幕間 華燭の典

〇ルナ視点


 私はルナ。


 ルナ・アリアンフロド。


 冒険者として、人々からの依頼をこなすことで対価をもらったり、倒したモンスターの素材や森に生えている薬草などを売ったりして生計を立てて暮らしていた。


 でも、その依頼の最中にミツキと出会ってからは、彼の目的を叶える手伝いをするため、街を飛び出して冒険へ出かけることにしたの。


 ミツキの旅の目的は、この世界にいる女神に会うことらしい。


 女神なんて、架空の存在だから会えないはずなのに。


 だけど、ミツキは大真面目だった。


 私も冒険者をやっていて、いろんな人にあったけれど、ミツキはその中でも飛び抜けておかしな人だと思う。


 なのにミツキには、そんな願いすら叶える力があるような気がした。


 冒険者としての勘だけれどね。


 だから、私も彼についていって、旅の先にあるものを見たかった。


 でも……これ以上いっしょにいけそうにない。


「──はい、完成です。

 お綺麗ですよ」


 私がエルフのメイドに着せられたのは、貫頭衣かんとういのドレス。


 エルフ族の伝承に登場する精霊の服を模したものらしい。


 儀式を行うための服。


 今から行われる、私の婚姻のための服。


 今日は、華燭の典の当日だった。


 私がエルフ王と結婚すれば、リーゼとマイアはエルフの兵士と戦ったことで罪に問われることはなく、冒険者を続けられる。

 

 ふたりがいっしょならミツキの手助けをしてくれるはず。


 そして、彼ならきっと旅の先で目的を達成できる。


 私が、ここに残ればすべてうまくいく。


 だから私は合理的に判断しただけ。


 パーティのリーダーとして、メンバーの幸せを願って。


「では、いきましょうか」


 エルフのメイドにベールをかけられたあと、その腕を掴んで歩き出す。


 向かった先は、100人以上が入っても余裕がある式場だった。


 そこにいる者たちは、全員エルフ。


 老若問わず、美男美女揃いだ。


 その中でも目を引くのは、やはりエルフ王。


『オリハルコン』ランクの冒険者にして、正真正銘の英雄。


 彼の元に嫁ぎたい女性は、数えきれないほどいただろう。


 けれど聞いた話では、彼はそのすべてを断ったらしい。


 お眼鏡にかなう女性がいなかったのか、あるいは心に決めた女性がいたのか。


 ま、後者の場合だったら、ぽっと出の私は何なんだとなるから、たぶん前者なんでしょうけれど。


 とはいえ、勇者の血を引くかもしれないというだけで、こんなとんとん拍子に婚約が進むなんてね。


 それだけエルフの一族にとっては、勇者の血が大事なのかもしれない。


 そうだとしたら、私はおそらく大事にされるだろう。


 何も恐れることはない。


 エルフ王が一族の利害だけで私を選んだというなら、私も、自分にとっての利害だけでエルフ王に応えればいい。


 それにね、考えてみれば、これほどの成功譚はない。


 親も知らない孤児だった少女が、冒険者なんて荒くれ者の職をやっていたところ、魔王を倒した英雄であり、美形の王子様に見初められて結婚する。


 おとぎ話にしても、できすぎよね。


 だから、これでいいのだと思う。


 私の冒険はここでおしまい。


 これからは、エルフ王この人の伴侶としての人生が始まる。


 私はそのスタート地点に移動した。


 会場全体を覆う巨大な樹──世界樹の下、男性用の式典の衣装に身を包むエルフ王の元へ。


「では、始めるか」


 エルフ王の言葉で私のリード役は、メイドからエルフ王へと変わる。


 ここから先は引き返せない。


 けれど、これでいい。


 利害は一致している。


 それ以外のことは考えなくていい。


 エルフ王と私が巨大な世界樹の前に着くと、そこにいたエルフの神官が祝詞のような言葉を唱え始める。


 ──リーゼは、私のこの姿を見たらなんて言うかしら?


 似合わないって罵倒したあと、アンタは一生独り身だから無理しなくていいって言いそうね。


 まったく、リーゼとは初めて会った時から口喧嘩ばかりだったわ。


 そうやって喧嘩していると、今度はマイアがやってくるのよね。


 あの子は優しいから、きっと似合うって言ってくれるはず。


 だけどリーゼは引き下がらなくて、私と口だけじゃなくて手も出すようになって、それからふたりそろって、マイアに怒られるの。


 マイアは優しいけど、怒らせると1番怖い。


 それで私とリーゼは、思いきりマイアに怒られたあと、どちらともなく、手を伸ばして握手をして、仲直りするのよね。


 その仲直りも、もうできないな。


 たぶん、リーゼもマイアも、私が婚姻を条件にふたりの身の安全を約束してもらったなんて知ったら、絶対に許してくれない。


 だからケンカ別れに近い形になると思う。


 城から解放されたら、もしかしたら少し暴れるかもしれないけれど、エルフ王に押さえられて、そこまで。


 それでお別れ。


 もう二度と、会えないと思う。


 でも、これでいい。


 ふたりにはミツキといっしょに冒険を続けてほしい。


 そして、どちらかがミツキと、もしかしたらふたりとも、ミツキと結ばれれば、私がエルフ王の伴侶になったかいがあったというものね。


 …………


 ……ミツキはどう思うのかな。


 出会っていっしょに冒険した時間はそこまで長くないけれど、彼の性格は大体わかっている。


 たぶん「ルナの好きにしたらいい」と言うと思う。


 あれだけの力を持っていながら、ミツキは他者に何かを強制したりはしない。


 私がエルフ王と結婚する道を選んだとしても、送り出してくれるだろう。


 それなら、この道はきっと正しい。


 ミツキが背中を押してくれるはずだから。


「──では、『世界樹への誓い』の証を」


 エルフの神官がそう宣告すると、エルフ王が私と向き合う形になった。


 顔を隠していたベールが取り払われ、顎の下に手を置かれ、顔を上に向けられる。


 エルフ王の整った顔が見える。


 婚姻の式典なのに、私と初めて戦ったときと同じ仏頂面。


 本当に私の血筋にしか興味がないみたい。


 それでも、いいわ。


 私がエルフとして生きることで、つながる未来はある。


 だから、これがきっと正解。


 悔いなんて──


 

 ──ぽた。



「む……」


 私に顔を近づけようとしていたエルフ王が止まった。


 何かあったのかしら?


「どうした?」


 え、何かあったの?


 ──ぽたぽたぽた。


 なんだろう、頬の辺りを何かが伝って……


「何、これ?」


 ──ぽたぽたぽたぽたぽたぽた。


 手で拭ってみると、指先に水分がジワリと滲んでいる。


 涙が……


「ウソ……なんで……」


 覚悟は決めたはずのに、拭っても拭っても涙があふれてくる。


 幼いころに大ケガしたときだって、こんなに泣いたことないのに。


 いけない。


 ちゃんと振る舞わないと、リーゼやマイアが……


 そのために、私はここに来た。


 でも、涙が止まらない!


「大丈夫か?」


 エルフ王が手で私の拭おうをしてくる。


 ──パシッ。


 あれ?


 私、何をして……


 なんでエルフ王の手を払って……


「……ヤダ」


 せっかくここまで、抑え込んでいたはずなのに。


「ヤダよ……」


 ここで吐き出したら、みんな巻き込んでしまうのに……!


「わたしはもっと……

 みんなといたい……

 ミツキ……!」


 ──コンッ! 


 私の真後ろで硬い何かが音を立てた。


 振り返るとボールの形をした木の実が転がっていた。


 次の瞬間、その木の実が爆ぜた。


 パンッパパパパパパパパパン──!


 強烈な音と共に灰色の煙が広がる。


 いったい何が……


 目元を拭っていた腕が誰かに掴まれた。


 強い力で引っ張られ、私は足をもつれさせながら、走り出した。


「だ、誰……?」


 私は灰色の煙の中で自分の腕を引く人に尋ねた。


 わかっている。


 こんなことをする人物には、ひとりしか心当たりがない。


 だけど、私はその人の声を聞きたかった。


「──悪いな、遅くなった」


 その声が耳に入ってきた瞬間、鼓動が一気に高鳴った。


 ああ……ああ……


 灰色の煙が薄まる。


 見えてきたのは、この数か月で見慣れたコートの背中だった。


「ミツ、キ……!」


 助けに来てくれた!


 もうダメかと思ったのに。


 私のために……


「っと!」


 ミツキが振り返ると私を抱き寄せた。


「え!

 ミ、ミツ──」


「『アース・ウォール』!」


 ミツキが後方に魔法で土の壁を展開した。


 その壁は見えない何か一瞬で切り刻まれて、粉々になった。


「うーん……

 耳と目をつぶしたつもりだったんだけど、ダメか」


 不自然な突風が吹き荒れ、式場に留まっていた灰色の煙が一瞬で晴れた。


 そこには腕をこちらに向けるエルフ王がいた。


 その黄金の瞳は、ミツキを見ている。


「──ッ!!」


 私はバカだ!


 ミツキがエルフ王と戦わないようにするのも、婚姻する目的のひとつだったのに。


 ここで逃げてしまったら、ミツキがエルフ王に狙われてしまう。


 今からでも戻らないと。


「ま、待ってください。

 この人は私の仲間で……」


「ルナ、下がっていてくれ」


 ミツキはエルフ王との間に立とうとして私に、コートを投げて渡してきた。


「で、でも……」


 ここで引き下がったらミツキが……


「エルフは誇り高い種族だ。

 式典をこんなふうにされたら、引き下がれない。

 こうなったら、力ずくで引き下がらせるだけだ」


 ミツキは鞘から剣を抜き放っていた。


「ま、待ってください。

 エルフ王は『オリハルコン』の冒険者で200年前の英雄ですよ!

 いくらミツキでも、勝てません!

 私がいくらでも謝りますから……だから……」


「ルナ、大丈夫だ。

 全部、知ってる。

 わかった上で、こうしてるんだ」


「ミツキ……」


「俺はルナを助けるためにここへ来た。

 だから、ルナを見捨てることだけは絶対にしないさ」


「…………!」


 ミツキ、そこまで私のことを考えてくれて……


 だったら、私はもう何も言わない。


 私もこの人を信じているだけ。


 ミツキ。



 絶対に、勝ってください!

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