるね。今年は5連休だったはず」

「……残った給料で、何か思い出になるような事をしたいのですが、どうでしょうか?」


 貯金しろ。未だに買えていない電化製品でも買えとか言ってくる覚悟で、蘭丸君にそう提案すると。


「いいよ。そうとなったら、連休が楽しみになって来た」

「私もです」


 蘭丸君も了解してくれて、私も残りの数日間を乗り切れる気がした。

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