第12話 夜


12

 焦り、焦燥。

 寒気、悪寒。

 光、頭上を覆うそれ。

 輝ける天蓋。

 “私は、君を適切に導く義務がある”

 見知らぬ男の声。

 疑問、困惑。

 それから浮遊感……いや、むしろ落下、墜落。

 そして墜落の末の、衝撃。

「――っ、はっ!」

 飛び起きる。

 真っ暗ではあったが、そこは見慣れた自宅のリビングだった。

 すぐ右側の目線の高さに、ソファの座面が見える。

 ……考えるまでもない。

 リビングのソファから落ちて目が覚めたってことだ。

「あぁ……くそ」

 思わず悪態をつく。

 変な夢だった。

 もうそれ以外は大して思い出せない夢だったが、ただ、光輝く天蓋と一人の男の姿だけが脳裏に焼きついている。

 普段リビングのソファで寝るなんてことはしない。だから変な夢を見て、ソファから落ちるなんてことになったんだろう。

 ……いや、そもそも三峯さんが僕のベッドで寝たりなんかしなければ、こんなことにはならなかったんだけど。

 三峯さんは、昨日みたいに一緒に寝るのも平気……っていうより大歓迎みたいな感じだったけど、さすがにそれは無理だ。母さんに「根性なしだねぇ」なんて笑われたけど、無理なもんは無理。つかさになんて言われるかを考えるだけで恐ろしい。

 だから、すがりついてきそうな勢いの三峯さんを振り切って、僕はリビングのソファで寝たのだった。

 本当、ソファが一人で寝たらいっぱいいっぱいになるサイズで良かった。じゃなきゃ、三峯さんはソファでも一緒に寝ようとしてきたに違いない。

 落ちた感覚のせいで、まだ心臓がばくばく鳴っている。

 おかげで妙に目が冴えてしまって、しばらくは眠れそうにもなかった。

 時計を見れば、深夜二時。音を出すわけにもいかないと思うと、ゲームをやるのも気がのらない。

 学校を出たあと、五人で件のケーキ屋に行った。

 当初、あんまり食欲がなかったのだけれど、いざ店について想像以上に豊富なメニューを前に皆があーでもないこーでもないと言っているのを見ていたら、僕も食べたくなってしまって、結局、チーズスフレを頼んでしまった。

 女性陣は前言に違わない食べっぷりだった。谷口先輩とつかさが三つずつ、三峯さんは本当にショートケーキをホールでぺろりと平らげてしまった。

 僕と康介が唖然としたのは言うまでもない。

 ケーキ屋から出る間際、谷口先輩が「ヤなこととかツラいことはね、こーゆーので上書きしてっちゃわないといけないのよ」とポツリと漏らしたのが印象的だった。

 普段からハチャメチャな人ではあるけれど、谷口先輩なりに事故に巻き込まれた僕らに気を遣ってくれていたのだ。

 康介と谷口先輩の二人と別れたあと、つかさと三峯さんは「あんな人になれたらいいよね」と盛り上がりっぱなしだった。

 ……僕としては、谷口先輩の優しさはともかく、騒々しさだけは真似して欲しくないと思わずにはいられなかったが、それを指摘はできなかった。

 ――つかさ、起きてっかな。

 ソファに座り直して、テーブルに置いていた携帯端末をつかむ。

 いまいち文章が思い付かなかったが、試しに携帯端末で『ソファから落ちて起きた。目が冴えちまった』とメッセージを送ってみる。

 ま、寝てたら寝てたでしゃーねーか――なんて思っている間もないくらい、びっくりするくらいすぐに返信が来た。

『やらしい』

「おい」

 その、簡潔だがいろいろと飛躍しまくった返信に、思わず声が出た。

『なんでそーなる』

『どーせ燐さんとイチャイチャしてたんでしょ』

『んなことできるわけねーだろ』

『……ふぅん』

「……?」

 いつもならもっと罵倒でもしてくるところだ。どうしたのだろう。

『どうかしたのか?』

『別にそういう訳じゃないけど』

 ごく普通の返信にも思えるが、普段のつかさとは比べ物にならない。

 珍しく落ち込んでるみたいだ。

 まあ、昼間あんなことがあって普段通りに過ごせるやつなんかいないだろうけど。

『起きてんなら、顔出せよ。僕もベランダに出るからさ』

『え? いいけど……なんで?』

『文章打つのめんどくさい』

 見も蓋もない理屈のメッセージを送信して、返事を待たずにソファから立ち上がる。

 二階に上がり、静かに自分の部屋を通り抜け――ベッドには、安らかな寝息をたてる三峯さんがいて、自分の部屋なのにすごく悪いことをしているみたいな気分になった――ベランダに出る。

 ベランダの向かいの窓から顔を出していたつかさは、僕の様子をあきれたように見つめていた。

「そんなに気を遣うの?」

「そりゃ、起こしたらなんか悪いし、気まずいし」

「そこ、あんたのベッドだけどね」

 僕はそのごく当たり前の指摘に顔をしかめる。が、つかさはそんなの気にもせずに大口を開けてあくびをする。

 ……落ち込んでるなと思ったけど、ただ単に眠かっただけという可能性もあるな。

「それで、燐さんとはどんな感じなの?」

「どんな感じっつったって――」

 昨日からの三峯さんとのやり取りを思い出す。

 だいたいは僕がタジタジになってただけだ。

「つかさの方が仲良さそうだなって感じ」

 つかさはぷっと吹き出した。

「なにそれ。二日経っても他人行儀なの?」

「仕方ないだろ。なに話したらいいかも分かんねーんだぜ」

「まーそーかもね。あたしはカズの昔の話で盛り上がったから」

「僕の知らないところでいろいろ吹き込むのは止めてもらえませんかね……」

 半眼で恨めしそうな視線を向けるが、つかさは意に介さない。……そーだろーとは思ったけどね。

「でも……もっとギスギスするのかと思ったけど、なんか仲良くなってるよな。つかさと三峯さん」

「……表向きはね」

「……」

 怖い言い方をする。

 これだから女子は恐ろしい。

「二人で話してると、やっぱカズは絶対に渡したくないって感じが出てるもん。燐さんはさ」

「そーなの?」

 つかさはうなずいて見せる。

「なんて言うか……『和彦さんは私のものです』っていう雰囲気でさ」

「うーん。僕から見ると、つかさに申し訳なさそうにしてるように見えたんだよね」

「申し訳なさそう?」

「うん」

 あれはいつだったか……朝、起きたときのことじゃなかったか?

「あたしと話してるときは、全然そんなことなかったけどね」

「ふうん」

「それでも……あたしのこと助けてくれた命の恩人だしね。あんまり嫌なこと言いたいわけじゃないんだけど」

 三峯さんを責めるに責められない、っていう感じの、なんとも言いがたい表情を浮かべる。

「あんまり実感ないよな。死にかけた……なんてさ」

「……ホント。信じらんない。お昼のこと、あとから思い返してみたら、なんかちょっと手の込んだビックリなんじゃないかって思えてくるのよね」

「そうそう。なんか事故っていうには変だったし。閃光みたいなの覚えてるか?」

「あー。廊下が落ちてくる直前でしょ?」

「それ。レーザー光線かよ、みたいな感じでさ」

「それで廊下を切り落としたっていうの? バカ言わないでよ。誰が、なんのためにそんなことするっていうのよ」

「そうだけどさ。でもそれは――」

 言いよどんで、口をつぐんでしまう。

「なによ」

 言うまで追及してくるだろうことがわかったから、僕は意を決してその言葉を口にした。

「“三峯燐に近づくな”」

「――っ!」

 僕がつぶやいた言葉に、つかさは息をのむ。

「……覚えてるだろ」

「それは……でも」

「……」

「……」

「確かにバカげた考えかも知れねーけどさ。それを言ったら――」

 ――あのメッセージだって十分非現実的だっただろ。

 そう続けようとした言葉が、急にわき上がってきた悪寒にさえぎられる。

「……? カズ?」

 つかさに返事ができず、悪寒のする方向を見る。

 隣り合った葉巻家と天原家とのすき間を抜けた向こう。住宅街の遠くに、紅い光が見えた。

「なんだ、あれ……」

「え?」

 真夜中、深夜二時過ぎだ。

 火事みたいな明かりではない。どちらかというと、均一に広がる花火みたいなんて言ったらいいのか。ここからは建物にさえぎられてよくわからないが、どこかここからは遠い一点から、夜空へと紅い光が放射されてるって感じで広がっている。

 だけど、花火なんかあるわけないし、仮に花火だったとしたら地上付近で爆発していることになってて、大惨事が起きてることになる。

 悪寒が、さっきよりもざわざわと僕を不安にさせた。

「ちょ……ちょっとカズ、顔が真っ青よ。こっからでもわかる」

 窓から身を乗り出すつかさ。向こうの窓とこっちのベランダが飛び移れる距離だったら、迷わず飛び移ってきそうな雰囲気だった。

 僕は……そんなにひどい顔をしてるってのか。真夜中の外でもわかるくらいに。

「つかさ。あれ――」

「あれってなに?」

 怯えて紅い光を指差す僕に、つかさは首をかしげる。

「……紅く、光ってるだろ」

「え?」

 つかさには見えていないのか?

 あんなに……ハッキリと光っているのに?

「おい――」

 口を開きかけた僕の背後で、勢いよくガラス戸が開く。

 瞬間、そこからなにか――ものすごい力が吹き荒れるような感覚があった。しかし、それも一瞬のことで、すぐにかき消えてしまう。

 あわてて振り返ると、扉を開け放った体勢でまっすぐに僕たちを見つめてきている三峯さんがいた。

 その表情は、ひどく険しい。

「り、りんさん?」

「あー。えっと……三峯さん?」

「……」

 僕らの問いかけには答えず、三峯さんは裸足のままベランダに出て来ると、真横を――さっき僕が見ていた紅い光の方を――見やる。

 ……なんだったのかは分からない。けれど、もうすでにその紅い光はなくなっていた。

 住宅の合間からのぞくのは、いつもの、なんの変哲もない夜空だ。変ぼうの痕跡すらない。

「……」

「……」

「……」

 いきなりやって来たかと思えば、ずっと黙ったままの三峯さんに、僕とつかさは顔を見合わせる。そしてお互いに首をかしげた。

 ――燐さん、いったいどうしたの?

 ――いや、僕にもさっぱりだよ。

 無言でつかさとそんなやり取りをすると、僕は肩をすくめる。

「三峯さん」

「……」

「えーっと……」

「……」

 声をかけてみても、反応はない。鋭い眼差しで遠くを見つめたままだ。

 まさか、寝ぼけてるなんてことないよな、なんてことまで考え出したところで、三峯さんがこちらに視線を戻してくる。

「つかささん」

「え、はい」

 急に声をかけられたせいか、敬語になっていた。

「つかささんは、なんともありませんか?」

「え? え……え?」

「無事ですか? 怪我や体調不良、変なものが見えたりはしませんか?」

「その、えっと。なにがなんだか……」

 三峯さんはベランダから身を乗り出して、食い気味に質問している。そんな三峯さんの態度と物言いに、つかさが困惑するのも無理ないと思った。

「あの……あたしは、なにも……ない、です、よ?」

「……そうですか」

 困惑して目が泳ぐつかさを見て、三峯さんはやっと安心したらしく、深く息を吐く。

「それなら、なんともないなら……よかったです」

 僕とつかさは、あらためて顔を見合わせる。

 昼間の事故があったからだろうか。三峯さんは僕よりもつかさのことが心配になっているらしい。

「向こうは……山崎徹の家があったかしら。沃太郎兄さま……」

 三峯さんが、なにかをぽつりとつぶやく。

 無意識だったのか、声が小さすぎて僕にも聞こえなかった。

「三峯さん? なにか言った?」

 声をかけると、三峯さんはビックリした様子で手のひらで口もとをおさえる。

「いえ……なんでもありません、和彦さん」

「そう?」

「ふぁ……ホッとしたらまた眠くなってきました」

 目をとろんとさせて、あくびをする三峯さん。つられてつかさもあくびをした。

 その様子に、つかさと三峯さんは顔を見合わせて笑う。

「あはは」

「ふふ」

「そーね。あたしも寝よっかな」

 そんな二人を見ていたら、僕も眠たくなってきた。

「ああ……まあ、そうだね」

 なにかつかさに聞いておくべきことがあったような気がするけれど、どうでもよくなってしまった。

 なんとなく心配していたのだが、今は別になんともなさそうだし。

「じゃ、おやすみー」

「おやすみなさい、つかささん」

 つかさが窓を閉める。

「和彦さんも休みましょう。明日も早いですよ」

「……うん。そうだね」

 さっきの紅い光のこと、三峯さんに訊いたら答えてくれるだろうか。

 でも、三峯さんも見えていなかったかもしれない。

 ……違う。

 三峯さんがベランダに出てきたときには、すでに紅い光なんて影も形もなくなっていた。

 僕の勘違いだったんだろうか。

 もしくは目の錯覚?

 でも、そうならなんで三峯さんはあの光の方を見ていたんだ?

 それに、つかさの身の心配をした理由は?

 なにかあるかもしれないって思ったからなんじゃないのか?

 そんなことを考えていると、今になってようやく、紅い光を見たときに感じた悪寒がきれいさっぱりとなくなってしまっていることに気づく。けれど、いつなくなったのかはちっとも思い出せなかった。やっぱり光がなくなったときには悪寒も消えていたのだろうか。

「和彦さん、大丈夫ですか?」

 僕より少し背の低い三峯さんが、僕の顔をのぞき込んで見上げてくる。

 その瞳が、外の明かりに反射でもしたのか、きらりと紅く光って見えた。

 ――“三峯燐に近づくな”

 思い出したその言葉にゾクッとする。

 反射的に三峯さんから距離をとりそうになるのを、なんとかこらえた。

「……ベランダで身体が冷えましたか?」

「ああ……そ、そうかも……」

 あの言葉のことなんか言えるわけもなく、僕はとりつくろう。

「やっぱりソファで寝るのは止めた方がいいですよ。和彦さんもちゃんとベッドで休みましょう」

「いや……それは」

 三峯さん、一緒に寝るつもりなんでしょ?

 それはまずいよ。

 そう口にできずにいると、三峯さんが僕の腕に抱きついてきた。

 昼間にもしてきたことだけれど、今はもっとまずい。制服のときと違って、彼女は寝間着と下着しか着ていない……みたいだ。そのせいでいろいろと、三峯さんの柔らかな感触がダイレクトに伝わってくる。

 身体が硬直して、振り払うこともできない。

「はぁー」

「……!」

 やたらと大げさなため息に、僕は視線だけを横に向ける。僕と三峯さんの二人を、いなくなったと思っていたつかさが冷えきった目で見てきていた。

「カズ……やらしい」

「ちょっ、僕は――」

 言いかけるが、つかさは無視して窓を閉める。すぐに明かりも消して真っ暗になってしまう。

 三峯さんを見ると彼女もまたつかさのいた窓の方を見ていた。その視線はやはり、つかさが言っていたのとは違い――申し訳なさそうな、後ろめたそうな、そんな眼差しだった。

「私たちも――部屋に入りましょう」

「……。そうだね」

 やめて、と言うのもあきらめて、腕に感じる柔らかさと暖かさをなんとか無視しようとしながら、部屋の中に入った。

 ……。

 ……。

 ……。

 一人ソファで寝るという試みは、失敗に終わった。


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