第8話 毒になびく

 凄まじい勢いでモーニングをかっ込んだ後、カナタは動画のチェックを始めた。


 カメラからマイクロSDを取り出し、携帯に差し込む。動画ファイルは2つ。1つ目は銃取引に遭遇した最初のラン。2つ目は奴らの拠点を暴いた前後のビル屋上でのランだ。

 まずは奴らの顔をしっかり確認しようと、2つ目の動画を3つに分割した。見つけた奴らを追って屋上をゆっくり進んだ部分と、奴らの拠点と顔を収めた部分、奴らに追われて逃げた部分だ。

 スマホ一つで動画の編集ができる、便利な時代ではあった。だが、その作業は相当にカナタの神経を削っている。なにせこのデータは劇物だ。扱いを誤れば取り返しがつかない。下手に流出しないよう、一連の編集は機内モードにしてから行ったほどだ。


 動画の原本は、絶対に消さないようカードに残し厳重にしまう。カメラには何のデータも入っていない予備のSDカードをセットしておいた。スマホには3つに分割した動画だけ残してある。そのうち奴らの顔を収めた部分を何度か見返した。

 動画を見ながら、今後の方針を考える。


 どうにか満足が行くだけの補給はできた。だが、これで文無しだ。早急にお金をどうにかしなければならない。取り急ぎ荷物を預けたロッカーを探すのが最優先だが、皆目場所の見当がつかない。手掛かりは景色の記憶のみ。浮かれていた上京直後にどこをどう歩いたのか、ろくすっぽ覚えていないからだ。

 更には、自身の顔が奴らにどの程度バレているのかも探らなければならない。


 いずれにしろ、炎天下の中を歩き回るしか手はなかった。しかし、補給はできたが寝不足は何ら解消されていないのだ。自身の疲労具合は、未だ危険域にある。

 カナタは、うつろな目で陽光に満ちた外を眺め、この先の苦行を思った。


(日が暮れる前にはロッカーを見つけたい…)


 方針を固めた後、せめて脱水症状は起こすまいとクマの目立つ目でオレンジジュースをゆっくりじっくり、何度も煽った。


「…あの席の男の子、ちょっと気味悪くない?」

「…そう、ですね」


 パートのおばちゃんに同意を求められたサナは、否定しきれず曖昧あいまいに頷いていた。


 結局、カナタは昼頃までドリンクバーで粘る。しかし、おばちゃん店員の冷めた目と、少女のしょうがないなぁと言わんばかりの目に、カナタは屈服。500円払って1円のお釣りを貰うと、冷房の利いた空間に後ろ髪をひかれながら、店を後にした。


「有澤さん、そろそろ新人の子来るから、その席そのままにしておいて。レクチャーに使いましょ」

「あ、はい」


 少年の会計を済ませた少女は、おばちゃん店員の指示で客席の片付けを保留。去っていく彼の背中を、一頻ひとしきり眺めていた。

 








「お先に失礼します」

「お疲れ様ー。ほら、アナタも」

「はーい!お疲れー!」

「初日なのに物怖じしないわね…」


 新人の態度に呆れるおばちゃんの声を聞きながら、サナは朝7時に出勤したファミレスを16時に退勤。30分後には店を出た。1時間の休憩をはさんで実質8時間勤務。それなりに疲れてはいるが、いつもはここから配達の仕事に入るのだ。正直まだ余裕はある。

 気温は下がってはきたものの、太陽はまだ強く照り付けてくる。不快なそれに手をかざし、サナは目を細めた。


「…帰ろ」


 この時間に仕事がないことに、焦りを抱く。かといって、スマホがない現状、働き口は無い。バイト先に掛け合ってみたが、シフトはすでに埋まっており、当面空きはなかった。上手く行かない世の中に溜息一つ吐き捨てて、サナは帰路につく。


 卑猥ひわいな看板が多く、夕方以降に近寄ろうとは思わない界隈かいわい。出勤路ではあるため、業界が寝静まった朝方にはよく通る道だ。普段は夕方から配達に従事するせいか、帰りの時間に通ったことはない。仕事で近寄ったことくらいはあるが、完全なオフの時にここを通ったのは初めてだった。



 だから、そういう業界の住人と遭遇するのも、これが初めてだったのだ。



 向こう1ヵ月の金繰りを考えていたサナは、何気なく交差点に差し掛かる。瞬間、視界の左端に映った男二人組から嫌な気配を感じ、慌てて顔を向けた。


「お嬢ちゃん可愛いねぇ」

「一人かい?」

「あ…」


 ワックスでテカる金髪と茶髪。派手な柄シャツに、体のあちこちで陽光を反射して輝くアクセサリー。こちらを値踏みする、舐めるような視線。

 サナは思わず身を震わせた。左手に巻かれたリストバンドを、無意識に右手で強く握りしめる。

 

「若いねぇ。歳いくつ?」

「肌綺麗じゃん。モテるでしょ、君」

「あ、…あの…っ」


 目の前まで歩み寄ってきた二人は、足を竦ませたサナに絡んだ。間近でその表情、視線、仕草、声をはっきりと知覚したサナは、この二人が自分に向ける感情を感じ取り、全身が総毛立つ。


 劣情と金欲。

 他者を利用し、陥れ、甘い汁だけ啜ろうとする、粘ついた悪意。


 敏感に感じ取った懐かしいそれに、サナは吐きそうなほどの危機感を感じた。


「浮かない顔してるねぇ。あ、もしかしてお金に困ってたりする?」

「割のいい仕事知ってるよ?紹介したげようか?」


 そんなサナの様子に構わず、男たちは自分たちの仕事を始める。内面と実益が合致した、寄生虫のような生き物だった。

 心の底から相手にしたくない手合い。だが、恐怖にすくむサナは、はっきりと拒絶ができなかった。揺れる眼を見られないように、俯いて視線を逸らす。


「稼げるよぉ。話だけでも聞いてってよ。ね?」

「そうそう。ほんの数時間でも1日中バイトしたくらいは貰えるし」


 その様子に、男たちは下卑げびた笑みを浮かべた。“押せば行ける”。そう判断した男たちは、金のなりそうな幼木を強引に囲い込もうとする。

 たまたま見かけた少女だが、顔の造りは別嬪べっぴんだ。長い睫毛まつげで彩られた釣り勝ちの大きな目。反面、気弱気に下がる眉。すらっとした鼻梁びりょうあご、サラサラの髪。美しい脚。骨格のバランスも良く、シルエットだけでも人目を惹く。胸の発育に少々難はあるが、そういう嗜好しこうの上客にウケることは間違いない。


「基本夜になるけど、シフトは自由だよ」

「ね、いいでしょ。試しに1、2回だけって手もあるしさ」


 一度引きずり込めば逃がさない自信があった。自分たちに服従させて、延々と客を取らせる手段などいくらでもある。

 そうでなくとも、声一つ上げない割に逃げる素振りも見せない少女の様子から、男たちは金が要ることを確信していた。そういう手合いがなびく決め手を、彼らは熟知している。

 即ち、“額”か、“手軽さ”か、もしくは“早さ”だ。


「遊ぶ金が欲しいなら最適だって。なんせ…」



――その日働いた分は、その日のうちに貰えるからさ。




 最後の一言は、サナの思考に滲む毒となった。

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