第225話、白獄死書


 光を抜けたら、そこは見慣れない天井のある建物の中……じゃなくて、見覚えあるぞ。王都図書館だ!


「ニニヤ!」


 聞こえていた女性の声。何事かと見れば、ニニヤがお母さんであるモニヤさんに抱き締められていた。


「お母さん!?」


 ビックリしているニニヤ。そりゃ驚くわ。何でモニヤさんが、図書館にいるんだ?


「ヴィゴ!」

「ヴィゴさん! 大丈夫ですか!?」


 アウラ、そしてディーの声。イラやセラータ、ファウナも周りにいて、皆心配げな顔をしていた。


「……ああ、大丈夫。大丈夫だ」


 傍らにメントゥレ神官長が、俺と同じように座っていて、思わず苦笑する。


「どうやら、元の場所に戻ってこれたらしい」

「ですね」


 メントゥレも頭をかいた。


「お疲れ様です、ヴィゴ様」

「お疲れ、メントゥレ」


 おそらく本の世界だったあの場所で共に戦ううちに、呼び捨てになっていた。長いようで短い間だが、同じ戦場をくぐり抜けた戦友と言っていい。


 モニヤさんが娘を抱き締めていて、そのすぐ側にいたヴァレさんが、俺を見た。


「お帰りなさい、ヴィゴ君。確認するけど、あなた、本の中にいた?」

「たぶん……。そうじゃないかなと思ってました。中は普通に別世界みたいで、本の中とは思えないほど自然でしたけど」


 不自然な道中飛ばしがなければ、気づかなかったと思う。


「俺たち、本の中にいたんですよね?」

「ええ、この怪しい呪いの本の中にね!」

『怪しいとは失礼な……』


 突然、若い男の声が上から降りかかった。思わず見上げれば、そこに白と黒の二色の髪色をした少年、いや青年が浮かんでいた。空中で見えない椅子に座っているかのように。


「何者!?」


 周りにいた魔術師や警備兵が武器を構えた。……あれ、何か周りにギャラリーが増えているような? こんなに人がいたっけか。


『何者って、オレの名前が聞きたいのかい?』


 温厚そうな顔立ち。落ち着き払った声は、周りから武器を向けられても微塵も恐れを感じさせなかった。浮いている時点で、ただ者ではない。


白獄死書ハクゴクシショ。見ての通り、魔術書だよ』


 見ての通り……? 人間――いや、人間と思える何かにしか見えないが。


 白獄死書と名乗った青年は、机の上に降り立った。膝をつくと、置いてあった本――白獄死書を持った。


『いやはや、まさか最後のページをクリアしてしまう人間がいるとはね。認めよう、今からキミはオレのマスターだ』

「はい……?」


 どういうこと? 俺はもちろん、周りにいた一同、揃って呆然となった。



  ・  ・  ・



「――つまり、ハクゴクは、いにしえの伝説の魔術師?」


 アウラの問いに、白獄死書こと、ハクゴクは笑みを浮かべた。


「伝説の魔術師であり、その片割れともいう。オレは彼であって彼じゃない」


 彼は何を言っているんだ? 俺たちが要領を得ない顔をしていると、ハクゴクは肩をすくめた。


「わからなくても問題ないところだよ。些細なことさ。それがわからなくても、キミたちが死ぬわけではない」


 この世の中には、わからなくても困らないことはいくらでもある、と彼は言った。


「……ハクゴクも長いな。ハクでいい」


 ハクゴク――ハクは言った。


 彼の説明によると、大昔いたとある魔術師が、自分の魂を複製し、それを一冊の本に封じ込めた……らしい。


「魂を複製なんてできるの!?」


 アウラもラウネもヴァレさんも、そこに食いついた。そりゃそうだよな。人の魂って、その人だけのものだから、増やせるわけがないって思うのが普通だろう。


「そこがオレが伝説の魔術師たる所以だね。事実、できてしまったから、オレはここにいる」


 そう言って白獄死書を手に取る。なお、伝説の魔術師の名前は、ハクの口から聞けなかった。文字通り、どれだけハクが繰り返そうが名前のところだけ、何故か言葉が入ってこないのだ。


「モヤモヤするわ」


 ヴァレさんも、アウラも眉をひそめるのである。俺は切り出した。


「それで、俺をマスターに認めたみたいだが……あれ、どういう意味?」

「言葉通りさ。キミとニニヤ。オレはふたりをマスターと認めた。つまり、キミたちふたりは、オレを命令して使うことができるってことだよ」


 俺とニニヤか……。メントゥレは違うのか。


「命令できるって、何ができるの?」

「大抵のことはできるよ」


 ハクは首を傾けて、考えるように視線を動かす。


「何せ伝説の魔術師だからね。魔術師ができることは大抵できてしまうから……まあ、何か困ったことがあれば呼んでくれればいいよ。大体は何とかするからさ」


 へぇ……。やたら伝説の魔術師って言っているけど、それが本当なら、まあ、そうなのかもしれない。


「代価は?」 


 そこでアウラは、眉間にシワを寄せた。


「代償に何を払わせるつもり? ハク、アナタは魔術書。魔法が魔力を使って行うのと同じように、アナタの力を使う時も魔力とか、他の何かが必要なんじゃない?」

「うーん、別にそういうのはないな」

「ノーリスクだってこと? そんなのある?」


 訝しむラウネ。何気に大人バージョンだから、アウラと瓜二つである。ハクは首を捻った。


「そんなに疑うところかなぁ。人間だって、部下に命令する時、何か払ってる? ないよね?」

「給料とか?」


 ぼそっ、と俺は思ったことを口にする。ハクは目を丸くし、そして愉快そうに笑った。


「ハッ、これは一本取られた。確かに払っているかもね! まあ、お願いする時は別だろうけど」


 大丈夫、と彼は言った。


「代価も代償も特にいらないよ。嫌なことはこっちも拒否するだけだから。それがフェアだと思うんだ。……ただし、オレに命令できるのは、1日のうち3回まで、だ」


 回数の方で条件があるのね。まあ、代償ってほどではない。


「好奇心と探究心を満たしてくれれば、オレにとっては何よりの報酬だ。キミたちは面白そうな集まりみたいだから、これからよろしく」


 ハクは確信したように言った。


 誠実そうに見えて、どこか胡散臭さを感じるのは何故なのか。悪魔が誘惑する時ってのは、こうやって相手の懐に入ってくるのかな……。


 ただ、俺たちを面白そうな集まり、と評したことについては、多様な面々を見れば納得してしまった。

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