第10話 休校


10

「えー、皆も知っての通り、南校舎の廊下が壊れた。南校舎はもう保健室以外は立ち入り禁止にしてあるが、これから専門業者による調査が行われる。よって午後は休校だ」

「よっしゃー!」

「やったぜ!」

「武ちゃん先生さすが!」

「このままずっと休校してくんねーかな」

 武ちゃん先生の言葉に、南校舎の事故が他人事だった皆は歓声を上げる。

「ともかく、葉巻だけは教室に戻ってきてるみたいだが、葉巻と天原と三峯の三人は、本当に怪我もなく、無事でなによりだ」

「……どうも」

 さっき教室に帰ってきたときも、皆に根掘り葉掘り聞かれてもみくちゃにされた。そのせいで、心配してくれて感謝するとかよりも、すでにただただそっとしていてほしい、という気分になっていた。

「明日からは――ま、業者の調査で問題が見つからなければだが――南校舎の専門教室は使用せず、授業再開になる予定だ。……あと、お前たちはなにか勘違いしてるみたいだが、休校で中止になった分の授業は、どこかで補填するからな。夕方に一時限増やすか、土曜に補習したりして」

「ウソだろ……」

「武ちゃん先生見損なったよ!」

「ひどすぎる」

「だから、武下先生だっつってんだろお前らは……」

 一瞬で手のひらを返した皆に、武ちゃん先生はこめかみを押さえた。

「だいたいなぁ、そうでもして補填しないといけないくらいに出席日数がヤバイやつがこのクラスにはいるんだよ。なあ福住?」

「そのような人がいるとは驚きですね。武下先生」

 動じることも悪びれることもない態度で、遅刻魔の福住朔也は冷静に返事をする。

「皮肉が通じんようだな」

「いえ、武下先生がおっしゃりたいことはよくわかります。ですが、これでも学年八位の成績でして」

 武ちゃん先生はほほをひきつらせる。

「よーく知ってるよ、まったく。……で、今日は部活も全部中止だ。建物の調査の妨げになるから、全員すぐに下校すること。いいな?」

「はーい」

「わかった武ちゃん先生」

「武下先生だって何度言ってると思ってんだ」

 武ちゃん先生の言葉に、皆は笑ってめいめいに席を立つ。

「……ったく。あ、葉巻」

「なんですか」

 クラスメイトが帰り始める中、武ちゃん先生が僕を引き留める。

「天原の親御さんに連絡したんだが、天原のことは葉巻に任せるって言ってたんだよ。それで……どうする? お前も事故に巻き込まれた側だし、余裕ないなら親御さんにはまた連絡しておくんだが」

「あー……」

「どっちにしても、調査の関係で校長と教頭以外の教員も全員帰される。保健室にいる天原と三峯にも帰ってもらう必要があるんだが」

 その言葉に、少し悩む。

 実際のところ、他人のことを気にしていられるほどの精神的余裕がある訳じゃない。

 けれど、つかさのことが心配で……僕がついていてやりたいって思うのも事実だった。

 それに、つかさの母さんからの頼みは……そうそう断れるものじゃない。

 現実的にも、心情的にも。

 天原家は四年前から共働きだってことを知っているし、色々とよくしてもらっている手前、つかさの母さんにはかなり大きな恩がある。

 それにつかさの家は僕の隣で、彼女を家まで送ったところでそう手間があるわけじゃない。

「……大丈夫です。僕がつかさと一緒に帰りますから」

「わかった。……まあ無理はするなよ。親御さんには――」

「――あ、それは僕が連絡しときます」

「そうか。あと……三峯も葉巻に頼むことになるのか? ホームステイというか、当面の三峯さんの保護者も葉巻の母親になるんだろ?」

 困惑気な武ちゃん先生に、僕も苦笑する。

「ええ、まあ……そうですね。でも、二人とも歩いて帰れないわけじゃなさそうですから、なんとかなると思いますよ」

「じゃあ三峯も葉巻に任せよう。……なんか葉巻に全部丸投げしてる気がするが、本当に平気なんだろうな?」

「はは……」

 心配そうに眉をひそめる武ちゃん先生に、僕は乾いた笑いをするしかなかった。

「……二人の仲が悪いことを除けば、問題はないですよ」

「モテる男はつらいな。ほら、後ろで轟が恨めしそうな目で見てるぞ」

「いやいやいや、武ちゃん先生なに言ってん――」

 言いながら武ちゃん先生の視線の先、僕の背後を見て……その、轟銀の視線の暗さに黙った。

「……」

「和彦はなんで……天原さんがいるのに」

「……ぎ、ん?」

 うつむき気味のジト目に、僕は思わず後ずさりする。

「葉巻に銀ー。帰ろうぜー」

「そうだ。武下先生を困らせないためにも、早く帰った方がいいぞ」

 気まずい雰囲気を知ってか知らずか、室生康介と福住朔也が横から声をかけてきた。

「……あぁ、康介に朔也。そうだね、帰ろう」

 二人に、銀はいつもの柔和な笑みを浮かべて答える。

「それじゃ、俺も職員室に行くからな。くれぐれも早く帰れよ」

 そう言って武ちゃん先生は教室から出ていく。

「しかし、昼に帰るっていうのに野郎だけなのは味気ないな」

「さっき学校に来たばっかの朔也がなに言ってんのさ」

「銀の言う通りだな。それに武ちゃん先生の話、聞いてたろ。葉巻が来るなら天原さんと三峯さんもついてくるぞ」

「ふむ、なるほど」

「いや、朔也がなにに納得してるかは知らんが、康介がいる時点で谷口先輩もついてくるだろ」

 僕の言葉に、銀と朔也はなにかを察したのかそろって半眼になる。

「ようするに、他人がイチャイチャしているところを見せつけられるだけだってことだな」

「……そうだね、朔也」

「いやちげーよ」

「僕は違うけど、康介は違わないだろ」

「二人とも同罪だ」

「そーだよ。むしろ、ハーレム状態の和彦の方が罪は重いよ」

 銀の言葉には、三人ともがうなずきやがった。

「なんでだ……」

「天原さんがいるのに、三峯さんともデレデレするとか、俺もうらやま……いやよくないと思う」

「康介、本心ダダ漏れじゃん」

「そんなこと言ってると、谷口先輩がどこかから聞きつけてくるぞ」

「福住。それ、マジであるからそーゆーこと言うな」

「だからこそ室生も気をつけるべきだろう。あんな年上美人が隣にいて不満を言うのは、少々わがままがすぎるというものだ。なあ轟?」

「そうだよねー」

「そもそも僕のどこがハーレム状態だって言うんだよ。だいたいつかさとはそんなんじゃねーって何度も言ってるだろ」

「うわ」

「葉巻……その言い方はねーよ。マジで」

「……天原が、葉巻に怒るわけだな」

「はぁ?」

 こいつらの言ってることが、なに一つとして理解できない。

 なんでどいつもこいつも僕とつかさをくっつけたがるのか。

 くしくも今朝、つかさが言った通りだ。

 つかさは僕の姉みたいなもので――同い年なのに、向こうが姉ということに少々の反発を覚えない訳じゃないが――僕らの関係はやっぱり家族であって、恋人というのとは違う。

 だが、彼らにとっては色恋沙汰なんだろう。

 あくまで他人同士で、ずっと一緒にいて、好きだからそうしているんだろって。

 でも、家族と恋人を比べたとき、恋人の方が上だろうか。

 なにがあってもつながりを絶てない家族の方が、よほど密接で、より親密な関係のような気もするんだが。

 ……こいつらに言ったところで無駄だろうけど。

「こーすけ! 帰るわよ!」

 三人の非難の視線と、僕のあきらめに似た視線の間で起きた気まずい雰囲気を、そんなはつらつとした声が吹き飛ばした。

「静佳さん……」

「迎えが来たな」

 あきらめに近い康介と、なぜか深くうなずく朔也。

「あ、谷口先輩。皆で帰ろうって話してたんですけど、僕らもいて平気ですか?」

「あーら轟君。あたしはひろーい心を持ってるからね。大人数も大歓迎よ?」

「ん? 轟は他人がイチャイチャしてるのを見せつけられるのに耐えられるのか? 正直、一人で帰るべきか少し悩んでるんだが」

「む。確かに谷口先輩と康介だけならいいんだけど、和彦たちはちょっとね……」

 朔也の言葉に、銀も考えこんでしまう。

「いやいやいや、ちょっと待てよお前ら」

「え、葉巻君はとうとうつかさちゃんと結ばれたの?」

「ぶっ」

 相変わらず、谷口先輩はでかい爆弾をぶちこんでくる。

「その予定だったんですが、転校生の三峯さんと三角関係になってまして」

 意味不明な説明をするな、朔也。そんなんじゃない。

「……三峯って、あの転校生の子? つかさちゃんと事故に巻き込まれたっていう? 二人は寄り道させて平気なの?」

 谷口先輩に、僕は口を開く。

「……本人たちに任せますけど、しんどそうならまっすぐ帰らせますよ」

「ま、そーよね。二人は保健室?」

「ええ……そうですけど」

「じゃー早く行きましょ。ほら康介ったら。あたしがちょっと他の男子と話してたからって拗ねないの」

「え? いやいやいや静佳さん? そんなんで拗ねないから」

 康介の否定などお構いなしに、谷口先輩は康介の腕に抱きつくと、皆を先導して教室から保健室へと向かいだした。

「ほらー皆、早く来なさいよ」

「あ、すみません先輩」

「ほら、葉巻。行くぞ」

「あ、ああ……」

 谷口先輩の勢いに、僕ら三人は苦笑いしてあとに続いた。

 ……誤解がそのままになってしまったことに気づいたのは、あとになってからのことだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る