第16話 顕現
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「うわっ……」
「きゃ!」
「わわわわわ、なにこれ!」
その激しい揺れに、僕らは立っていられずにその場でしゃがみこむ。
地震……地震?
その地震は、実際のところぐらぐらと揺れると言うよりも、ブーン、という低いうなり声みたいな振動だった。
「……くっ」
それに加え、頭の奥がちらつくみたいな、瞳の奥がキリキリと痛むみたいな、不快な感覚が僕を襲う。
「なん、だよ……」
きつく目を閉じて、頭を押さえる。
そうやって耐えていたら、不意に“なにか”が変わったのを感じた。
なにか。
なんていうか……なんとも説明がしがたく、ただ“なにか”と表現する他なかった。
いったい、なにが――。
困惑と共に目を開ける。
「――っ!」
その光景に息を呑む。
……いや、この光景が初めてなわけじゃない。何度か――二度、見せられたのだ。
視界が蒼く染まっている。
そして今度は、一瞬でもとに戻ったりせず、ずっと蒼いままだ。
僕の近くで同じようにしゃがみこんでいるつかさと三峯さんも、僕らのいる北校舎の屋上のコンクリートの床も、向こうに見える南校舎も、周辺の住宅街も、崩壊した大学の建物も、雲におおわれた空も、全てが蒼くて、ゆっくりと見ている余裕があった。
そして、ゆっくり見ていられる余裕があったからこそ、この視界に違和感を抱く。
どう言うべきなのか……見える光景全てが薄っぺらい。
つかさと三峯さんも、足下の高校の校舎も、さらにその下の大地も、なにもかもの……存在感が希薄だ。
……?
いや、違うな。
たぶん……そうじゃなくて。
薄っぺらくなったわけでも、存在感が希薄になったわけでもなくて……これは、これまで見えていたものよりも、もっと多くのものが見えているって感じだ。
「なんだよこれ。……なんなんだよ」
自分の手のひらを大きく開いて、ひらひらと振ってみたり、表と裏を交互に見比べてみたりする。
ついさっきまでとなにも変わらない、僕自身の普通の両手だ。
だけど、見えないはずの手のひらの向こう側がちらついたり、深みに落ち込んでぐにゃりとゆがんで見えたりする。
「うわ、うわ――」
「――さん、和彦さん、和彦さん!」
肩をガシッとつかまれて、顔を上げる。いつの間にか、三峯さんの顔がすぐ目の前にあった。
「みつ、み――」
「――落ち着いてください。和彦さんはどこもおかしくなんてなっていません。大丈夫ですから。落ち着いて、冷静になってください」
「そんな、でもこれ――」
「和彦さん」
三峯さんの指先が、肩に食い込んで痛かった。けれど、その痛みと三峯さんのひどく真剣な眼差しが、少しだけ冷静さを取り戻させてくれる。
「和彦さんが見ている光景は、前となにも変わっていないんです。世界の仕組みが変わったり、和彦さんがおかしくなったりしてしまったわけではないんです。ただ、今までと違う見え方ができるようになって、見えていなかったモノが見えるようになっただけなんです。だから、心配することなんてなにもないんです」
「それは――」
反論しそうになるけれど、その説明になんとなく納得できている自分がそこにはいた。
だって、ついさっき思ったのだ。
これまで見えていたものよりも、もっと多くのものが見えているって感じだ――と。
見えていなかったモノが見えるようになった、か。
心を落ち着けて、瞳に映る蒼く染まった光景に、改めて注意を払う。
その蒼の世界でも、様々な物は――人に建物に大地に、とにかくそこにあるなにもかもがだ――確かに存在している。存在感が希薄に感じられるのは、それ以上の空間を認識できてしまうからだ。
それを意識すると、ぞっとする。
縦、横、高さの他に、もう一つの方向が見えている。
表現しがたいそれをなんとか言葉にするなら、空間の“深さ”とでも言ったらいいだろうか。それは場所によって浅くなったり深くなったりしているが、ともかく安定していない。
そのせいで、見えている物がちらついたり、三次元空間なら見えないはずの向こう側が見えてしまったりする……ということだろうか。
「てことは……三次元空間じゃない、のか」
自分でそんな突飛なことを口にしたのに、それがなぜか腑に落ちてしまう。
空間の深さ。
縦、横、高さの三次元に、もう一つの次元が追加されたということ。
となると、三足す一。簡単な足し算だ。
「四次元、空間……?」
「和彦さんは……理解が早いですね」
三峯さんが目を見開いて、感嘆の声をあげる。
次元が増えているのだと思ってみるだけで、すごく落ち着いて周囲を見渡せるようになった。
まだ地震は止んでいないが、立ち上がるのも苦ではない。所詮三次元空間内の出来事でしかない地震は、僕には大したことないようにも感じられる。
「……カズ、その眼――」
「つかさ?」
まだ地震――というより、バイブレーションみたいな振動――が止まない中、屋上のコンクリートに伏せているつかさが、僕を見て声を漏らす。
「蒼く……ひ、光ってる」
「なに?」
目が光ってる?
つかさの言葉に、僕は指先で自分のまぶたに触れる。でも、光ってるかどうかなんて分かるわけなかった。
「和彦さんは……天使として覚醒したんです。三次元以上の次元――蒼の世界、と言って、和彦さんは納得できますよね?」
「ああ、分かる」
視界は蒼いままだ。この視界が蒼の世界だって、自分でもそう思ったのだから、その言葉になにも違和感がない。
でも、だからって目が光るなんてあるか?
「その蒼の世界の光が、和彦さんの瞳を介して……反射して、こちらにも届くんです。そのせいで、和彦さんの瞳が蒼く輝いて見えるんです」
「……そうか」
突飛な話だった。
理解できそうにない光景だった。
なのに、僕はなぜかすんなりとそれを受け入れてしまっていた。
実際に目にしてしまったから、否定しようがない、というのもある。
でもなぜか、この世界の仕組みを理解できるような気がしたのだ。
蒼く輝く瞳。
天使として覚醒。
蒼の世界。
四次元空間。
どれもスムーズに、僕は受け入れられてしまっている。
目の前に広がる、圧倒的リアリティを持つ光景を前に受け入れざるを得なかった、とも言える。
周囲を見渡す。
頭痛がする。三次元空間よりも情報量が多いからだろうか。イメージとしては理解できていても、頭の処理が追いついていないのかもしれない。
「……、?」
僕らのいる北校舎屋上。
そこに出てくるための扉の向こうに人影が見えた。
コンクリートの壁の向こうだったけれど、三次元でしかない壁なんて、今の僕の視界の妨げにはならない。
学生服に、小柄な体躯。そして、特徴的な色素の薄い髪の毛。蒼の世界じゃわかりにくいが、たぶん白髪なんだろう。
あいつは――。
そのとき、彼はハッとして顔をあげてこちらを見た。
なんだと?
なんであいつは、僕の視線に気づいたんだ?
僕らの間には、コンクリートの壁があって、向こうからは見えていないはずなのに。
彼も、僕が気づいたことに気づいたんだろう。しまった、と顔をしかめてから、あきらめて立ち上がる。
「……どういうことだよ」
後ずさりする。
考えたくはないが、嫌な予感しかしない。
「和彦さん?」
「……少し、下がってくれ」
「? ……わかりました」
疑問を追及せずに従ってくれる三峯さんが、今はありがたかった。
彼が、扉を開けて屋上へと出てくる。
ゆっくりと、うつむいて。およそいつもの彼らしくない仕草だった。
その姿に、背後の三峯さんが息をのむのがわかった。
「和彦。まさか君も……同じ力を持ってるなんてね」
「――銀」
彼、轟銀は、ゆらりとした足取りでこちらに近づいてくる。
華奢な美少年の容貌は、今まで見たことのないほどに醜くゆがんでいた。
ようやく揺れ――振動が収まってきて、つかさも彼の様子に怪訝な表情を浮かべる。
「轟君? どうかした――」
銀が顔を上げる。
その顔に――正確には、その瞳に――つかさは口をつぐむ。
「……銀。止まれ」
「どうして?」
「それは――」
口ごもる僕の言葉を次いだのは、三峯さんだった。
「――あなたが、天使だからです」
彼の、僕と同じように蒼く輝く瞳を見て、三峯さんが宣告する。
「燐は僕のものだ。返してもらうよ」
「返すもなにも、三峯さんはモノじゃねーよ」
「和彦、そういうことを言ってるんじゃないんだよ!」
僕の普段と変わらない言葉に、銀は簡単に激高した。
比喩じゃなく白髪が少し浮き上がる。脅すように掲げられた右手の空間が見る間にゆがんだ。
――空間の深さが急激に変化している。それも、銀の右手の一点だけ。……空間の深さは、人が干渉できるってことか。
そんな風に観察していられるのも一瞬だった。
深く落ち込んだ空間の一点から、蒼い光があふれる。
それは文字通り、蒼の世界から外の――通常の三次元空間へと漏れ、空間の深さに合わせて複雑な紋様を描いていく。
まるで魔法陣のように。
そして、その中心からまばゆい光の筋がほとばしり、まっすぐに駆け抜ける。
驚く間もないまま、その光は僕らの脇を抜け、屋上の角を凪いでいく。
「和彦。あんな風になりたくはないだろ?」
「なに?」
銀の視線を追い、光が凪いだ屋上の角を見る。
光の通った痕が赤熱している、と思った矢先、それを断面にして角の部分のコンクリートや手摺に防水層なんかがごっそりと切断され、地面に落ちていった。
階下から悲鳴や怒号が聞こえてくる。上からでかいコンクリートが降ってきたりすれば、誰だってそうなる。
「ウソ、だろ」
誰かが下敷きになってなきゃいいけど……。
「第、二項……。集束させた光子による指向性レーザー。……大天使ウリエルの、炎の剣……」
その光景に、三峯さんが顔を真っ青にしてつぶやく。つかさもまた、なにも口にできないまま呆然としていた。
「あな、たが……」
「三峯さん?」
顔面蒼白の三峯さんは、地震が収まったっていうのに、カタカタと震えていた。
「あなたが、あのときの男の子なの……?」
「……」
僕には三峯さんの言う“あのとき”がいつのことかは分からなかった。銀は返事をしなかったけれど、否定も肯定もしない姿は、三峯さんの言っていることを理解しているように見えた。
「昨日、つかささんを殺そうとしたのも……貴方だっていうの?」
その三峯さんのとんでもない言葉にも、銀は狂気に満ちた薄い笑みで答えた。
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