第一話 森林帝国の誕生

第一話 森林帝国の誕生



「ここに、バルカン=テトラ神聖帝国の樹立を宣言する!!!御宇に全てを奉献せよ!!!神聖皇帝テトラ・バルカン・ドラコニウス・ノトヘルム=ノトガーミュラー・バシレウス陛下に絶対の忠誠と尊崇を捧げるのだ!!!」


ユリアナは巨大なマジックスクリーンを前に国都テトラリアより、帝国の全都市に向けて御宇の戴冠と即位を宣言した。御宇の戴冠と即位、それはすなわち正真正銘、ここに魔の民が崇める唯一無二の神をも凌ぐ真の主が統治する国家が誕生したということである。


有史以前を含めれば数万数千年越しの悲願の達成である。


魔物と呼ばれ、蔑まれ、忌み嫌われ、排斥され、迫害され、遂には住む場所を奪われた魔物…その実は森人(フォームレスト)と呼ばれる、この星以外の星をルーツに持つ人間とは異なる種族の、代々絶やされることなく伝えられてきた伝説が現実のものとなった瞬間であった。


この日ばかりは日頃の血族同士の確執など気にもならない。盛大な宴が国都テトラリアを始め東西南北に鎮座する衛星四公国の公都やその他全ての地方都市にて開催されていることだろう。


御宇暦三十五年の魔導電池の開発以来急速な技術革新が繰り返されてきた。それは宮廷府の政治権のトップ執政総監としてかれこれ百年は仕えているユリアナ・ツェーザル・ディクタトラに言わせれば全てこの日の為の御用意に他ならなかった。


魔導電池に端を発したマジックエレクトロニックテクノロジーは国都テトラリアを震源地として瞬く間にバルカン帝国全土の生活水準を百年引き上げた。人類による技術の占有と、森人同士の血族対立、民族対立により生かされるはずのものが生かされないままに数千年を過ごしていた。人間に原人以下と貶められ、嘲笑されてきたフォームレストたちにとって、人間を遥かに凌駕する豊かさを僅か三十五年で享受するに至ったのは、正に神にも勝る、御宇のみがなせる奇跡の御業であった。


今日この日、伝説が現実となる瞬間を全ての国民が見届けた。マジックスクリーンと呼ばれる特性の超高性能魔導電動全自動巨大砂絵描画装置によって神聖皇帝戴冠の瞬間がリアルタイムで描画された。幾千年の間待ち続けた福音が形となってそこに存在することは耐え難い感動と熱狂の渦を帝国全土に生じさせた。


生まれて初めて自らが戴く主の一挙手一投足までが過分なく届けられたそれは、帝国魔導電動機器公社が販売するお手頃価格なミニマジックスクリーンと、その中に保存された情景を再描画できる魔導回路埋め込み式石盤、その名もマジックバルジの売上を飛躍的に伸ばすこととなる。特に老若男女問わずダントツの人気を誇るのが「バルカン=テトラ神聖帝国誕生〜戴冠式典と即位の名場面全集〜」である。マジックバルジの定価は2000〒(〒=テトラトラスト)である。これは大体一般的な家庭の1日分の食費に相当する。


戴冠式典と即位式典の様子はその開催の一週間前に告知され、事前に各主要都市において縦横20m×40mの超巨大マジックスクリーンの設営が行われた。


一週間前からスクリーン予定地に陣取るという猛者が各地に出没し、一時は血族間の相性の悪さから係争が起こらぬように各都市の国防軍部隊が警戒を強めるという一幕もあった。


その後も一日経過ごとにスクリーン前の陣取り合戦。

国防軍の緊急出動、地方でのお祭り騒ぎと賑やかな日々が続いた。式典本番の前日、一転して静かになった帝国全土は当日早朝から熱狂が包んでいた。


式典の後は国庫放出の大祝祭が全国で華やかに開かれる予定もあり、流石に今日は全国一律で警備担当の武官は徹夜を覚悟せねばならなかった。


式典が始まった時、スクリーンに描かれたのはそれまでの仮の皇帝位を改めて、神聖皇帝としての装いで登場した御宇たるテトラの姿であった。


国民の殆どがこの日初めて皇帝の姿を目にした。感動に咽ぶ声が響き、そこかしこから万歳三勝も聞こえた。


皇帝の姿は正式な場にふさわしく、その神々しさを遺憾無く表現したものだった。


頭上に戴くのは帝国で最も希少な宝石であり、他ならぬテトラを包み込んでいた漆黒の天玉石(カルメルタザイト)をあしらった世界に二つと無い神聖皇帝の為だけの月桂樹である。樹状部分の金属を帝国の技術力の粋を結集して鍛造した最高品質の魔導重鉄鋼で用い、これを細く成形した上で精緻に編み込んだ。


身に纏っているのは紫金のトーガであり、これは皇帝のトーガにのみ許された最も尊い彩色である。トーガそのものも、帝国で最も貴重な糸…即ち、世界に一人しか存在しない古の龍人ユリアナ・ツェーザル・ディクタトラの白銀の御髪を用いて数十年の歳月をかけて作らせたものである。これもまた世界に二つと無い絶品であった。如何なる刃も魔法も通さぬ強靭すぎる古龍の御髪を紫に染色する過程も困難に満ち溢れたものだ。竜種の中でも貴種に類する龍人(ノブレンシア)の中の、さらに数が少ない火龍人の吐息を用いるのだ。撚り合わせて編んだ白銀の絹布に只管、灼熱のブレスを三日三晩欠かすことなく吹きかけ続けて辛うじて柔らかく解し、これをドワーフ族の鋳鉄の極意をもって更に三日三晩打ち叩くことで少しずつ圧し伸ばすのである。形状記憶の如く元の大きさの絹布へと戻ってしまう前に、ここで紫の染料に丸一晩漬けるのだ。その間は火を消して絶やすことなく、グラグラと滾る高濃度の紫の魔道染料で煮込むのだ。そして出来たものをさらに三日三晩火龍の吐息で押し解し、ドワーフの大金鎚で更に解し、更にもう一晩染料で煮込む。それをさらに二度と繰り返して初めて高貴な紫のトーガが出来るのである。仕上げに純金を惜しみなく縁を取るように埋め込んでいく。一週間かけて緻密な装飾模様を施し、ついに紫金のトーガが完成した。このトーガを作る為だけに該当年度の国家予算の3%が投入されている。因みに、これは国民による意思決定の最高機関である血族連盟中央議会において満場一致の賛成で可決された予算案である。


尊きの極みは例え足元といえども隙がない。無論、前提として百の案、百の副案、百の協議の上に皇帝の装束はコーディネートされている。陣頭指揮は無論のことユリアナである。


皇帝の御御足を包むのもまた国宝として扱われることが決まっているなめし革のカリガである。使われている革もまた伝説に歌われるような獣人が献上した自身の革である。その獣人の名前はニーライ・ライ。獣人の貴種の中でも特に希少な白熊獣人であり、その中でも貴公子と呼ばれ敬われている魔人(マギア)であり、その純白の毛皮は一切れといえども千金に値する。


それを、魔導で治療が可能とはいえ自らの手で分厚い皮膚を裂いて革を献上したのである。出血も厭わないその忠誠心は帝国民の人口に膾炙している。


さて、献上された毛皮は表面の剛毛をほんのりと焼くことで払い、分厚く丈夫な力強い皮革に加工された。皇帝の御御足を例え万に一つでも傷つけることなきように丁寧になめされた革は国一番の靴職人としても名高い築城名人にして森林省副総監を務めるホビット族のセイント・マスター・ジェイムズが手がけた。黒の染色は最高級の黒曜石を削り、溶かし込み、それを耐熱性も高いニーライの革に直接焼き込んだのである。こうして煌めくような星降るカリガが完成した。


豪華絢爛。たとい人間の王侯の中にもこれほど贅を尽くした装身具を身に纏える者は存在しまい。


ゆっくりと毛足の長いフカフカのレッドカーペットを歩く皇帝の姿は、一歩進むごとに光が舞い散り、穏やかな癒しの奇跡を見るものに齎し、まさに現人神の降臨であった。


命じられずとも自ずから跪く臣民が後を絶たなかった。


その日に全ての祝福が帝国に降りかかったとするならば、しかし、それは人類には未知の恐怖が豪風の如く大陸中を駆け巡った日だった。


そして、その恐怖は帝国が建国されて間もない100年以上前から燻り続けてきた。それでも暴発することなく、ただ傍観と威力偵察と情報収集に徹していたのは単に古の大森林への積層した敗北の歴史を鑑みてのことであった。大規模侵攻がいつ起こるかわからない。しかし、それは時が定められていないだけであり、明日かもしれないし、今日の今今から始まるかもしれない。帝国の民は文武の別が明確に存在し、戦争権と軍事統帥権は皇帝の特権である。帝国内に住まう森人に人間を恐れる者はもはやいない。怯えて暮らすのは遥か昔の話である。誇りと忠誠と信仰を胸に、豊かな暮らしを享受する彼らは自分の職分を諸外国の人民と比較しても深く理解している。


彼らにとって職業とは最早生きるためにままならず行うことではない。皇帝への滅私奉公に自らの存在意義と誇りを見出すが故に行う忠勤であり、生きがいを得る為の趣味であり、時に最新の魔導家電を買うためや生活を豊かにするために余分に貨幣を必要とするときに片手間に行う、謂わば娯楽の一つである。


対して、むしろ戦争とは特権であった。戦争に従軍する義務を負う戦役義務とは別に、軍武官にのみ許される特権こそが軍務権である。これは、国家の防衛を職務とする少数精鋭の国防軍/近衛軍/親衛軍/禁衛軍に所属する軍武官にのみ許された最高の名誉である。


軍武官以外の文官には自衛権はあっても、防衛戦争や侵攻作戦への従軍が義務の範囲を除けば許されていない。戦争とは神聖なものではないが、しかし、けして万民が従うことを許された場所ではない。それが国防軍をはじめとした帝国の戦争という概念への最終解答であった。軍人は戦う。戦う自由のもとに戦う。戦いたくない者は戦う必要はない。然るべき命の使い道を欲せよ。その信念に従い、帝国は武と民に絶対的な線引きをおこなっている。皇帝権を用いない限り徴兵令も出すことはできない。これは如何なる例外も許されない。


そして、銃後は絶対的な安全のもとで軍兵を養うのである。これらの違いは、貨幣経済を導入して生ずる貧富の格差が社会的な不安定を呼ぶことなく豊かさを享受できること、また名誉と誇りこそ職務遂行の最重要課題であるとする帝国民にとって当たり前である一方、人間の国家からすれば異質に尽きるものであった。


それらは恐れを増幅させ危うい暴発を招きかねなかった。しかし、いつ如何なる状況に対しても帝国は超然として薙ぎ払う覚悟を持っていた。


時代は動いた。事態はリアルタイムで状況を開始した。日向にその舞台を移すには時間があった。最初の演目はジメジメとした日陰で繰り広げられる影たちの闘争であった。


突然であるが、宮廷府外務省と国防省の徹底的な監視体制は人間国家から送り込まれた間諜の動きをほぼ正確に把握していた。各省のトップであるのは総監である。外務総監のミョルニル・モロトシヴィリと国防総監のプブリウス・コーネリア・スキピオ・マイヨールはどちらもが筋金入りの皇帝主義者であり、ユリアナ女史と共に長きに渡り帝国を支え続ける重鎮である。


彼と彼女はそれぞれ守りの防諜と攻めの諜報を分担しており、彼らの動きは人間側が考えている以上に拙速を尊び、しかして正確かつ必要十分により近い判断を下す。総じて優秀な文官と武官を有していることは語らずともわかるであろう。


その監視網の下であえて泳がせ続けた中の一人、北西に国境を接する大国ログリージュ王国所属の男が西部の公都にて式典が終わったのをスクリーン越しに見届けると行動を開始したことが確認されたのだ。


男の所在地や情報の詳細は地中に巡らした魔道電信線を介して西の森林を統治するイスパナスの公都ザマスの国防庁諜報局に数分で恙無く伝達された。


男の名前はゼルプ・ディートリッヒ少佐。


ログリージュ王国の護国卿(軍務大臣相当)であるベラノート侯爵ヴァレンシュタイン元帥直下の対外諜報部隊に所属するエリート軍人で生まれは錠前屋。先祖代々ログリージュで生まれてログリージュに骨を埋めてきた生粋のログリージュ人だ。


国内に特任大使付武官として帝国へ入国したのが三年前だ。大使付武官として任命されていながら帝国の外務官僚との会見では一度として護衛任務に参加していないことが分かっていた。このことから推測するに彼は入国前から本国、またはヴァレンシュタイン卿からの密命を帯びて諜報活動を行っていたと考えられている。現在までの彼の行動の捕捉率はほぼ八割である。


三年間の間の移動履歴が残されており、今回突然に西部国境地帯へ向かったこともその監視網から報告を受けたのである。


西都ザマスでは一時いざ拘束に乗り出そうとしていたが、中央の外務省からの放流指令により断念された。


結論から言えば、ゼルプ・ディートリッヒ少佐は西部の国境からの脱出を成功させた。見逃されたという表現が正確だが、彼が逃げ果せたのは間違いでは無い。彼は森林帝国の新生とその膨張をこれ以上看過すべきでは無いとの判断を下し本国へと帰還し次第上司のベラノート侯ヴァレンシュタインへの報告を果たした。緊急で御前会議が開催され、ログリージュ王国国王フリードリヒ・マグヌス二世はバルカン=テトラ神聖帝国の西部領イスパナス公国への侵攻作戦を王命で発した。疾風の勢いで大陸西方各地では外交官が飛び回り、西方諸国連合は総勢六十万規模の遠征軍を派遣することを決定した。作戦決行は来たる雪解けの初春である。最終目標は公都ザマスの手前、西方前線における一大拠点、第二都市フラーテル・コリントス(戦略目標B-02)の攻略である。


ディートリッヒ少佐は持ち帰った情報や三年にも渡る長期諜報作戦に従事したこ実績を鑑みて二階級特進し大佐となり今作戦の先鋒を指揮する権限を獲得した。


雪解けの春まで三ヶ月。来たるべき時に向けて西方諸国連合は前線への物資輸送と兵員の入営を開始した。

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