第xx話 幕間


xx

 まだ幼い頃のことだ。

 私が“子供”ではなく“研究材料”だった頃のこと。

 同い年の男の子が、私を連れて外へと逃げ出そうとしたのだ。

 当時、まだ私は自分の力を自覚していなかったし、その力そのものの特異性もわかっていなかった。

 天使。

 その天使と呼ばれる特殊な力の中でさえ、さらに特異なものだと知ったのは、それから少し時間が経ってからのことだ。

 ……まぁ、今はそれはどうでもいいか。

 ともかくあのとき、男の子に連れられて、生まれて初めて建物の外に――それはなんの誇張もなく文字通り初めてで、私はそれまで日光を浴びたことさえ一度もなかった――出た。そこには当時の私が想像もつかないような、見たこともない光景が広がっていた。

 今思い返してみれば、それは本当に大したことのない光景ではあった。

 コンクリートの塀に、あまり手入れされていなくて好き放題に枝を伸ばした植栽と、焼けたアスファルト。

 たったそれだけの光景だったのに、私にはそれが異世界のように見えて、やけに恐ろしかった。

 外の世界――当時の私にとっての異世界――に出ていってしまって、兄さんとも会えなくなって、それでもその男の子と二人で生きていける気なんかしなかったのだ。

 その後、男の子は天使として覚醒し……数年後には、大天使ウリエルの炎の剣の由来ともなった第二項の力でもって施設を壊滅させた。

 その出来事をどう受け止めるべきか、私はまだ決めかねている。

 端的に見れば、それはあまりに残虐な事件だった。

 同い年の友人はそのときに全員死んでしまい、“研究材料”の中で生き残ったのは第四項対策室の四人だけ。……いや、あの男の子もか。その施設にいた大人たちも、たった一人生き残った“せんせい”以外は、皆死んでしまった。

 けれど、だからといって男の子がやったことを一概に否定もできない。

 あの出来事があったからこそ、私は今施設の外にいる、というのも紛れもない事実だからだ。

 たった四人になってしまったとはいえ、それでも、普通の人のように学校に通い、友達と笑い、そして……和彦さんと出会うことができた。それには……その遠因には、間違いなくあの事件がある。

 あのまま施設で暮らしていたら、研究や調査といった名目でさんざん身体をいじくり回され……この歳になるまで生きられていたかどうかわからない。

 おそらく、誰に知られることもないままに廃棄処分されていただろう。

 そんな人生になっていたのかもと思うと、あの事件があって良かった、などという言い方さえ可能だ。

 人間万事、塞翁が馬。

 昔の人はうまいことを言ったものだ。

 ……とはいえ、私は故事の塞翁のように振る舞うことなどできない。あのときの彼に感謝することなど無理だ。

 目の前にいた先生の首が飛び、友達だった子が縦に二つになった光景を、忘れることなんてできないから。

 けれど、研究材料としてしか扱われていなかった男の子が、自由を欲して力を行使したのだとしたら、それは果たして責められるべきなのだろうか。

 それに、この力が時にコントロールできなくなってしまうことも、私は経験的に知っている。

 だから、あれがあの男の子の意志によって引き起こされたものかどうかはわからない。実験の過程で故意に力を暴走させられたとしても、全然不思議じゃない。そう考えると、男の子のせいじゃない可能性、というのはなかなか大きい。

 けれど、だからといって……あの男の子が、男の子の力が皆の命を奪ったことには変わりがない。

 男の子はまだ、生きているはずだ。

 施設にいたたくさんの人を殺して、施設そのものを滅茶苦茶に壊して、そのまま逃げてしまったのだから。

 その子と再会してしまったら、いったいどうしたらいいんだろう。

 その事件のせいで大勢の人が死んだけれど、代わりに私はその後の人生と少しの自由を手に入れた。

 その事件が男の子の意志によって起きたのか、無理矢理に引き起こされてしまったのかは分からない。

 私にとってプラスの面があり、マイナスの面がある。

 客観的に見ようとしても、やはり責めるべき被害と、責められない事情がある。

 男の子に相対したとき、私はどうすればいいんだろう。

 白か黒か、なんていう二元論では語れない。

 許すことも、許さないことも、どちらも間違っているような気がしてしまう。

 さらに言えば私は、過去、現在、未来のすべての道筋に関与する余地がないのだと思い知らされている。この――運命らしきもののせいで、ずいぶん歯がゆい思いをした。そしてそれは……これまでだけじゃなく、これからも思い知らされるのだ。

 だからこれが、どうしようもないことで、変えられなかったものなのだと本当は分かっている。

 ただ言えるのは……どちらにしても、恐らく受け入れられないだろうということだ。

 許さなければいけない、とは思うけれど、味方として見ることはできないだろう。

 学校に通っているのなら、私と同じ高校一年。

 今ごろ、あの男の子はどうしているんだろうか――。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る