第243話、クレハさんは怖い


 昼食は、トントの森でとれたフルーツと、獣を素材にしたステーキだった。


 明け方に寝て、起きて初っ端に食べるものとしては、少々ヘビーである。そんな俺に、クレハさんは笑顔で言った。


「夜は盛大にご馳走を振る舞うからね。楽しみにしていて」


 はい――それが無難だと、つくづく思った。朝から――もう昼だけど、これ以上盛られても楽しむどころではないだろうから。


 夜まではゆっくり過ごして、と言われ、俺もアウラと話し合って、お言葉に従うことにした。


 うちのクランの面々は、一緒に魔王崇拝者と戦ったせいか、ドゥエーリ族の女たちと交流していた。


 イラとセラータ、マルモが武器の見せ合いっこをしていたり、ネムとリーリエがドゥエーリ族の少女たちと遊んでいたり。……ディーが、年上らしい女性陣に取り囲まれているようだが。ま、何かされているわけでもないので、放っておいても大丈夫だろう。


 中央広場では、夜の宴に向けて準備が進められている一方、反対側ではカイジン師匠が、女戦士たち相手に稽古をつけていた。ヴィオもその中に加わっていて、彼女のお付きの騎士たちも参加させられているようだった。


 他の見かけない面々は、セカンドホームのほうで作業なり休んでいるのだろう。さて、俺はどうしようか。


「お主も、稽古に加わったらどうだ?」


 ダイ様が、カイジン師匠たちを顎で指した。あれなー。白騎士の周りには、武器を手にしたドゥエーリ族の娘たちがいて、それをカイジン流の達人が軽く返り討ちにしている。


「あれを見るとな、つい最近、ドゥエーリ族の男たちを退けたのを思い出しちまう」


 のこのこ出て行ったら、勝負を挑まれそうだ。同族の男たちの例もある。


「ちょっと遠慮したい」


 せっかく師匠が相手をしているのだ。彼女たちの勉強の機会を潰してしまうのはもったいない。


「単にやりたくないだけだろ?」

「わかる?」


 せっかくだし、のんびりするのもよくない? ラーメ領に戻ったら、こんな寛いだ休みなんて当分とれないんだからさ。


「ヴィーゴくん」

「あ、クレハさん」


 声をかけられた。ルカのお母さんである、小柄な女性がニコニコと。


「暇そうね?」

「……あー、はい」


 嫌な予感がした。


「聞けば、ヴィゴ君は、お父さんのお弟子なんだって?」


 お父さん――カイジン師匠のことだ。あまり実感がないけど、クレハさんは師匠の娘さんなんだ。


「そうなります」

「じゃあ、私の弟弟子ということでもあるわね?」


 クレハさんは姉弟子ってことになるのかな。師匠が同じカイジンさんだから、そうなるよな。


「弟弟子の力を見たいわ。ちょっと剣を付き合って。ね?」


 可愛くお強請り。これで一児の母。年下に見えてしまう魔性のお母さん。それはともかくとして……うん、やっぱりこうなったか。


「姉弟子の言うことは、弟弟子は聞くものよね……?」


 まだ何も言っていないが、反論は許されないらしい。笑顔が怖い。


「わかりました」


 それ以外の言葉を俺は知らない。


「あぁー、ズルいぞ、クレハ!」

「ナサキちゃん!」


 シィラの母であるナサキさんが、俺たちを指差していた。


「あたしも、ヴィゴと勝負したい!」

「ふふ、ダーメ。順番よ、順番」


 楽しそうにクレハさんは言うのである。……ナサキさんとの勝負云々は、俺は何も言っていないんだけど。あー、はい、誰も聞いてくれませんね、失礼しました。



  ・  ・  ・



 ということで、俺とクレハさんが模擬戦をやるというので、手隙の者たちが集まって観戦を決め込む。


 カイジン師匠と稽古していた面々も、手を止めてやたら期待する目を向けてくる。


 ドゥエーリ族集落にいる女性最強のクレハさん。カイジン師匠の娘というだけで、もう強そう。


 空気が重い。先ほどまでワイワイと騒がしかった周囲も、急に静かになった。俺と対峙しているクレハさんの表情に笑顔はない。空っぽ、いや静かな殺意のようなものを感じた。これは実戦か。本気の空気だ。


 いざ、始まった時、瞬きの間に模擬剣同士がぶつかった。


 えっ――という声は周囲から漏れた。俺も、クレハさんも、刹那の間に距離を詰め、剣を振っていた。


 なるほど、この動きはカイジン流。クレハさんは魔法で加速しているように素早かった。だが俺も繰り出される斬撃も突きも躱していく。


 時々わからない動きも交じるが、その根底にあるものはカイジン流。だからとっさに反応できたし、反撃もできた。


 視界が回る。周囲の物が流れていく。速い。速い。速い――


 ぶつかる剣。よく跳ねる、よく飛ぶ。小柄な少女――いや、それはもう人間の動きなのか?


 昂揚する。血液が沸騰する。感覚が研ぎ澄まされていく。笑ってやがる。可憐な少女が、殺意丸出しで。牙があれば剥いていたんじゃないか、そう思わせるくらいに。


 稲妻を避け、竜巻を弾き、疾風を飛び越え――飛び上がったクレハさんは、手にした剣を投げてきた。


 え、終わりか? 俺は反射で顔面に向かって飛んできた剣を、模擬剣を左手一本で弾き飛ばした。


 剣がなくなり、おしまい――なんてことはなかった。狂気の笑みを浮かべたクレハさんの顔が俺の顔の真正面に飛び込んできたのだ。


 頭突き、体当たり? そりゃ実戦なら何でもあるが――勝ちを確認するようなクレハさんの表情も一瞬。


 右手をフリーにしていなかったら、ぶつかっていたな――俺の右手が反射でクレハさんを掴んで衝突回避。


『こぉの、馬鹿者がァァ!』


 カイジン師匠の怒鳴り声が聞こえた。


『クレハ! 模擬戦に本気で殺しにいく馬鹿があるかァァ!』


 激怒である。俺、カイジン師匠のあんな怒鳴り声、初めて聞いた……。

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