第262話、悪魔少女と人外騎士


「元気のいいこと」


 少女は呟いた。


 精霊樹の根が伸び、満たされた地底湖のある地下空間。そんな一本の根に腰を下ろしているのは、十代半ばの少女。


 漆黒の長い髪、しかしその側頭部から2本の角が生えている。その瞳は金色。整った顔立ちの美少女なのだが、表情に乏しく、どこか気怠げだ。黒のマントを羽織っているが、その下は何も身につけていなかったりする。


 その少女の艶やかな唇が動く。


「何か御用? ルース」

「ウルラ」


 後ろに跳んできたルースが、少女の名前を呼んだ。少女――ウルラは薄く笑みを浮かべて振り返った。


「どうしたのかな? ボクに会いたくなったのかな?」

「魔王の欠片がざわついた」


 淡々と、ルースは自身の胸――黄金鎧の上から触れた。


「ここで、何かあったんじゃないか?」

「……その鎧、格好いいね」


 邪甲獣装甲と組み合わせて、あつらえられたルースの新しい黄金鎧。黒と金の色合いが美しい。


「ウルラ」


 話を逸らすな、とばかりに、ルースの目が鋭くなる。ウルラは視線を地下空間の一

角、横穴へと向ける。


「侵入者があったんだよ。黄金領域を突っ切って、精霊樹に近づいたヤツがいる」

「ここまで来たのか?」

「うん、逃げたけどね……」


 鳥型邪甲獣の大集団を前にしたら、準備もなく挑むほど無謀ではなかったようだ。ルースは言った。


「ヴィゴか」

「……どうしてそう思うんだい?」


 ウルラが背後の彼に聞けば、ルースの答えは簡潔だった。


「奴は、聖剣を持っている」

「なるほど。黄金領域に入って、無事逃げおおせるのは、聖剣使いということか」


 ニヤリとして、ウルラはルースの顔を見た。


「いい推理だね」

「見ていたのではないのか?」

「ボク、ヴィゴの顔知らないんだよね」


 嘘だった。ペルドル・ホルバの屋敷が吹き飛んだ時、ヴィゴと仲間たちの姿を遠くから見ていた。


「ボクが見たのは、闇鳥が3羽に、人間がそれぞれふたりずつ乗ってた」

「そいつらはどこからやってきた?」

「あの横穴だよ。わかるでしょ?」

「違う。あの穴は、どこに通じているのか、という意味だ」


 侵入者はそこからやってきたに違いない。どこかが地上に繋がっているのだ。ルースの問いに、ウルラは肩をすくめた。


「さあて、この辺りの地下は、古代文明時代の古い遺跡空洞があるからね。邪甲獣がどんどん穴を広げているから、どこかに出てしまったのかもしれないね」


 たとえば、討伐軍が来ているとかいう、セッテの町の近くとか。


「どうする? 行ってみる?」

「いや……」


 ルースは首を横に振った。


「兄さんの指示なしに勝手に動くわけにはいかない」

「じゃあ、ペルドルに報告するかい?」

「ああ」

「そう……。好きにすれば」


 ウルラは膝を抱える。一度去りかけたルースだが、振り返る。


「……何か気に障ったか?」

「別にぃ、拗ねてませんよー」


 マントの下から細長い尻尾が出て、ぶんぶんと振る。


「たまには、ボクと付き合ってくれてもいいのになー、なんて、思ってないんだからね」

「思っているだろう?」

「わかってるなら、言わせるなって言っているんだよ」

「言ってないだろ」


 真顔で返すルースに、ウルラはクスクスと笑う。何を言って、何を言っていないのか、わからなくなってくる。


「人肌が恋しいの! 言わせるなバカ」

「……僕は人ではないが」

「ボクも人じゃありませーん」


 ある時はブラックドラゴン。ある時は美少女魔族――その実態は、悪魔である。


「いいかい、ルース」


 ウルラは、ひょいと精霊樹の根から立ち上がると、ルースに歩み寄る。そして彼の黄金鎧、その心臓にあたる部分を指で指した。


「キミの心臓にある魔王の欠片が、『誰』のものか言わずともわかっているよね? キミが真に忠誠を誓う相手は誰?」

「……」

「ボーデン? 違う。ではペルドル兄さん? それも違う」


 ウルラは背伸びすると、ルースの頬に軽く接吻した。


「キミが尽くす相手は、ボクだよ」

「……はい、我が主マイ・ロード


 ルースが傅くと、ウルラは満足げな表情を浮かべる。


「キミはボクの守護者だ。そしてボクの精霊樹の守護者でもある」


 ウルラは両手を伸ばして、ルースの顔を両側から優しく挟む。


「ボクの王国を取り戻す。キミはそのために存在する。……忘れないでね」

「仰せのままに」

「では、行きなさい。ペルドル兄さんに、つまらない報告をしてくるといい」


 ルースを解放すると、再び足場にしていた精霊樹の根に座る。


「それまでボクは、ここで微睡むことにする。……早く帰ってきてね。ボクのルース」


 ルースの気配が消える。精霊樹の根を踏み台に跳躍して、城へと向かったのだろう。ウルラはフッと微笑んだが、それも一瞬、表情が消えた。


「……どこから侵入したか、か」


 その言葉を反芻する。


「穴を辿ればわかるけど、面白くないね」

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