第10話 震えるヒーロー

「へぇ。また上玉連れてきたじゃないか」

「っ!」


 用件を終えたのか、ヤクザはそう言って二人の間で小さくなっている少女に目を向けた。その男のいかつさに、サナはその端正な顔を強張らせ、肩を震わせる。


「へへ。でしょう?たまたま見つけましてね」

「今から軽く教育して、早速客とってもらおうと…」


 先ほど垣間見た上役の威圧を忘れるためか、二人組は饒舌じょうぜつに語った。それを無視し、ヤクザが少女へ声をかける。


「嬢ちゃん。今いくつだ」

「…15、です」

「その返しはいただけねぇなぁ。お前は18だ。そうだろう?」

「え、あ…」


 サナは、一瞬何を言われているのか分からなかった。だが、18という数字から状況を察する。

 年齢を偽れと、そう言われているのだ。


「返事はどうした?」

「…っ…、は、い…」

「はは。いいねぇ」


 次間違うことはまかりならんと、鋭い眼光で念を押されたサナは、目を逸らしながら頷いた。

 その怯えた様子が、男の嗜虐心しぎゃくしんに火をつけてしまう。


 腰を折り、少女の細いあごを持ち上げ、にたりと笑いながらその顔を覗き込んだ。




「教育がてら俺が買ってやろう」

「…っ!」




 サナは後悔していた。甘い言葉につられて頷いたことを。付いて来てしまったことを。同時に、今更遅いという事も理解してしまっていた。男3人に囲まれていては、逃げることすらままならない。

 仕方がない、仕方がないんだ、と。無理やり自分に言い聞かせ、懐かしくも思う視線を諦念と共に受け入れた。


(…ああ、いつもこうだ。甘い方に流されて、間違えて…)



――諦めて、死にたくなる。



 サナの目から光が抜け落ちる。






 瞬間、後ろから強く右手を引かれた。






「え?」


 頓狂とんきょうな声を上げたサナは、顎を掴んでいた男の手から離れ、5歩ほどたたらを踏んだ。同時、左肩に手を添えられ体を支えられる。

 サナの体勢が安定したのを確認し、手を引いた誰かはその手を離した。そのまま間髪入れずに、サナの前へとその身を滑り込ませる。


 下卑げびた視線を遮ったその体は、存外小さかった。

 サナより僅かばかり高い身長。華奢きゃしゃな骨格。白い半袖から覗く腕は、ほど良く筋肉がついているものの、随分と細く見える。少なくとも、ヤクザとチンピラの3人とは比べるべくもない。


「君、は…っ」


 前に出てくる時にちらりと見えた横顔に、サナは見覚えがあった。

 モーニングメニューと500円玉を見比べていた、同い年くらいの男の子。


「いい加減にしとけよ。おっさん達」


 その少年が、威勢よく啖呵たんかを切った。サナを庇うように、少女が決して奴らの視界に入らないよう、身を挺して盾になっている。必然、男たちの視線は全て少年に集まった。

 その視線の圧力に、少年ことカナタは必死に抗う。


「あぁ?何だテメェ」

「これは大人の話だ。ガキが首突っ込んでんじゃねぇよ」


 チンピラが威圧的に恫喝どうかつしてくる。それを尻目に、割り込んだカナタは、目の前の2人より、その向こうの男へと注意を向けた。

 通り過ぎるだけのつもりだった。だが、恩ある少女の様子に無視もできず、すぐさま方針を変更。その手を引くことを決意したのだ。


(顔がバレてるなら今すぐ捕まる…っ!でももし、この場で言及されなかったなら、もう一つ確認できることがある…!)


 カナタにとって、これは賭けだった。内心の震えを表に出さないよう、口を引き結び、視線に力を籠める。

 そんな少年の強がりを一顧だにせず、ヤクザが二人を押しのけ前に出た。


「何のつもりか知らねぇが、これは真っ当な商談だ。でしゃばられる謂れはねぇぜ。ガキ」


 男から自分の素性に対して言及は無かった。気付いている素振りもない。事を荒立て過ぎないよう、少女の件に関してのみ「引け」と、そう要求している。

 その様子に、カナタは確信した。


(顔は、バレてない…!)


 ならばと、少女を助けると決めた際に見出した、もう一つの確認作業を遂行する。


「ガキだからこそ、18禁って言葉に敏感でな」

「ああ?」


 そう言って、カナタは後ろ手に隠していた携帯を突き出した。その画面に打ち込まれた110番。後はコールボタンを押すだけで、警察につながることになる。


「あんたが真っ当だと言い張るなら、今ここで警察呼んで、どっちの言い分が正しいか確認してもらおうぜ」


――こいつが本当に、18歳だってんならな。


 そう言ってカナタは、少女を連れて数歩下がった。すぐさま携帯を奪われることがないよう距離をとったのだ。


「このガキ…!」

「ほら、どうする?」


 必死に不敵さを張り付けた顔の横で、カナタが携帯を振る。その頬には冷や汗が伝っていた。

 時刻はまだ夕方。日は暮れておらず、まばらではあるが通行人もいる。目撃者を残すような状況での暴力沙汰は、奴らにとっても不味いのだろう。距離を詰めて恫喝どうかつ以上のことをしてくるような様子はなかった。

 数秒の間、少年と男3人のにらみ合いが続く。


「…はっ。その度胸に免じてやる。失せろ」

「兄貴!?」

「なんで!?」


 折れたのはヤクザの方だった。眉根を寄せ、“見逃してやる”と吐き捨てた。あまりにもあっさり引いた兄貴分に、チンピラ二人は驚愕する。

 しかし、それは至極当然の判断だった。何せ“商談”相手の少女は、まだ15歳だと言質が取れてしまっているのだ。男3人で囲んでいたこともある。警察が来て事情聴取ともなれば、男の分があまりに悪いのは明白だった。

 目の前の少年は暗に“聞いていたぞ”と、そう脅しつけているのだ。大事に頭を悩ませている現状、こんな些事さじで手をわずらわされるなど冗談ではない。

 一方、その結論にカナタは内心でほくそ笑む。ヤクザの様子から、一つの確信を得られたからだ。


(確定だ…!末端の警官までは、奴らの手が及ばない…!)


 通報で駆け付ける警官か、あるいはその上司が奴ら側ならば、こんな子供二人くらいどうとでも丸め込めるだろう。それをしないという事は、警察内部で奴らと懇意こんいにしているのは決して大多数ではないという事だ。


 そう結論付けたカナタは、男3人から目を逸らさないまま、徐々に後退する。その様子を横目に睨みつけながら、ヤクザが告げた。


「見逃すのはこの場だけだ。俺のメンツを潰してタダで済むと思うなよ」

「ロリコンにメンツなんてあんの?」

めるのは大概にしておけと言っているのだ。次俺の視界に入れば、五体満足ではいられんぞ」

「…肝に銘じとくよ」


 見逃したからと言って許されたというわけではない。当然ヤクザからすれば許容し難い屈辱なのだ。男はその意を視線に乗せて、少年へと叩きつける。

 数段増した威圧感に、カナタの精神は限界ギリギリだった。それでも、その視線が決して後ろの少女に行かないよう、位置取りだけは徹底する。

 歯を剥くチンピラ二人と殺気を振りまく男からジリジリと距離をとった後、カナタは少女の手を取って足早に去って行った。






 その後ろ姿に、間近で“黒づくめ”を見ていたヤクザの男が、微かな既視感を抱く。


(背格好は似ている…。が、それだけか。10代半ばならどこにでもいる体格だ)


 しかし、カナタの年相応な体つきが幸いし、男は早々にその直感を見限った。


(強がっているのも見え見えだった。クソ度胸は認めるが、見た目通りただのガキだ。ヤツのような得体の知れなさはない)


 目は口程に物を言う。カナタは必死に取り繕っていたが、恐怖に揺れる眼は偏光ゴーグルほど上手く隠せていなかった。百戦錬磨のヤクザからすれば、年相応の底の浅さを見取るのは容易い。


(何より、あの“黒づくめ”は確実にプロだった。ブレない重心に圧倒的なキレ。あのガキのように鈍く、フラついた動きではなかった。…というかあのガキ、まっすぐ歩けねぇのかよ。大丈夫か?)


 さらに、コンディションの悪さもカナタに味方した。睡眠不足に疲労困憊。常の運動能力など、望むべくもない。逆にヤクザからすら心配される始末だ。


「どうしました?兄貴」

「やっぱりあのガキ、この場でシメて…」

「いや、何でもない。散れ」


 ただのガキと結論づけた男は、特段気を払うことなくチンピラを解散させる。

 カナタは、自身がヤクザからどう思われているかを全く知らない。その認識の差異が、すべからくカナタに味方した結果だった。

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