第3話

「ただいまー」


 玄関のドアを開けて中に入り、帰ってきたことを口にすると、洗面所から今しがたメイクを落としたばかりらしい彼女が出てきた。なんとなく、顔がいつもより暗い。


「おかえりー。ごめん今日残業入ってさー、今帰ってきたとこで何もない。……何買ってきたの?」


 僕が持っている量販店の袋に気づいた彼女がに、僕は袋を見えやすくするよう持ち上げた。


「あーかいきつねとみどりのた、ぬ、き。向こうで買ってきちゃった。今日これ食べたいなーって」

「わざわざ? ……じゃあ今日はそれにしよっか。私も食べたい」

 

 私やるから着替えてきて、と彼女が近づいてきて袋を取り、キッチンに向かっていく。歩きながら袋の中から早速カップ麺を取り出しているのが背中越しにも見えた。やっぱり、思った通りだったのかもしれない。

 手洗いうがいに着替えを済ませてリビングに出ると、彼女がキッチンで赤いきつねと緑のたぬきを袋から買い置き用の棚にしまっているのが見えた。僕に気づいた彼女が、こちらを向いて話しかけてくる。


「あともう少しでお湯沸くから。どっちにする?」

「今日はそばの気分かなあ。たぬきで」

「りょーかい」


 台所に緑のたぬきが置かれる。既に包装を解かれた赤いきつねが横に並んでいた。緑のたぬきの包装を外してふたを少し剥がし、薬味と粉末スープの素を取り出しながら、彼女が口を開く。


「マーク、ちゃんと『W』だった」

「うん」

「探してきてくれたんだよね。ありがと」

「……や、食べたかっただけだから」

「ネットでも買えるのに?」


 ちょっと意地悪に笑っている。こういう時はやっぱり彼女の方が上手で、僕はうまくやり通せない。


「昔は食べてたって言うから。関西風がいいとかたぶんそういうことかなって。せっかくだし、買っていったら喜ぶかなって」

「正直でよろしい。まあ、そんなに理由があったわけじゃないんだけど、気にしてくれたのは嬉しいかな。……あ、沸いた」


 レバーの下りた電気ケトルを持って、彼女がきつねとたぬきにお湯を注いでいく。きつねだけ先にお湯を注いでふたを閉め、箸を乗せてテーブルまで持っていった。それからたぬきにお湯を注いで、同じようにふたを閉めてテーブルへ。できあがり時間の差を順番に準備して同じタイミングになるようにしていた。どことなく、準備している彼女がうきうきして見えたから、そちらには何もしないで僕はコップと飲み物を準備する。


 テーブルに置かれたそれぞれのカップ麺の前に座る。いつもならなんとなく他のことをしながら待っているし食べ進めてしまうのだけど、今回は2人して「まだかな」なんて言い合いながら待ち時間を過ごしていた。こんな時間、ちょっと久しぶりかもしれない。


 そしてできあがり。お互い待ちきれなかったようにふたを剝がすと、2つのカップから白い湯気がふわりと上がる。匂いは変わりがないように思えた。でも、彼女は口の両端を上げて湯気ときつねうどんを見つめている。ささっと持ち出した箸で油揚げを押してスープに浸した後、カップを持ち上げてスープを一口。


「……うん、これ」


 満足そうに息を漏らした彼女に、安堵する。買ってきてよかった。僕も同じように箸を持ち出して軽くスープを混ぜ、一口。彼女が僕の様子をうかがっている。


「どう?」

「……食べ比べしないとわからないかも」

「まじでー、ぜんぜん違うから! 修業が足らなすぎ。絶対食べ比べさせるからね」


 わかるようになるまで続けるから、と彼女は僕に箸を突き付ける。変に真面目な調子で、思わず笑ってしまった。「何笑ってんの! 本気だからね!」と彼女も笑いながら、関東風と関西風の味の違いくらい判らない大人なんて、と憤って見せる。楽しそうな様子に、僕は安心していた。彼女のこういう振る舞いを見ていると、やっぱり一緒に暮らすことにして良かったと思う。しかもその後、彼女が普段言わないような言葉も聞けたから十分だった。


「……で、そっちも一口もらってもいい?」

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だから買って帰ってみた 西丘サキ @sakyn

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