第18話 初春:君に伝えたいこと02
薬は、効いている。
参詣の人混みの中、後ろの二人が離れないようにと時折視線を向けつつも、宗一は密かに安堵した。初詣行く話になった時に事前に服用しておいたのが功を奏したのだろう。
年を越してから、頭痛は更に酷くなったように思う。それでもまだ気取られていないだろうというのは、ひとえに宗一が薬を呑んでいるということを二人に見せていないのが第一に挙げられるだろう。実際、隠し通すというのはなかなかに難易度が高い。寧ろ今まで何も追及されていないのは、奇跡だとも言える。
――気付かれてるかも、しれへんけどな。
その可能性は否定出来ない。しかし性格的には気付いたらすぐに聞いてくるふたりだろうから、恐らくはまだ、大丈夫なのだと言い聞かせる。
余計な心配は、かけたくないのだ。
自分の山を越えるだけでも精一杯で、そして優しすぎて人の心配ばかりをするような馬鹿には。
只でさえ自分達のことを知っても、受け入れてくれる懐の深い愛すべきあの子には。
幸い、今の所頭痛以外に症状は出ていない。このままで行ってくれれば、世話を掛けることもない。だから、それで済むのならそれで、いい。それ以外で何かが起きるようならその時は。
――その時、やな。
心配は、かけたくはない。しかし、なりふり構わない状態の自分をあのふたりには見せたくはない。
どちらを選ぶかは、その時の自分に任せることにする。今は、まだこの時間に身を任せることを許したい。宗一はまた、後ろの二人の様子を伺う。
と、足元でとん、と何かが当たった、気がした。
「へ?」
その柔らかで温かい感触に思わず間抜けな声が、出てしまった。視線を下に向ければ、そこには。
「おかぁしゃん……」
ま。
迷子ー!
この人混みで、迷子とは何という。人の波は小さい子どものことを知るわけもないから、容赦なく襲ってくる。条件反射ですい、と脇をすくい抱き上げる。
「ふえっ」
「あー、泣くんやないぞ。男やろ」
「だっで、おかあしゃんが」
ぽんぽん、と背中を軽く撫でてやると、ぐし、とべそべそしながらも何とか堪えている。くまちゃんコートを来た子どものリュックには『まさお』と書かれた名札がぷらん、と揺れていた。何処かで見た名前だ、と懐かしくなりながらも、宗一はそのまま振り返った。後ろの二人もこちらに気が付いたようだ。
「宗一さん、どうしたんですその子」
「宗産んだの?」
ボケには無言でデコピン一発くれてやることにする。痛ぁい! という悲鳴が人波に攫われて消えていった。
「はぐれちゃったんですねえ」
「交番がええんか、この場合」
額を擦りながら、ううん、と横で龍一がとある一角を指で示す。
「まずは社務所に声掛けたらいいんじゃないかな。まだ親御さんが中で探している可能性もあるし」
「せやな、見つからなかったらそこから警察に連絡もするやろし」
そこで、よいしょ、と再度子どもを抱え直す。
「よっしゃ、まさおくん行こか。おかあさんおとうさん、探してもらおな」
こくり、と小さく頷く。どうやら宗一を安心できる人間として認識してくれたらしい、ということにまずはほっと一安心する。どうも自分は怖がらせてしまうような気がするので、泣かれてしまったら龍一か花に任せねばならないかと内心唸っていたのだが、それはせずに済みそうだ。
「いい子にして待つんやで」
「うん」
素直な返事に、自然口元がほどけるのが自分でもわかった。懐かしさが、よぎって消えていく。自分にも、こうやって抱き上げた子がいたのだ。そういえば、妻に働き口があったものだから、自分が家のことや子どものことを引き受けて送り出していたことを思い出した。子どもをあやし、食事も作り、子を連れて妻を迎えに行き。あの時は、少なからずそれを負い目に感じていたのだろう。今とは違って、男は働き養い、女は家を守れと言われていた時代だ。
――今や、それは立派な仕事です、と言われる時代やねんもんな。
まるで別世界だ、と何度思ったことか。
「おにいさん、あのね」
「おん?」
……それが自分を呼んだのかということに気づくのに数秒掛かる。認識している年齢としては『おじさん』否『おじいさん』言われてもおかしくないような括りだったが、よく考えたら今の自分達は随分若い身体なのだった。だからおにいさん、と呼ばれるのはおかしい話ではない。うん、多分、おそらく。
「いっしょに、まっててほしいの」
「ああ、ええで」
そう頼まれて、すぐに頷く。知らない場所にひとりで親を待つのはなかなかに寂しい。それは、わかる。
「龍一、花。先にお参りしてき」
「何言ってんの待つよ」
「寒かったんですよねえ」
一刀両断が早い。最近この二人の戦力が上がってきたことをひしひしと感じることが多くなってきたように、思う。油断していると足元をすくわれてしまいそうだ、と、密かに苦笑いすることも多いのだ。
今の自分が抱えているものを見たら、さぞかし怒るに違いない。
ひとりで抱えるなんて、と揃ってぷりぷり膨れるのだろう。それに甘えるのが、多分正解なのもわかっている。わかってはいるが、何処かで足を止める自分がいるのを、宗一は知っているのだ。
――そんなんは、やっぱり見せたないなァ。
それは要らぬプライドなのか、それとも。
「……寒いし早う行こか」
砂利石を踏む音が、いやに響く気がしたが、無視することにした。抱き上げた子どもが不安げに、否、心配げにこちらを見つめている。それに安心させるように、小さく笑ってから再度、背中を優しく撫でた。
「すぐ迎え来るやろから、それまでは一緒居よな。だから」
ああ、この言葉を自分以外に吐くことがまた、あるなんて思いやしなかったが。
「寂しがったら、あかんよ」
***
有難うございました、と深々と頭を下げるご両親にいえいえ、と応じる背中を眺めながら、龍一はううん、と唸った。
今の所、見る限りは変調を見せていない。勿論それをまるっと信じるわけではない。相手はあの『直木三十五』なのだ。自分の弱みを見せるのをよしとしない男が、そう簡単に尻尾は見せまい。
「お世話になりました」
「おにいちゃんありがとおー」
こちらにもぺこりと一礼する一家に、龍一や花もいいえいいえ、と笑って見送ることにする。幸い警察のお世話になる前に、社務所を覗きに来た両親と子どもは無事に再会を果たすことが出来た。本当に良かった、と胸を撫で下ろす花の横で、小さく手を振りながら龍一も安堵に口元を綻ばせる。
「さて、僕達も――」
そこまで声にしてから、こくり、と呑み込む。そして、ちらり、と時計を見て一歩、二歩。
宗一の肩を軽く掴んで、にっこりと微笑む。ぱちり、と驚きに丸くなった目と、視線が合う。
「お参りの前に、お昼にしない? ちょっと早いけど参拝客も多いしさ」
「……ああ、せやなあ。もうそんな時間か」
時計を見れば十一時を回ったところだ。確かに、と宗一も頷いたのを見て、花へと視線を移した。
「八幡さんの鳥居の傍に、カフェみたいなところあったよね」
「あ! はい! あそこおみくじおうどんってあるんですよ」
花が楽しそうにそう話を繋げてくれる。
「スイーツも美味しいんですけど、うどんも美味しいですよ。薄味だし、宗一さんも大丈夫じゃないかなあ」
「おお、そうかそうか。汁黒ぅないんなら助かるな」
じゃあ、行こうかと歩き出す。そのすぐ後ろについて龍一も歩き出した。
店についたら、まず水分補給。あと出てからも温かい飲み物を一緒に買って飲ませる。決して悟られてはならない、と内心で小さく息を吐いた。花に話すのは少し後になりそうだ。
――悪いけど、流石に見逃してあげられないんだよね。
一瞬の安心。少しだけ眉を寄せて、瞼を閉じる。
その顔は少し白いようにも感じた。
残念ながら、相応に傍で見てきたのだ。そして自分と違うようで似ている、そんな彼の変調の兆しを見逃すまいと気を向けているのだ。伊達に一緒にいるわけではない。
「うどん食べて、お参りしたら帰りは甘い物食べようよ」
「食うことばかりやないか」
「えっ、正月限定の甘味は押さえておきたくない? ねえ花ちゃん」
「そうですよ!」
話を向ければちゃんと乗ってくれる。勿論花は甘い物好きでもあるから、こういう誘いを断るわけはないのだが、その受けたら返してくれるリズムの速さが、今は助かる。
「……しゃあないなあ。ちゃんとお参りしてからやぞ」
微苦笑が、彼の顔に浮かぶ。それが隠す類のものではないことに、密かに安心した。はぁい、と揃って返事をしてから、三人は社務所を後にする。砂利の音が歩く度に幾重にも重なっていく。
彼をひとりにしない為に色んな策を巡らせる。
あの日、自分が感じた寂しさの果てを、感じさせたくはないのだ。暗い海の波打つ中に引き込まれるような思いは、させたくないのだ。寂しがり屋の彼には、尚更に。
目の前の背中に、声には出さずにそっと語りかける。届かなくていい、今はまだ。
必要な時に、嫌というほどに伝えてやるのだから。
『寂しがっていいんだからね、ひとりじゃあないんだからさ』
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