第17話 初春:君に伝えたいこと01
年末年始の鎌倉は、一際賑やかになる。
初詣客が小町通りを埋め、鶴岡八幡宮の参道には屋台が並ぶ。鮮やかな着物がひらりひらり、と普段より更に多く見られるのもこの時期ならではだろう。詣でるにも行列で、簡単に手を合わせるのは難しいと来たものだ。
「まあ、鎌倉ってだけで着物着たくなるのはわかるんだよね」
「そうなんですよねえ」
かろん、という下駄の音が心地よく響く。花が振り返るとそこには藍紺の着物に薄藍の羽織をまとった龍一が楽しげにあちこちを見ながら歩いている。寒いから、と下は黒のハイネックセーターを着込んでいるが、不思議と違和感はない。まあ、そも着物がメインの時代の人なのだから、それは当然といえば当然なのだが、今の文化も取り入れた着方をあっさり受け入れたのにも驚いたものだ。足袋は藍染のもので、そこに辛子色の鼻緒を合わせているのでいいアクセントになっている。素地がいいのも相俟って、先刻からすれ違いざまに黄色い声が小さく上がっていることなど、全く気が付いていないのだろう。
――気が付いてないのは、こっちも同じなんですけどねえ。
花は、その更に後ろをぼんやりのんびり歩く、もうひとりに視線を向ける。
ぱりっと薄黄色の襦袢に深緑の着物を合わせ、更に黒の長羽織を粋に着こなす宗一は、様になりすぎてて恐ろしい域である。そもそも、著者近影の写真を見ても何かと着こなしているので、センスの賜物というべきなのか、はたまたやはり素地なのか。此方は黒足袋に灰鼠色の鼻緒を合わせていて、から、ころ、と規則正しいリズムで歩いている。前髪は挙げて入るものの、歩いている内にぱらぱらと落ちてきて、これまた絶妙な塩梅だ。
正直言ってしまえば、離れて歩いていたい。目立つのだ、兎に角。
「花、あんま離れるとはぐれるし、気ィつけ」
「……はぁい」
まあ、そもそも自分が言い出しっぺなので、離れるわけにはいかないのだが。うう、と思いながら、花は少し歩くスピードを緩めたのだった。
そも、ただ着物が着たかっただけなのだ。
いいなあ、と言い出したきっかけは昨年久々にあった友からのメッセージだった。
そこには立襟のフリルの付いたブラウスの上に着物を着付けた和洋折衷のスタイルで笑う彼女の姿があり、非常に可愛くまとまっていた。確かに最近古着屋でアンティーク着物がお手頃なお値段で並んでいるのを見るし、少々興味はある。最初から全て畏まって着るより、洋服を取り入れるのも安心出来る要素だ。
しかし。まあ、着付けが出来ないと話にならないのは、流石に花でもわかる。
「……あ、そっか」
そこで、ぽん、と手を打ち、友の写真をスマートフォンの画面全面に表示してから、自室の襖をばん! と開けた。
テレビでは新年特番バラエティーが賑やかに放送されていて、その前に鎮座したコタツに潜っているふたりが目を丸くして此方を見上げていた。こうやって見ると、揃って顔がいいしやっぱり似ているなと思うのである。血の繋がりは、かけらもないのだから、不思議なものだ。
「あの! 宗一さん! 着物着たいです!」
力いっぱいの主張とともに、その画面を黄門様の印籠よろしくばばん! とふたりに見せる。
「……まあ、こういう着方なら、手伝ったるけど」
少し気圧された調子で返ってきた言葉から、気がつけば皆で着物着てお参り行こうやという流れになったのである。
「でも着物、久々で懐かしいね」
うきうきとした調子で龍一が笑う。
「花ちゃんも可愛く着付けて貰ったし、いいねいいね。宗のセンスは流石だよ」
着物は、懐古洞の奥さんが「あらあら、うちに沢山あるから是非見て欲しいわ」とにこにこと申し出てくれて、気に入ったものや基本的に揃えるものは一通り譲ってくれた。そこから帯や着物の組み合わせを二人のアドバイスの下で選び、またアレンジはタブレットとにらめっこしながら花の持っている服から宗一が選んでくれた。
花は深い赤の縦セーターの上から、明るい青に赤と黄色の南天の実が散っている柄の着物を着ている。帯は半幅帯と言われる初心者向けの帯で浴衣にも使えるものだ。これは、奥さんが着物デビュー祝いに買ってきてくれたもので、蒲公英の色と蜜柑の色のリバーシブルになっている。それを可愛らしくお太鼓結び風に結んでいて、両方の色が楽しめるし、通常のお太鼓結びで使う枕、という小物を使わずに結べるので椅子などに座る時がとても楽だという。そこに辛子色に梅の花があしらわれた羽織を着て、大判の白のストールをマフラーのように巻いている。寒いので下にはタイツを履いているし、ペチコートのようにシックな朱色のスカートを履いているので、着物の裾からちらりちらりと見えるのも可愛い。
……という着付けを、宗一がタブレットの画面を凝視しながらやってくれたのである。
「完全に孫と爺だったねあれ」
思い出し笑いする龍一に、まあそれはそうだよねえ、と花も笑う。
躊躇いもなくセーターとスカートを着て出てきた花に容赦なく着せていったのだから、色気などはあるわけがない。そういえば、自己採点で性欲五点とかつけてましたっけね……というのを思い出すが、あながちそれも自称のみ、というわけではないのかもしれない。
「まあ僕達からしたら、お預かりしてる大事なお嬢さんだし、まあ孫娘とかひ孫辺りでも差し支えないくらいだしね」
「大正後半の生まれでしたっけ」
西暦で言えばまだ一九〇〇年以前になる。昭和が始まったころにはふたりとも執筆していたのだから、本来の年齢を考えれば自分の祖父、いやその祖父の父親や叔父くらいの立ち位置でもおかしくないくらいだ。
そう考えれば、彼等が今ここにいることが、とても不思議に感じる。
今通り過ぎる人達は、彼等がまさか文豪であり、様々な作品を世に送り出したとは当然ながら考え及ぶわけもない。ましてや年に二回文壇をわかせるあの有名な賞の元となった二人だなんて、言ったところで信じやしないのだ。
だから、知っている花からすれば、綺麗に溶け込んでいるからその知っていること自体を忘れそうになる。自分にとっては『芥川龍之介』『直木三十五』という前に、自分の遠縁である保護者的な存在である『植村龍一』『植村宗一』なのだ。後者はまあ、本名ではあるが。それでも宗一はあの時代に『直木三十五』という作家像を自身で作り上げていたように思う。随筆や作品から感じる印象と周囲の語っている、そして自分が見てきた印象と、異なるものがあるのだ。
「どう思う?」
こそり、と龍一が耳打ちをする。後ろを歩いていた宗一は今は前を歩いている。その方が時折自分で後ろを振り返り、二人がはぐれないように見るのにいい、と感じたからだろう。背中は、変調を感じさせるようには見えない。
だが、それは本当とは限らないのを、知っている。
「読めませんよね、流石というか」
「だよねえ、年季が入りすぎなんだよ。宗は」
まあ、でも。
向けた龍一の視線は、挑戦を受けた好戦的なそれだった。
「そうは問屋が卸さない、ってね」
もう来月に迫る、その日に向けて。二人は視線で鼓舞し合う。
絶対に、ひとりでなど越させる気などないのだ。その決意を胸に、花は目の前の背中を追いかけた。
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