第19話 絶望
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銀の落ちていく姿は、やけにゆっくりで、スローモーションみたいに見えた。
空間から銀の支配が遠ざかり、展開しようとしていた紅の魔法陣が消失していくのを感じる。
もう、蒼の世界を見続ける必要もない。集中――と、緊張――を解いて、視界をもとに戻す。
銀が遠く地上の南校舎の残骸に全身を打ちつけ、力なくその場に四肢を投げ出す。
ほどなく彼の周囲に深紅の染みが広がっていく光景は、残酷な事実を告げていた。
銀が死んだ。
――違う。そうじゃない。
僕が。
僕が……銀を殺したんだ。
「……」
やらなきゃ……やられてた。
僕が生き残るためには、避けられなかった。
銀は、大勢を殺そうとしていた。
僕はそれを未然に防いだんだ。
それに、僕が手を下さなくても手遅れだって素人にもわかるくらい、銀は自らの力で重症を負っていた。
だから僕は悪くない。悪くなんか……ないんだ。
冗談かと思うような銀の姿を遠目に見下ろしながら、呆然とそんな言い訳たちを脳裏に並べる。
けれど、どんな言い訳で取り繕ったって、事実は変わらない。
僕は銀を殺した。
呆気ないくらいに、簡単に人の命を奪った。
……僕が。
胃がむかついて、口もとを押さえる。
嫌悪感に吐きそうになるのをこらえるので精一杯だった。
――待てよ、つかさと三峯さんは?
「……っ!」
吐き気が引っ込んでしまうくらいには血の気が失せて、銀から目をそらして立ち上がる。
こんな……ぼうっとしている場合じゃない。
――探しに行かないと。
あわてて吹き飛んだ塔屋に駆け寄り、残骸の合間をぬって崩壊しかかっている階段を降りる。
階下は地獄だった。
悲鳴、苦鳴、すすり泣き。
泣き声、怒号、助けを呼ぶ声。
そして、コンクリートがきしむ音、椅子や机をどかす音、誰かを引きずる音。
無論、音だけじゃない。
鋭利に切断され、構造部材がなくなって自重を支えられなくなり崩壊したコンクリート。
そのひび割れたコンクリートにそって流れる、ドロリとしたどす黒い鮮血。
落ちてきた瓦礫の下から投げ出された、もう動くことのない下半身。
床に転がる、誰のものかわからない左腕。
右半身が潰され、助けて、とうめく同級生。
友人が必死に止血してくれている姿を、もうろうとした目で見上げる生徒。
両足を失って泣きわめく先生。
鉄筋が突き刺さってぐったりとした先輩。
阿鼻叫喚、としか言えなかった。
そんな光景を見回し、僕はそこにいる人たちを苦渋の思いで無視する。
半壊した三階に、つかさと三峯さんはいなかった。
――そうだ。二人が屋上の床面と共に落下したあと、そのまま三階も崩落させてさらに階下へと落ちていったのだ。
もっと下に行かないと。
ここにいる彼らには助けが必要かもしれない。
だけれど僕は、つかさと三峯さんを見つけないといけない。
だから、僕は彼らを見捨てたわけじゃないんだ。
ちくりとうずいた罪悪感にそんな自己弁護をしながら、階段を降りる。
大勢の助けを求める人々を無視して、二人を探す。
二階にもいなくて、さらに降りようとしたら、階段が崩落していた。
高さはともかく、瓦礫ばかりで飛び降りれそうない場所を、僕は天使の力で重力を緩和させて飛び降りる。
どこだ。
――どこだよ、つかさ。
募る焦燥感に、いまさらになってほほを伝う冷たい汗がやけにはっきりと感じられた。
一階に降りて周囲を見回し――ようやく二人を見つける。
「……っ!」
がしゃり、と崩れるコンクリート片に転びそうになりながら駆け寄る。
場所は、ちょうど屋上から落ちていったところの真下だった。
ここは一階の……三年の教室だ。
三階と二階も崩落させて落ちていったはずだが、二人の周囲には奇妙なほどに瓦礫が残っていなかった。
教室の中央に、つかさがいた。
そばにいた誰かがそこを離れ、代わりに三峯さんがつかさのもとへ。
三峯さんがつかさの身体を抱える。
「ふぁっ! か、和彦さん!」
そこで僕に気づいたらしく、三峯さんが悲鳴と共に僕の名を呼んだ。
「……」
けれど、僕はなにも……返事ができなかった。
その光景が信じられなくて。
そんなことがあるなんて……思ってもいなくて。
「……」
全身から力が抜けて、崩れ落ちそうになるのこらえながら、なんとか一歩踏み出して近づく。
三峯さんは無事だった。
せいぜいかすり傷程度だったらしく、大きな怪我もなさそうだった。
けど……つかさは。
「なん、で……」
もう一歩近づく。
二人のもとまで、あと数歩もない。なのに、その距離がやけに遠い。
つかさの腹部が真っ赤に染まっていた。
「和彦さん。……つかささん、つかささんが……」
その端正な顔を涙でグシャグシャに濡らしながら、三峯さんはつかさの名前をうわ言のように繰り返した。
つかさの腹部は真っ赤に染まっていた。
つかさの――そこから下は、少し離れたところに力なく横たわっていた。
「ウソ……だろ……?」
真っ赤な鮮血が、つかさの姿が、残酷な事実を無情に告げていた。
なんとか二人のもとにたどり着いたところで、膝がくずおれる。
ばちゃ、と血が跳ねたけれど、そんなこと気にもならなかった。
震える手で、恐る恐るつかさの手のひらに触れる。
それはすでに、ぞっとするほどに冷たくなり始めていた。
違和感によくよく見てみると、指先も切断されていて、本数が足りていない。
「つかさ」
ほほに手を伸ばす。
まぶたは閉じられていて、勝ち気なつり目は見ることができない。けれどその表情はとても穏やかで、いつもの勢いを知っていればいるだけ似合っていないように思えてしまう。この冷たささえなければすぐに起き出すんじゃないかって思えて仕方がない。
栗色のショートカットに触れる。
朝起きる度に「あっちこっちはねてヤんなっちゃう」と愚痴をこぼしていた髪。けれど、染めていない地毛のこの色が、実は密かな自慢だったことを僕は知っている。
正直、隣にいてわずらわしいって思うこともしょっちゅうだった。
なのにこうやっていなくなってしまうと、絶望的な喪失感に全身が支配されていた。
天原つかさが死んだ。
轟銀の天使の力。
指向性レーザー“炎の剣”によって。
二人が落ちたあとも構わずにあいつが振り回していたそれ。
僕の見ていないところでなにが起きてしまうか、僕は分かっていたはずなのに。
僕がためらわなければ。
決断できないまま逡巡していたから、こうなってしまった。
僕がさっさと銀を殺していれば、つかさが“炎の剣”で斬られることもなかった。
僕のせいだ。
そう思うことをやめられなかった。
僕のせいで。
僕のせいで……つかさは死んだのだ。
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