第7話 金のない二人
世間は
しかも、そういう時に限って、金を要求する側は満面の笑顔だったりするのだ。
――あの時の自分のように。
嫌な記憶が連鎖的に
やがて奥に引っ込んでいた店員が現れ「お待たせしました」と対面に座った。少女は緊張の面持ちで、それを出迎える。
強張るサナの眼を見つめ、笑顔でもってその宣告は成された。
「ガラスカバーとフロントパネルの交換で、税込み25,960円になります」
携帯ショップのカウンターで少女が一人、世の中を呪いながら突っ伏した。
「えっと…、どう、されますか?」
「…出直します」
そう言ってサナは俯いたまま席を立ち、
夕暮れの街、少女は眉を顰めながら自転車をポートに返した。配達のために借りているシェアサイクルで、電動のため非常に使い勝手がいい代物だ。自転車を買う金もない彼女には、配達パートナー特価で安く借りられるのは非常にありがたかった。
そのまま徒歩での帰路についても、彼女の表情は晴れなかった。
原因は携帯電話の修理代金、ではない。無い袖は振れない。悩んだところで、どのみち
真に問題なのは、修理が終わるまで配達の仕事ができないこと。
自由度が高く、頑張ればそれなりに収入も見込めるこの仕事。しかし、サナにとってその最大の利点は、“週1回お金が振り込まれる”ことだった。
逆に、ネックはアプリが必須なこと。ログインしなければ注文一つとれはしない。即ち、スマホが無ければ仕事にならないのだ。
額そのものはバイトを増やせば何とかなるが、その分が収入として入ってくるのは1か月以上先の話。携帯が直るまで週1回の収入がなくなる。預貯金のない家計では、これが本当に厄介だった。直近の生活が不安で仕方がない。
その不安の原因になった、
「…覚えてなさいよ、あの変態」
字面の剣呑さとは裏腹に、サナは弱々しく項垂れた。思い出すだけで怖かったからだ。
黒いフードと黒いマスクで覆われた顔に、虹色のゴーグルだけがキラリと光る。不意打ちで間近に見せられれば普通にホラーだ。胸と脚にあった文字が滑稽な性犯罪者という別の側面を醸しており、まったくもって意味の分からない有様だった。
けれど、と。
サナは
怒りはある。関わりたくないと思うほどの嫌悪感もある。だがそれ以上に、弱りきったその気配が、どうにもサナの心を揺さぶった。
微かに聞こえた声から判断するに、恐らく男だ。それも、自分とさして歳の変わらない少年。サナは目を細めて、妙に怯えた様子だった彼を思う。
そのまま、顔を上げて上を向いた。ビルの隙間から
彼が息も絶え絶えに口にした“ゴメン”の声色が、やけに耳に残っていた。
◆
慣れない大都会を、カナタは一晩さまよった。
たった500円では、宿どころかネットカフェすらろくに入れない。人の気配に怯えるような精神状態では
日が昇って数時間。とにかくどこかで休みたかった。
買おうと思っていたスポーツドリンクも現状我慢している。1、2本では流した汗の量に釣り合わないからだ。何の補給もしていない現状、肉体精神共にコンディションは最悪だった。
何より…。
「腹…減った…」
東京についてから、そろそろ24時間が経つ。その間何も食べていないのだ。ただでさえ育ち盛りで、普段からとんでもない量の運動をするカナタは、満腹中枢がぶっ壊れているのかと思うほどの大飯食らいだ。これほど長時間何も食べないなんて初めての経験だった。比喩でも何でもなくぶっ倒れる寸前。しかし手持ちはたったの500円。状況は絶望的だ。
だが、カナタには秘策があった。今は街中を歩き、それを探している最中だ。
「あった…」
一晩かけて、ようやくそれを探し当てた。ビルの2階に見える、赤い円の看板が目印の大手ファミレスチェーン店。冷房完備の環境に、朝食つきのドリンクバー。
そう、モーニングだ。
水分、食事、涼を求めて、カナタはすぐさま入店した。階段を上り、カランカランと妙に
「いらっしゃいませ」
お決まりの文句を告げた店員を見た途端、カナタは硬直した。その顔に見覚えがあったからだ。
テーブルを拭く手を止めてこちらに振り返った、栗毛をうなじで
驚愕と恐怖に歪んだ表情と、彼女の足元に割れ散った破片を思い返す。
「お1人様ですか?」
「…スマン」
「はい?」
会話の流れを無視して、思わず右手を顔の前で立ててしまった。唐突なジェスチャーに、少女は首を傾げている。当然だ。彼女はカナタの顔を見ていないのだから。
その様子に我に返ったカナタは、会話を戻そうとするも、口を開く前に腹が鳴った。“ぐ~”という、重低音の長い音。それを聞き取ったのか、少女がニコリと笑った。
「あー、1人です」
「こちらへどうぞ」
気を取り直して会話を戻すと、すぐに壁際の2人席へ案内される。店内の客は疎ら。そこまで忙しくないのか、応対はスムーズだった。
席に着いたカナタは、まず500円玉を卓上に置いた。その横にモーニングメニューを広げ、幽鬼の如き表情で睨みつける。何せ軍資金はこの硬貨一つのみ。限られたメニューの中から最も費用対効果の高いものを選ばねばならない。疲れ切った眼ながらも決戦に挑むような真剣さ。カナタは異様なオーラを醸し出していた。
その様子を、店員の少女ことサナは、訝し気に見つめていた。少年の顔色が、あまりにも悪かったからだ。それだけではない。席に着くまでも随分とフラフラしていた。相当に体調が悪いと見える。
何より、彼にはどうも自分を知っている節があった。他人の機微に聡い彼女は、その違和感を敏感に感じ取っていたのだ。
まぁ、特段気にすることでもないか、と。思考にキリをつけ、サナは少年の席に赴いた。
「ご注文はお決まりですか?」
そう言って少年の手元を覗き込んだサナは、卓上の500円玉とメニューを交互に見やる真剣な顔に事情を察した。鳴り続ける腹の虫に毒気を抜かれ、思わず半目になる。
「…これが一番量多いですよ?」
「…じゃそれで」
どうも似たような悩みがあるらしい少年に、サナは苦笑していた。
店員任せながらも注文を終えたカナタは、さっそくドリンクバーへ行く。一気に飲んではならない。少しづつ少しづつ、体に染み渡らせるようにゆっくりと飲んだ。ただそれだけで、少し泣きそうになる。
「お待たせしました」
そんなささやかな幸せを噛み締めていたところ、先ほどの少女が注文した料理をもって現れた。クマを浮かべた目がキラキラする様は、少々気味が悪い。
目玉焼きとウインナー、サラダが盛られたプレートが卓上に置かれ、次いでライスの盛られた皿が乗る。そのライスを見たカナタは、目を見開いた。一目でわかるほどに超大盛だったからだ。よく見ればサラダも少し多く感じる。
「内緒だよ」
お盆を胸元に抱えた少女は、そう言って人差し指を口元にもっていった。見つかる前に早く食べちゃってね、と、小声で残して去っていく。
このメニューを勧めたのはあの少女だ。パンだと大盛にできないから、あえてライスを注文させたのだろう。少女のさじ加減でどうにかなるものを、盛れるだけ盛ってきたらしい。
「…ありがとう」
その気遣いに、東京に来て初めて心安らいだカナタは、去っていく少女の背中に向けて、小さく呟いた。
そのまま視線を落とし、山のようになった米を見て目元を緩める。
“いただきます”と。
カナタは生まれて初めて、心の底から手を合わせた。
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