第9話 私と昼休憩の急展開

 午前の研修が終わった瞬間、私の体に緊張が走る。

 大丈夫。午前中、私は慎重に過ごしてきたから、これから、私の身に悲惨な事は起きないだろう。


「……良かった」


 蘭丸君が私に渡してくれたお弁当、もやしのおひたしは、汁漏れする事無く、美味しそうなディフォルメを保っていた。もし汁漏れしていたら、蘭丸君に何を言われるか。私のスマホを没収されるだろう。


「午前中は、とても有意義な時間を過ごせたっ!! やはり、先輩たちは凄いっ!!」


 そして小金井さんの大きな独り言。現場の見学、先輩たちや管理職との交流会の時でも、率先して質問し、周りの音に負けないぐらいの大きな声だった。けど、そんな小金井さんの姿は異様なのか、みんな苦笑交じりに答えたり、じんわりと距離を取ろうとしていた。


「……ちっ」


 小金井さんが嫌いな熊谷さん。小金井さんが話す度に、熊谷さんは小さく舌打ちしている。


「……うるせ」


 それぐらい嫌っているようで、熊谷さんはそう小さく呟いてから、昼食が入ったコンビニ袋を持って部屋を出ようとしたら。


「熊谷君っ!! 一人で食べるのは勿体ないっ!! きっと寂しいだろうっ!! だから仲良く、お話ししながら昼食時間を――」


「――っ!!」


 熊谷さんは、コンビニ袋を乱暴に投げ捨てて、小金井さんに近づこうとしていた。

 熊谷さんが遂にキレる。そうなったら、一気にこの部屋は、一気に修羅場と化する。そうなったら推しの育成の時間が削られる。

 会社の時間で、唯一推したちを拝める時間。そんな時間に喧嘩なんか始まったら、気持ち良く推しが踊る姿を拝めないので、私は先手を打っておいた。


「あっ、すみません」


 運悪く、私の前の席は小金井さんだ。そのため、熊谷さんが私の近くに通るので、私はワザと熊谷さんの足を自分の足で引っかけて、躓かせた。


「急に飛び出してごめんなさい。今から飲み物でも買おうかと思っていたところだったので」

「……」


 これで一時的に怒りは抑えられたのか、熊谷さんは無言のまま、この部屋を出て行った。これで私は、こっそりと推しの育成を――


「木下さんっ!! 飲み物を買うつもりなら、僕のも買ってきてくれないかっ!?」


 あーっ。こうなるんだったら、熊谷さんと小金井さんをバトルさせて、どさくさに紛れて部屋を出るんだった。


「この中で一番の最年長、この小金井尊が、入社祝いとして、皆に飲み物をご馳走しようじゃないかっ!!」


 奢るつもりなら、私を使わないで欲しい。


「わーっ。小金井さん、ありがとうございます~」


 そして高松さんは、小金井さんの言動を称えるように、小さく拍手していた。この高松さんの態度、ぶりっ子みたいで、段々と苛々してきた。


「木下さんっ!! 僕はお汁粉を頼むっ!! これでみんなの分、自分の分も買ってきて欲しいっ!!」

「は、はーい……」


 小金井さんから千円札を押し付けられてしまったので、私は断ることが出来ず、みんなの分の飲み物を買う事になった。

 これも優等生、完璧な美少女のイメージを崩さないため。嫌な仕事、面倒な仕事でも、私は引き受ける事にしている。


「木下さん、ありがとう。私は、深夜の紅茶」


 高松さんは、紅茶を要望。何どさくさに紛れて頼んでんだと、一瞬、顔に出そうになってしまったが、私はニコニコしながら頷いた。


「ほら、鉾田君も何か頼むといいっ!!」

「……コーラ……お願いします」


 小金井さんにそう言われて、鉾田さんは申し訳なさそうに、私にお願いしていた。まだ、このような態度なら仕方ないなと思う。どこかの媚びを売っている、高松さんとは大違いだ。


「一人じゃ大変っしょ。うちも行く」


 本当に、市川さんは、小金井さんに酔いしれている高松さんとは、えらい違いだ。一人だと大変だと思って、市川さんも私に付き合ってくれるようだ。

 見た目は、渋谷や原宿にいそうな、ギャルっぽいのに、意外と優しい性格だ。そんな見た目のせいか、絶対に仲良くなれないと思っていたのに、こんな風に接してくるせいか、親近感が湧いてくる。


「それでは、少々お待ちくださいね」


 礼儀正しい、優等生のキャラを演じ続けるため、私はそう言ってから、部屋を出た。





 私は、推しの育成を我慢しながら、市川さんと一緒に自動販売機がある場所に向かっていた。


「あの木下マナでいいんだよね?」


 二人っきりになると、急に市川さんの様子が変わった。


「誰もが羨む美少女高校生、それが木下マナ。毎日、どこかの事務所からスカウトしに来るって噂だったけど、それ本当?」


 私の知らない所で、変な噂が広がっているようだ。何度か、学校の前でスカウトマンがいて、スカウトされたことはあるが、毎日スカウトはされていない。


「そ、それは――」

「めっちゃ羨ましいんですけどっ!」


 市川さんに両手を持たれ、本物のスターでも会ったかのような、目をキラキラしていた。


「木下さんっ! うちに男にモテるテクニックを教えてくれないっ!?」


 まさかの私に不向きな相談をされるとは。この話を蘭丸君に言ったら、笑われるだろう。


「親がうるさいから、渋々この会社に入ったけどさ、本当はパリコレに行けるような、カリスマモデルになりたかったの。けど、この会社に木下さんと出会って、またモデルになりたい気持ちが出てきちゃってさ、だから、うちの夢を叶えるため、木下さんも何かアドバイスが欲しいっ! お願い、難しい事でもやり遂げるからっ!」


 土下座までされそうな雰囲気だったので、私は渋々承諾し、私の新たな手駒――ではなく、この会社で出来た、新たな仲間として、私は市川さんと仲間を深めることにした。

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