第5話 僕と彼女と一日の終わり

 マナがどうなったのだろうか。

 ちゃんと入社式を乗り越えることが出来たのだろうか。


「……48本目」


 通話が切れて以降、居ても立っても居られない僕は、一度家に帰って、バスケットボールを持ってきた。

 公園内をジョギングしていると、マナの会社近くの公園に、バスケットゴールがあったので、気を紛らわすため、永遠とシュートをしていた。


 ダムッ、ダムッ、ダムッ……


 近所の子供も遊びに来ていないようで、僕だけがただ一人でバスケットボールを練習しているだけだ。ドリブルの音が、虚しく公園中に響いていた。


「……49本目」


 部活動から引退して1年ほど。腕は落ちていないようで、5本中3本は成功している。僕はポイントガードのポジションに入って、声帯模写を上手く利用して、相手を錯乱させ、相手からボールを奪う、スティールをして、僕は得点を稼いでいた。


「……ダンク……やってみようかな」


 次で50本目。ダンクをやった事は無いが、今の僕なら出来そうな気がするので、助走をつけて、そしてダンクを試みる。


「……届かないっ!」


 大目に助走し、可能な限りにジャンプしたが、やはり身長が無いせいか、ダンクは無理だった。すぐにレイアップシュートに切り替えて、50本目を決めた――


「外した――」


 決めたと思ったら、急に体勢を変えたせいか、入るはずのレイアップシュートが外れ、リングから地面に向けてボールが落ちた。


「よっと」


 無様に落ちるはずのボールは、仕事を終えた木下マナの手の中に収まり、そしてゴール下からシュートを決めた。


「疲れるようなことを自らするなんて、私には理解できないぞー」

「どこかの誰かさんのせいで、体を動かさないと、落ち着かなかったんだよ」


 遠回しに心配したと言うと、マナは僕の気持ちを察したのか、へらへらと笑った後、マナは薄っすらと微笑んでいた。


「ただいま」

「お疲れさん」


 やはり、初めて踏み入る大人の社会に緊張していたのだろう。シュートを決めた後、僕がいなくても余裕だったと言わんばかりの表情だったが、僕の顔を見た瞬間、マナは安心したような、柔らかな表情をしていた。


「それで、結果は?」


 自己紹介は上手く言ったと思うが、その後はどうなったのか。一応、僕も関わってしまったので、続きが気になっていた。


「新入社員が真っ二つになった」

「どうしてそうなった?」


 確か6人いたはずの新入社員。みんな初対面で、多分よそよそしくて、些細な会話をするような関係になるのは、まだ先になりそうだが――


「……あの声の大きい人のせいか?」

「そーそー」


 確か、小金井さんって名前の人だ。スピーカーにしていない通話でも、遠くに置いていても全然聞き取れるぐらいの、爆音で話す、超熱血系の人だ。


「まあ、日も暮れて冷えてきたし、蘭丸君の体も冷えちゃうから、帰ってから話してあげるよー」


 どうしてそうなったのかが気になるが、マナの言う通りに、外は段々と冷えてきた。冬みたいに着込んでいる訳ではないので、早く帰えろう。


「どこに行こうが、僕の体は冷えるけど」


 貯金が無いので、エアコンもストーブも無いから、マンションで話そうが、ここでずっと話してようが、気温に変わりはないと思う。雨風がしのげるぐらいしか、あの部屋は機能していないだろう。


「なら、ファミレス行くー? 中は暖かいし、色々話したいことあるからさー、入社祝いとして、食べに行こー」

「そんなお金、無いけど。だから、今晩ももやしのお浸し」


 一応、僕の体は労わってくれるようだ。たまに、僕とスマホの中の推したち。どちらが大事なのか、分からなくなる。




 マンションに帰り、もやし料理を食べた後、光熱費と水道費を抑えるため、簡単に体の汚れをシャワーで流して、入浴を終える。


 マナが借りているマンションは、売れない芸人が住んでいそうボロボロのアパートではない。フローリングのワンルームだが、キッチン、トイレと風呂があり、洗濯機を置くスペースもあり、ちゃんとした家電製品、家具さえあれば、それなりの暮らしが出来る。


「あ~~っ!! そ、そんな所でウインクされたら――っ! ぐはっ……」


 家電や家具が無い現状だろうが、マナが推しを育成するためには、気にならないようだ。あまり外の気温と変わらないはずなのに、マナは見慣れた体操着と伊達メガネ姿で、推しの尊さに死にそうになっていた。


「入らないのか?」

「気が向いたらー」


 自分の体より、推しの育成を大事にしたいようだ。


「あー、蘭丸君に話すんだったねー」

「忘れていなかったのか」


 マナは、自分の部屋に入った瞬間、スマホを充電させ、そして推しの育成を熱中していた。それで、なぜマナの同期が真っ二つになったのかは、未だに謎のままだ。そのせいで、僕はシャワーを浴びながら、色んなパターンを考えると言う、何気に無駄な事に時間を使っていた。


「理由は簡単。自分勝手に、物事を勧めようとしていたからだよー」


 マナは胡坐をかきながら、そう言った。


「私たち、同期と仲良くなるのは良い事だと思うよー。けどさー、個人の都合も考えずに、親睦会を強引に開催しようとしたから、キレちゃったんだよねー」

「マナが?」

「ううん。私は、外では可憐に咲く一輪の花のような、清楚な優雅な、優等生で振る舞うからねー」


 清楚で優雅で行くつもりなら、すぐにシャワーで体を洗った方が良いだろう。


「そーだねー。ほら、高校の時にいたじゃん、キレたら何するか分からない、普段目立たない男子生徒ー」

「……いたような」

「そんな感じの大学生の人がね、キレちゃったんだよー。それで親睦会に参加する人と参加しない人で、私たちは真っ二つって訳よー」


 あの大声の人、小金井さんなら、確かに強引でもそんな会を開いて、みんなと仲良くなろうとするだろう。


「マナはどっち派?」

「……あのアマぁ……許すまじぃ」


 どうやら、マナは同期の女性の人のせいで、参加する羽目になったようだ。このままの木下マナなら、その女性に、充電切れになったスマホを顔面に投げつけているだろう。


「……まあ、そう言うのって、参加した方が良い時があるから、参加して正解じゃない?」

「いやいや。大人の社会って面倒臭いんだよー」


 今日から大人になった人が、なぜ偉そうに大人の世界を語っているのだろうか。


「多分、明日行ったら、私の作業靴に画鋲を仕込まれている」

「そんな一昔前のバレエ漫画のような事って、令和の時代にある?」


 画鋲は無いかもしれないが、万一に嫌がらせは受ける可能性はある。そうなると、参加しない方が得なのだろうか。


「それは冗談だとしてー、とりあえず私の週末が潰されたのは、物凄く悔しい」

「まあ、仕方のない事だからね……」

「だから、蘭丸君も参加」


 マナの意味が分からないので、僕は冷えた夜空の下で、再びジョギングをして、色々考えることにした。

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