第15話 屋上
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昨日、三峯さんの兄、珪介さんに会うために訪れた北校舎屋上。
階段を上りきった三峯さんは、昨日とは違って屋上へ出る扉を勢いよく開け放つ。
「つかささん……いた! 良かった……」
扉の向こうには、屋上の隅に座り、フェンスに背中を預けてたそがれているつかさがいた。
三峯さんはその姿を目に留めるなり、走ってつかさへと駆け寄っていく。
「燐さん。本当に……来たんだ」
三峯さんを見て少しだけほほをひきつらせるつかさ。さっきの電話での勢いに気圧されたままみたいだ。
「つかささん」
三峯さんは、ごく当然のように手を差し出す。
「ん?」
なんて言いながら、つかさは思わず三峯さんの手をとる。
三峯さんはつかさの手を握りしめると、有無を言わさず立ち上がらせた。
「……つかささん、しばらく私から離れないでくださいね」
「燐さん? いったいなんなの?」
「それは――」
そんなやり取りを聞きながら僕も屋上へと出て――絶句した。
「なんだ……あれ」
左手側に見える南校舎のさらに向こう、大学の方で蒼い光が……吹き荒れている、としか表現できない光景だった。何号館か忘れたが、南校舎とグラウンドの向こうにある大学の事務棟と、でかい講堂がある棟の間からのようだ。蒼い光だけじゃなく、周囲の建物もどうにかなっているように見えるが、遠くてよくわからない。
「……カズ? なに言ってんの」
「和彦さん。やはり見えるんですね」
「ん、ええ? やはりって――」
僕の問いかけは、轟音にかき消された。
音の方角はもちろん、大学の方だ。
高校の南校舎に遮られているせいではっきり見えるわけではない。が、蒼い光の手前の事務棟が崩れ落ちて粉じんを巻き上げているのが見える。
「なんだよ、あれ……」
映画なんかの作り物の映像ではなく、誰かが撮影した映像を見ているのでもなく、実際に自分の目で建物が崩れ落ちていく様を見ているということが、すでに理解の及ぶ範疇ではなかった。
などと思っていたら、今度はもっと近くで凄まじい轟音が響く。
「なっ!」
「……ひっ!」
南校舎の一階の壁が、まるで爆発でもしたみたいに内側から吹き飛ぶ。
中から転がり出てきたのは、人間大のコンクリートの塊だ。そしてそれには……赤い汚れがついている。
怒号と、悲鳴が響く。
吹き飛んだ壁の内側、職員室の中からだ。
高校の中の雰囲気が、一気に変わった。
中庭や、中庭に面した廊下でたむろしていた生徒たちはパニックに陥り、我先にとどこか遠くへ逃げ出そうとする。
教室の中にいた人たちは、いったい何事かと廊下に出てきて、中庭と職員室の様子を見て目を丸くしている。
突然の、そして誰も予想だにしなかった事態に、冷静でいられる人などいなかった。
こんなこと、日本という国で起きるわけがない。
そんな風に考えていたことが、平然と目の前で起きていた。
……恐らく、大学の方で起きているなにかが原因だ。
南校舎の職員室をぶち抜いたのは、崩壊した事務棟の破片か。それが……グラウンドを越えてこっちの南校舎まで飛んできたってことなんだろう。そしてそれが赤く染まっているということは、それで誰かが怪我をしたってことだ。しかし、ここからでも分かる、あのコンクリート塊にべっとりとついた赤の――誰かの出血量からして、その誰かが本当に怪我と呼べる程度で済んでいるかどうか自信がない。
目の前の光景を現実だと受けいれるのに勇気が必要だった。
なのに、それは一向に収束する様子がない。
まだ遠くにある蒼い光の奔流の中、新たに紅い光がほとばしった。
天高く舞い上がる龍のように、一筋の紅い光が立ち上ると、瞬く間に蒼い光を侵食していく。
「……」
一言も発することができなかった。ただ黙って、手前の凄惨な光景と奥の異様な光景を眺めているしかない。
「うわ、うわー……なにあれ。事故?」
「……つかささん。つかささん……ダメです。離れないと」
「なに言ってるの。あそこからここまでどれだけ離れてると思ってるのよ」
なんとか制そうとする三峯さんに、つかさは野次馬根性で階下を見下ろそうとする。
『つかささんが死んでも……そんな悠長なことが言っていられますか?』
脳裏で、ついさっき教室で三峯さんに言われた言葉が響く。
ゾクッと背筋が凍った。
「……つかさ。頼むから、やめてくれ」
「なによ二人して……分かったけどさ」
僕と三峯さんのいつもと違う様子に、つかさはしぶしぶうなずく。だけど、僕も確証があるわけじゃない。
遠目に見える、講堂のある棟の屋上から土ぼこりが舞い上がる。事務棟はせいぜい二階建てだが、講堂がある方は五階建てくらいはある。だが、さっきから荒れ狂っている紅と蒼の光を見ていると、そんな大きな建物でも簡単に破壊されてしまうんじゃないかっていう気しかしなかった。
そう考えれば、それから数百メートルしか離れていない高校の校舎が無事でいられる確証などなにもない。さっきみたいにコンクリート塊がまた飛んでくるかもしれないのだ。
「……は……早く、逃げよう」
そう口にはしたものの、身体が動かない。
立て続けに起こる常軌を逸した事象に、頭がパニックにでも陥っているというか、真っ白になってなにも考えられなくなってしまったというか……とにかく、そんな感じだ。
それに、荒れ狂う紅と蒼の――いや、今はもうほとんどが紅い光か。とにかく、その紅い光の放つ凄まじい圧力に身がすくんでしまう。
……のに。
なんだ?
この、変な感覚は……?
肌の表面でチリチリと電気がはい回っている。
そしてその電気を、意のままにコントロールできるような奇妙な感覚。
……いや、そんなのは錯覚に決まってる。
決まってるはずだ。
そう思いはしていても、ほとんど無意識に右腕を伸ばして、遠くに見える紅い光の渦をつかもうとしてしまう。
アレをつかんで、自分のものにできる気がする。
自分のコントロール下に。
紅い光から、再度蒼い光へと戻すみたいに。
視界が蒼くちらつく。
「和彦さん!」
背後から、三峯さんが僕の左腕を握りしめてきた。
瞬間、視界が蒼く染まる。
「……っ!」
ぎょっとして、とっさに三峯さんの手を振り払ってしまう。
と同時に、一秒も経たずに視界がもとに戻った。
「な……なん、なん……?」
「大丈夫、ですか?」
心配そうにこちらを見てくる三峯さんに、僕はうろたえるだけでなにも返事ができなかった。
今のは……なんだ?
視界が蒼く染まった。
一瞬のことだったが、まるで蒼の色眼鏡をかけたみたいに、蒼い世界になったのは目の錯覚なんかじゃない。
思い出すのは、昨日のことだ。
南校舎の廊下が崩落したときにも、視界が蒼くなった。あのときはこんなに濃くなくて、薄蒼って感じだったけど、似たようなもんだ。
いったい……なんなんだよこれ。
僕は……なにかおかしくなったのか?
「カズ? いったいどーしたのよ」
「和彦さん。まさか、かくせ――」
突然の衝撃に、二人とも黙る。
大学の建物の崩落なんかとは比べ物にならない轟音と共に、校舎が――いや、大地が鳴動した。
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