第二話 宮廷府の一日 前編
第二話 宮廷府の一日 前編
宮廷府の朝は早い。
バルカン=テトラ神聖帝国。またの名を森林帝国は広大な古の大森林を完全に統治下に置いている。その国土は並の国家の二倍にも及び、総面積は大陸の陸上面積の約十分の一に及ぶ。しかし、これに対して居住と耕作に適性のある平野部は少なく、反比例的に山岳地の地下資源や鉱山資源、内海を含む数多くの河川による水質資源などに恵まれている。そのため、総人口約3000万人の森林帝国は、その六分の四程の国土を持つログリージュ王国が総人口約7600万人であることに比して人口密度が低いともかんがえられる。
人口の分散とその地理の特質から、建国後しばらくして公国分権法令(御宇暦050年)が発布、施行された。
これは今日の帝国において、その四方、東西南北の四方面を守護する衛星国たる四つの公国が誕生したということに他ならない。公国主は皇帝より森林守護官として外交や軍事に強い権力を発動できる。中枢での信任厚いもののみが任命される顕職である。
さて、四公国は東西南北の順で呼ばれることが多いが、これはそのまま対外脅威度の問題も孕んでいた。外交も重要視されるため、外交上の独立名称が中央から下賜され、東から森威(シンイ)公国、西はイスパナス公国、南はマケドナ公国、北はソヴィア公国と名乗るに至った。
広大な森林を五つに分割し、その最中央に四つの宮殿兼要塞を築きこれに守られる国都テトラリアを建てた。中央政府として宮廷府が置かれ、四公国領はそれぞれの執政府が各州、各軍管区、各主要都市群を統御する体系を取ることとなった。
地方への分権は中央の負担を和らげたが、それと同時に宮廷府には地方から遡上してくる重大な事案の比率が多くなった。公国各領と比較してその行政範囲がかなり狭い宮廷府だが、しかし中央政府は通常業務量の軽減と引き換えに朝から決済と会議の連続である。
そんな宮廷府の一日である。
午前八時。魔導蓄電池が開発されたことで民間にも普及した魔導式機械時計がここ、宮廷府にも業務開始の音を響かせた。ボーン、ボーンと響くそれに従って皇帝の住まう国城マリウス・マグナ城塞を環状に囲む形で配置された各専門省各部署では朝礼が開始される。宮廷府の専門部署は執政省/内務省/財務省/森林省/国防省/近衛省/法務省/外務省の八省が請け負っており、これとは別に地方が中央統治への監査機関として執政府外局が設けられている。各省の職位は上から総監>副総監>次監>総官>令官>大官>使士となっており、先程の執政府外局とついになる地方統治に対する監査機関たる宮廷府外局はそれぞれトップが監査令である。また、地方は八専門庁で、各庁トップは次監であるため副総監は中央にしか存在しない。
執政省の一日は極めて多忙である。
「諸君ご機嫌よう。朝礼はいつも通り省略とする。本日は午前九時から西方イスパナス公国の執政次監との協議。午前十一時から国防省プブリウス・コーネリア・スキピオ・マイヨール総監との冬季防衛計画及び春季配備計画の会議、午後一時から来年度予算案の建議を行う。午後五時に終業。各員過不足なく職務を全うせよ。」
執政総監ユリアナ・ツェーザル・ディクタトラはそういうとすぐさま総監室を飛び出して午前九時までの一時間で皇帝テトラの御目覚め任務と御朝食任務を遂行する。テトラが黒石から生まれて六年。一日たりとも欠かしたことのない生きがいである。
総監が退出した後、総監室から各々職場へと戻り資料の準備や遅めの朝食を取り、午前九時のチャイムを待つ。
ボーン、ボーン。
各部屋と廊下には直通の魔導発電式音声交換器が取り付けられており、チャイムの少し前に先方であるイスパナス公国の西都ザマスの執政府から派遣された執政官(コンスル)の一人でイスパナス執政庁のトップである次監を務めるオクタウィナスが到着したのが報告されたからだ。
オクタウィナスは帝国では珍しい栗色の髪をした人間種の男である。対人間国家への諜報網を擁しており、その点でも有能な官僚だ。
午前九時になり会議が開始された。
「今回の議題は西部の異変について。西方諸国連合と我が国の国境地帯に物資の集積が開始されており、外交上の寛容策実践とは全く矛盾した状況にあります。我々が聞きますに、最前線を張る第二都市フラーテル・コリントス(B-02)の軍管区からの上申では既にログリージュ軍をはじめとして西方主要国の兵が多数入営し始めているとのことです。兵装や兵種の詳細に関して国防省庁との擦り合わせには公都ザマス衛戍軍軍政院のマルス・クラウディア・マルケッルス軍団長兼副総督を派遣しました。」
「なるほど、状況は理解できた。私たちの今後の方針としては迎撃体制を春までに構築する予定だ。詳しくは後ほど国防総監と話し合うことになるだろう。」
「かしこまりました。私共としましては出来るだけ早めに物資の備蓄と、願わくば近衛師団の派遣をお願いしたく思います。現状、最前線の城塞都市での疎開と受け入れ、国防軍各軍団入営の為の手続きに奔走しております。今のまま進めば二十日以内に予め総監がご用意された戦時体制に恙無く移行できると思われます。」
「それは重畳。物資の備蓄はそのままで行っていただきたい。変に放出して軍費の嵩増しには奔走しない方が懸命だからな。財務総監がうるさい。近衛軍は近衛省との折半が必要だ。恐らくは陛下からの御裁可が降り次第派兵に取り掛かる。戦時体制は西方イスパナスは勿論だが東方シンイ公国にも戦時体制への移行勧告を通達する。」
「…錦帝国と西方諸国連合が手を組むとは思えませんが…。」
「だが、決してあり得ないことではない。万が一あり得る可能性は全て潰す。徹底的に、な。僕ちゃん…じゃなくて陛下には常に最高の帝国と最高の家臣、最高の民と最高の富が捧げられなければならない。絶対条件だ。局所戦の敗北ならまだしも足を救われたなどという失態は万死に値する。」
「はっ!!しかと心得ました!」
「では会議は以上。私は僕ちゃん…っではなく!陛下の午後のお茶の時間に献ずるための焼き菓子を焼いてくる故暫し退出する。」
会議が終わるとユリアナは流れるように退出した。残されたオクタウィナスは残された執政省の官僚と詳細を擦り合わせることとなった。
午前十一時五分過ぎ。皇帝のお茶の時間が終わったのと同時に、一足遅れてユリアナともう一人が国防省にある会議場に入場した。
「すまない、五分ほど遅くなってしまったがこれより冬季防衛計画と春季配備計画について策定していきたいと思う。」
「やぁ、すまないね遅れてしまって。僕は早く行かないと遅れちゃうよと忠告したんだけどね。中々ユリアナが陛下から離れてくれなくてさ。まぁ、いつものことさ!」
「しっ!そこ!静粛に。では、これより会議を始める。まずは冬季の防衛計画について、西方公都ザマス衛戍軍軍政院マルス・クラウディア・マルケッルス副総督よろしく頼む。」
謝りつつ早急に議会を開始しようとするユリアナ。そんな彼女にニヤニヤと楽しそうに笑いかけつつ先ほどの出来事を指摘したのが国防省総監をつとめるコーネリアである。
背中から生える翼、籠手と鉄足のような黒の緻密な皮膚で四肢を覆った美女。盟友である鷲の飛翼人(コンキスタス)で魔人(マギア)のプブリウス・コーネリア・スキピオ・マイヨールの指摘をはたき落として会議を進行するユリアナの姿は彼女を知るものからすれば平常運転である。
最初の議題は冬季の間の防衛計画である。本来なら他の三公国も含めて議論するのだが、今日は予定を前倒しして前線での動きが活発な西方での防衛計画を一足先に策定する予定となっていた。
資料を片手に姿勢を正した外見は人間の体にハヤブサの顔と翼がついた人間…飛翼人(コンキスタス)女性のクラウディアに注目が集まった。彼女は西の公国イスパナスの公都ザマスにおける国防軍イスパナス方面軍衛戍軍軍政院…いわば現地に非常時を除き常駐している国防軍を統括する行政を司る執政府とは対となる公都の軍権を司る政府…No.2の副総督である。彼女本人も軍を率いる軍団長職に就いているが、軍政院では執政院が文官の城であるのと同じく、軍武官の城であるために軍官僚としての専用の役職が存在しているのだ。文官も武官も政務と軍務を熟せる頭と腕が必要な専門職なのはこの国の特色であるが…それはさておき、注目を意識しながら彼女は話し始めた。
「本日は緊急で会議を開いていただき感謝します。今冬季の防衛計画について、現時点でのものをご説明いたします。」
ぺこり一礼したクラウディアは人間の騎士のようにすらりと背が伸びた美麗人である。これで戦時は鬼のような上官に早変わりするのだから人とはわからないものである、とは彼女の上司コーネリアの談だ。
「まず前提として、資料を参照いただく通り私共の国防軍イスパナス方面軍衛戍軍軍政院が統括する軍管区は全てで十管区ございます。それぞれに公都の衛戍軍とは別に三年で人員入れ替えをする常駐軍があり、十管区合計で約五万強の兵力となっております。これに加えて衛戍軍三万と後方支援に二万で総計十万の兵員を擁しております。これらの軍容の詳細は主力を現地出身の竜人族(ドラゴニア)五千名と東方シンイ公国から次三年間の常駐軍として入替られた黒森族(ダークエルフ)一万五千名、そして南方マケドナ公国からの入替要員で今年度までとなっていた獣人族(ランドノーム)三万名からなる混成軍約五万となります。獣人族(ランドノーム)の武官達には申し訳ないが、この点に関しましては再来年度までの任期延長を国防総監にお願いしたく。」
「うん。心得た、それで進めてくれていいよ。バイバルトには僕から伝えておくよ。君も彼も猛将ってタイプだからお互い説明が得意には見えないからね。」
「すみません…毎回口論になってしまうので助かります。」
「うんうん…君はいざ戦ってなると人が変わるからね。知ってる知ってる。さ、次に行こう。」
コーネリアからのフォローに感謝しつつクラウディアは防衛計画の本題へと話を進めた。
「では続いて、軍の配置としましてはB-02の第二都市フラーテル・コリントスとその周辺都市に先程の主力混成軍五万を集中するつもりです。これは西方諸国連合軍の現時点で判明している陣容から敵軍の目標がフラーテル・コリントスであると予測したためです。敵軍は我が方に対して何度となく威力偵察を繰り返してはきましたが、一度として大規模侵攻を行ったことがありません。オクタウィナス執政次監からの報告では多数の資材や石弾、黒油などが集積されているとのことから大型の攻城兵器を擁していると考えらます。」
「でも曲がりなりにもB-02は公都ザマス(B-01)を除けば十個の主要都市の中でも最大規模じゃなかったかな?攻城戦なら敵が多勢でも籠城しながら持久戦に持ち込めるんじゃない?持久戦なら主力を分散するにしても集中するにしても城塞都市に詰め込んだ方がいいきもするけどね。」
「B-02は主要都市の中でも数少ない平地に建てられた都市です。また付近には内海もあり、その立地から他の諸都市と比べて商業と交易が盛んで物資集積に利点があります。これは敵軍にとっても同じで、B-02が攻略されることは即ち敵の帝国縦深侵攻への足がかりを許すことに他なりません。加えて平地ゆえの利便性とは逆に、柔らかい土壌が広がっているため地下城塞施設の開発が不十分です。地上の城塞こそ森林省からウル・ベネポネラ・ヴォーバン総監にお越しいただき補強を重ねていますが…それでも単純な城攻めに対して周辺の、より規模が小さい城塞都市よりも遥かに脆弱だと言わざるを得ません。このことから利便性を活かした上で、かつ敵軍によるB-02攻囲を許さないために主力部隊による防衛を計画しました。」
「後方支援部隊はわかるとして、衛戍軍三万はどうするんだい?」
「動かすべきか、公都ザマスと第二都市フラーテル・コリントスでハッキリと分かれています。前者は衛戍軍の動員に否定的です。彼らの懸念は敵の後詰にたいして備えるべきだと考えていることにあります。我が方としましても大規模侵攻の経験がないため、我々の想定を上回る大軍であった場合に敵の脚を殺す遊撃戦力を用意する必要があると思われます。私も同意見ですので、私が指揮するイスパナス衛戍軍第二軍団は侵攻部隊の多寡に関係なく、敵後方部隊の遊撃殲滅作戦を展開します。しかし兵が多いことに越したことはありません。この点を解決するためにも近衛師団の派兵を考えていただきたいのです。最良としましては禁衛府より禁衛軍五騎の内一騎でも派遣してくだされば不安材料は消えたも同然となりますが…。」
「陛下に上奏してみるけど、期待はしないでおいてね。僕はいいかなって思うけど、多分隣の人が許してくれないと思う。」
「私は断固反対だ!!!」
防衛計画の内容があらかたで終わり、最後にクラウディアがもう一押しと要請した禁衛軍。これに対してユリアナは大きな声で反対した。コーネリアは案の定といった顔で聞いている。
「禁衛軍はそもそも陛下の玉体を億が一にも危機に晒された時に出陣する最終防衛戦力だ!敵の侵攻に対しては近衛軍を当たらせる!!それは約束しよう!!だから口が裂けても禁衛軍の供出など求めるな!!」
「も、申し訳ない…。」
「…いや、私も言いすぎた。次、次に進もう。春季の配備計画だ。…このまま、ここで近衛軍の派兵を決めてしまおう。待っていろ、ハミルカスを呼んでくる。少し休憩を挟もう。では、一時解散!」
しょんぼりとしてしまったクラウディアに流石に言いすぎたと思ったのかユリアナも反省の色を示した。彼女はクラウディアに悪いことをしたと思ったのか近衛総監から近衛軍の派遣許可をもぎ取ることを約束すると、休憩を挟むと一同を解散させた。一人部屋に残ったユリアナは会議場最寄りの固定の音声交換器から受話器を取るとハミルカスに議場へ来てほしい旨説明した。
時間は午前十二時を回っていた。
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