第333話、緋色の心


 そんな――ヴィオは愕然とした。


「僕のスカーレット・ハートが……」


 聖剣が、ただの鉄の剣になってしまった。うっすらと光をまとっていた剣身が、ただの鉄色に変わっている。


「あはっ、いい気味だわ!」


 サールは嘲笑する。


「聖剣がなくなれば、お前はただの人間! ざーこ! ざーこ!」

「……っ!」


 しかし、ヴィオは顔を上げられない。形はともかく、聖剣の輝きを失った剣に目を落としたまま動けなかった。


 そう、何もかも奪われてしまった。この言い知れない感情は、恐怖か。自信も、力も、何もかも消えてしまって、不安と寒さを感じた。


 怖いのだ。体が震えてくる。


「まあまあ、聖剣なくなったくらいで、戦意喪失ぅ? ダッサ」


 サールは呆れたように吐き捨てた。


 ――くらい、じゃない。


 ヴィオは心の中で呟いた。聖剣は幼い頃から自分と共にあった。


 子供の頃から、ぬいぐるみよりも、スカーレット・ハートが大好きで一緒にいた。大人は鞘に収まっていても剣は危ないから、と言っていたが、ヴィオはずっと聖剣を大事にそばに置いてきた。


 神聖剣のオラクルセイバーが、ヴィゴとお話するのが凄く羨ましいと思ったこともあった。


 ずっと一緒にやってきた。剣を学び、一緒に成長してきた。大事な、大事な相棒だった。


 ――だけど。


 スカーレット・ハートから伝わっていた熱さが、温もりが離れてしまった。猛烈に込み上げてくる不安、寂しさ。大切な人を亡くしてしまった感覚に似ている。いや、そのものだった。


 不意に顔の左から強烈な衝撃がきた。突然だった。ヴィオの体は横へと倒れ込んだ。


「私に殴られても無抵抗? ほんとに腑抜けたわね」


 サールの右手が騎兵槍に戻っていた。それを横から叩きつけられたのだ。


「ぶっ刺したほうがいい声で泣くかしら? それとも、体が鉄になったほうが怖い?」


 鉄――


 ヴィオの体が足、ブーツから金属色に変わっていく。本当に体が鉄になる? その光景にヴィオの表情は恐怖に歪んだ。


 鉄になる。金属になってしまう。怖い――怖い!


「ははっ、怯える顔もいいわね。その無様な格好、情けない顔を、鉄の形で残してあげるわ。そして錆て落ちるまで、あなたの永遠に語り継がれるのよ。聖剣使いの恥とね……あっはは!」


 悔しい。だがもう駄目だ。ヴィオは力が入らない。体が金属になって、もはやどうすることもできないのだ。


 ――ごめんね、スカーレット・ハート。僕は……。


 悲しい。無力な自分が恨めしい。大切な友を失い、感じていた温もりさえ失った。


 このまま鉄となって死ぬ。せめてもの救いは、聖剣が自分の手に収まったままだということ。殴られても離さなかった。


『どうしようもないわね』


 どこからともなく声が聞こえた気がした。


『見た目に騙されて、勝手に悲しまないでくれない?』


 ――誰……?


 聞いたことがない声。しかしどこか知っているような気がする。


『あたしが誰かなんて、愚問過ぎない? アナタの手の中にあるでしょう?』


 ――手……?


 ヴィオは見る。その手にあるものといえば聖剣スカーレット・ハート。


『あたしは、緋色の心! 赤き血、そして炎の守護者! 火の一族マルテディの勇者を主とするモノ!』


 スカーレット・ハートは燃え盛る。


『あたしはまだ、死んじゃいないよ!』


 カッと熱さが全身に伝わる。感じられなかったのは錯覚だ。より強く、それはたちまちヴィオに力を与えた。勇気という名の力を。


「馬鹿なっ!?」


 サールは驚愕した。鉄に変わりつつあったヴィオが立ちあがったのだ。そして鉄に変えたはずの聖剣が紅蓮の輝きを放っている。


「なんでお前は鉄にならない!?」

『ならない、じゃない! お前の能力は所詮メッキなんだよ!』


 聖剣は咆える。


『だから、完全に覆われなければ、ヴィオは動けるし――』

「戦えるっ!」


 ヴィオはスカーレット・ハートを構え、そして迸る炎がサールへと飛んだ。緋色の心が熱き火の一族の魂を燃え上がらせる。


「馬鹿なぁぁぁっ!」


 サールはとっさに身構えたが、たちまちその金属の腕は溶けて、体を蒸発させた。



  ・  ・  ・



「サールお姉ちゃん!」


 フィーユは、ハイブリッドの同僚であり、実の姉のように慕っていたサールの死に愕然とした。


 そして急速にやる気が萎えた。


「……もういいや。これでおしまい」


 ふっと迫った影――ベスティア2号ボディのカイジンの長刀が、死神の鎌のようにきらめいた。


 うっすらと笑みを浮かべる少女。次の瞬間、刀が一閃した。哀れフィーユは両断――されなかった。


 真っ二つになったのは等身大の藁の人形。


『もういいから。じゃあね』


 フィーユは消えた。地面に落ちた藁人形を見下ろしカイジンは呟いた。


『傀儡だったか。最初から本体はいなかったか……』


 カイジンは振り返る。


『ガストン、無事か!?』

「ええ……まあ」

「ガストン!」

「ガストンさん!」


 フィーユの糸で体が操られていたゴッドフリーとトレが、ガストンを支えている。


「神官長、来てくれ! ガストン、大丈夫か!?」

「お前らに刺されたんだぞ?」


 ガストンは、出血しながらゴッドフリーの支えで横たわる。


「まあ……致命傷は避けた。……避けたよな?」


 弱々しく、しかし気丈に笑うガストン。カイジンがフィーユ――操り人形だったが――に迫るため、囮となった彼である。


 ルカとメントゥレ神官長がガストンに駆け寄り、さっそく手当を始める。


 ここの結界石は、破壊した。

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