第3話 僕と彼女の自己紹介
マンションから歩いて丁度10分ぐらいで、本当に木下マナが勤める会社に着いた。
『
町工場が一か所に集まったような会社が、マナがこれから働くことになる会社のようだ。簡単に侵入出来ないように、高いフェンスに囲まれ、機械の音なのか、どこからか重い音が鳴り響く、何かを作っているのは間違いない。
「蘭丸君、打ち合わせ通りにお願いします」
「はいはい」
僕に頭を下げた後、マナは工場の敷地の中に入っていた。始業時間には間に合っているが、指定された時間には少々遅れてしまっている。だが、マナが咄嗟に言った嘘のおかげで、そこまで怒られないかもしれない。
「……まあ、新生活に相応しい天気だ」
冬の冷たい空気が残る春先。そう言えば、僕が木下マナに告白されたのも、こんな気温で、晴れ渡った空だった。
『私は、桜木蘭丸さんが好きです』
あの時、僕に告白した美少女は、一体どこに行ってしまったのか。木下マナに、双子でもいるんじゃないのかと、そう思いながら、会社近くにあった公園に入り、そしてベンチに座って、自分のスマホを取り出した。
「……」
『通話中 木下マナ』と、表示された画面があるので、依然と通話状態になっているようだが、音が全くしない。別室で怒られているという訳ではないようで、ひとまず第一関門は突破した。
「……」
逆に無音なので、段々と心配になってくる。
「……あの」
無音が続いた後、誰かが、マナに話しかけたようだ。高い声からすると、女性だと思う。
「どうかされましたか?」
変な事を話してしまいそうだと言っていたので。入社式が終わるまで、一切話さない。なので、僕は数時間マナになり切って話さないといけない。マナの声は、付き合い始めてからずっと聞いているので、すぐに声帯模写することが出来る。
「……そこ、私の席なんですが」
マナの奴、初っ端からミスをしていた。
「あ、ああっ! すみませんでした……」
そして椅子を引く音が聞こえたので、マナは無事に移動したようだ。眠すぎて、まともに風景も確認できないのだろうか。
「お待たせしました」
席を移動したところで、おじさんの声がした。どうやら、新入社員の面倒を見る、上司の人が入って来たのだろう。
「始業時間になりましたので、今から朝礼をします」
それから、上司の人は、今後の日程を伝え始めた。入社式は30分後の9時から。それから職場内を見学し、1週間はオリエンテーションや研修する。マナが聞いているのか分からないので、一応僕も聞いておいた。
「それでは、一人ずつ自己紹介してもらいましょうか」
まだ時間があるせいか、新入社員同士の自己紹介が始まってしまった。
「お、すごい目力だ。木下さんから行こうか」
そして、眠気を堪えるために、必死になって目を開けていたであろう、そのせいで、マナからスタートになってしまった。
無難な自己紹介をすればいいのだろうか。名前、出身高校、これからよろしくお願いしますって言えば――
「名前、出身高校、学生の頃に打ち込んだこと、誰にも負けない自分の強み、この会社をどう関わっていき、どんな会社にしていきたいか。そう言った感じでお願いするね」
社会人の自己紹介って、こんな面接で聞かれそうなことを話さないといけないのか……? これは声帯模写で出来る、なりすましでやる範囲を超えている。
「……」
「緊張しているのかな? あまりだんまり込むのは、良くないよ?」
マナは本当に何も話さないようだ。6徹明けの、変なテンションになっているせいで、推しの為なら6徹出来るのが強みとか言い出しそうだ。
「木下マナです」
僕を信頼し、そして信頼しているからか。それともただ瞼を開けるのに必死になっているから、だんまり込んでいるのか。とりあえず、彼女のピンチなので、僕も脳みそをフル回転させて、この難関を突破する。
「清王せいおう高校出身です、常に成績を維持するため、勉強を頑張ってきました、これ学んだ知識を活かして、この会社に新しい風を吹かせようと思います、あと夜には強く、1週間近く寝なくても、活動出来るのが強みですっ!」
何故、僕がこんなに緊張しないといけないのだろうか。段々と早口になっていたし、それをマナは合わせられたのか。
「……ゆ、ユニークな自己紹介だね。……恥ずかしかったみたいだから、もう座ればいいよ」
とりあえず、この地獄のような時間は乗り切った。
「はーっ。社会人になるって、こんなに大変なんだ……」
一旦スマホを顔から離し、大きく息を吐いた。僕も将来、どこかの会社に面接して、大卒をして働くことになる。一足先に、大人の階段を上った気分になった。
『僕は、
スピーカーにしていないのに、僕の耳まで届く大きな声で話すマナの同期の人。この大声で、木下マナの目も少しは冴えるだろう。
『は、初めまして……。
再び耳にスマホを当てると、子守歌のような小さな人が自己紹介をしていた。それから、3人ほど自己紹介していた。どうやら新入社員は6人のようで、最後の人が話し終えると、再び上司の人が話し始めていた。
「はい。今年の新入社員は6人です。同期と仲良くなるのは――」
ブツッ。ツーツー。
上司の話の最中に、マナの通話が切れた。マナがもういいと思って切ったのか、それとも何かのアクシデントで切れてしまったのか。確認しようがないので、僕の役目はこれで終わりだけど。
「……大丈夫だよな」
ここまで関わってしまっては、僕も木下マナの行動が気になる。居ても立っても居られないこの状況に、僕は冷たい空気の中、公園内を走りだした。
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