第9話 困惑
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保健室の嶋田先生は、僕ら三人に「すり傷の他に目立った外傷はないわね」と太鼓判を押した。
気分が優れなくて不安なら病院で精密検査受けなさい、と嶋田先生は言ってくれたが、先生の診断に疑問を抱くほどの体調不良は三人ともなかった。つかさと三峯さんは保健室のベッドで休ませてもらうことにしたけれど。
二人ともかなり疲れていたらしく、ベッドで横になってほどなく寝息をたて始める。
「それじゃ、失礼します」
「はーい。貴方も気をつけてね。気分が悪くなるようなら病院に行きなさい」
念を押す嶋田先生に、僕は素直にうなずいておく。
「……分かりました」
「二人が心配なのはわかるけど、私がここにいるから安心しなさいな。どちらかというと、貴方も心配される側の人よ」
その言葉に苦笑して、保健室の扉を閉める。
もう少し、つかさについていたかったというのが本音だった。が、嶋田先生に「女の子の寝顔見てたいだなんて、君は中々ダメな男だね」なんて言われたら、おとなしく教室に戻るしかない。
保健室から視線を右に向ければすぐに中庭があり、その奥では未だ人だかりができている。あんな――事故が身近で起こったのだ。自分が巻き込まれたんじゃなきゃ、僕も同じように群がる側の人間だっただろう。
――薄蒼の世界。
――見えていなかったものが見える感覚。
――“三峯燐に近づくな”
不意に思い出したそれに寒気を感じて、身震いをする。
昨日の帰り道、三峯さんとつかさの三人で見たあの光景。
さっきのアレもまさか、事故なんじゃなくてその警告の末に起きたことなんじゃないのか?
僕と……三峯さんが一緒にいたから起きたのだとしたら?
もしそうなら、あんな……人智を越えた破壊ができるなにかが三峯さんを狙っているなら、僕は、実際のところ三峯さんから離れた方がいいんじゃないのか?
それで――僕たち三人が無事でいられるんなら、そうした方が……。
そんなことを考えながら、ざわついている生徒の合間をぬい、北校舎へ向かい、三階の自分の教室へと戻る。
廊下はバルコニーになっているから、中庭を挟んだ向こうの南校舎の惨状は意識していなくても視界に入ってしまう。
離れたところから見るのだから、当然ながら科学室の目の前で真下から見上げたときよりも、全体を見渡して眺めることができる。
「……?」
南校舎は、東側の端が破壊されている。
一階の廊下に、瓦礫が積み重なっている。こうしてみれば、二階と三階の廊下に誰もいなかったのは幸運だったんだろう。
けれど、気になったのはそれじゃなかった。
二階の廊下の端は、もぎ取られたみたいな無残な断面を残している。三階の廊下に破砕されたのだから、それは当然と言えるだろう。
だが、三階の廊下の破壊状況は違った。
断面が妙に滑らかだ。
そしてその表面は、高温で熱せられたみたいに黒ずんでいる。
轟音が響く直前――三階の廊下が二階に落下する直前――に、閃光が瞬いたことを思い出す。
純白の光。
まるで――映画やゲームで出てくるレーザー光線みたいな。
それで……三階の廊下を斬り落としたってか?
三峯さんと……彼女と仲のいい人たちを狙って?
――“三峯燐に近づくな”
――馬鹿な。
そんなことできるわけない。
それこそ、映画やゲームの中だけの話じゃねーか。
そんなのが現実にあってたまるか。
……。
……。
……でも。
あり得るわけがないって思うけど、現に――。
「――いたいた、和彦君」
思考を遮られ、声のした方を向く。
ついさっき会ったばかりの、軽薄そうな金髪の先輩。三峯さんの兄だった。
「……珪介さん」
「よっ」
彼は軽いノリで片手をあげてひらひらと振ると、僕の隣にやってきて廊下の手すりに身体をあずける。
「怪我、なくてなによりだよ」
「ええと、ありがとうございます」
「燐は……どうだった?」
「大丈夫です。怪我一つしてませんよ」
「ああ……いや、そうじゃなくて」
「……?」
「むしろあいつが……とんでもないことしでかさなかったか、ってこと」
「とんでもないこと?」
困惑して、僕は珪介さんを見る。
「言っただろ? あいつは一途過ぎるところがあるって。なにごとも、あいつは状況次第でやり過ぎるのさ」
言われて、あのときとっさの判断で飛び出した三峯さんの背中を思い出す。
あの行動のおかげでつかさが助かったとはいえ、一歩間違えば被害者が増えるところだった。その行動力は確かに「やり過ぎる」と言えるのかもしれない。
「その顔。思い当たることがあるって感じだ」
「それは、その……ははは」
「やっぱなー。そーだろーなーと思ったんだよ」
空を見上げて、珪介さんが子どもっぽくわめく。
「で、でも……そのおかげでつかさが――友だちが助かったんです。だから、三峯さん……燐さんがいてくれて良かったです」
「……ふ。それならいいけどね。本当に……それなら」
「……?」
「燐は……あいつはね、一つの……覚悟を決めてここにいるんだ」
「はい?」
「俺にも、ちゃんと言ったりはしないけれどね。それでも、なんとなく分かる。たぶん、その覚悟に……あいつは、自分の命をかけているんだってね」
「……」
なにを言ったらいいか分からなくて、僕は微妙な視線を珪介さんに送っていたと思う。
覚悟。
……覚悟?
僕と……一緒にいようとすることが?
そんなことのためにに命をかけてるって言われても……なにがなんだか。
「言ったろ、たぶんってさ。俺にも、それがなにに対する覚悟かまでは分からねーよ。たぶんそうだろって思えるだけ。だから、俺にも詳しくは説明してやれねー。まぁ大体、覚悟なんてもんは簡単に人に話すことじゃねーだろ」
「……はぁ」
「和彦君。君にはあるかい?」
「えっ?」
ドキッとする。
それまでの軽薄さが一転、その声音はやけに冷静で、冷たく響いたように感じられたのだ。
「そうやって、自らの命をかけてでも為し遂げるべきものが……さ」
「……」
答えられなかった。
イメージが湧かなかった。
命をかけるなんて言われても、高校一年までの十五年間で、そこまで追いつめられ、切羽詰まった経験なんてあるわけなかった。部活動やスポーツに打ち込んでいたわけでもないし。
映画とか漫画にある、主人公が命をかけて世界を、恋人を、仲間を救う、みたいな展開に憧れがないわけではない。
やっぱりそういうのはかっこいいと思う。
けれど同時に、それはやっぱり物語の中だからこそだ、とも思う。
物語の中だからこそ、代償を払った分のリターンが約束されている。
代償を伴ったとしても、主人公は世界を救い、恋人を救い、仲間を救えるのだ。
けど、実際にはそんな都合のいいことなんてない。
世の中は無駄死にであふれている。
僕が命をかけても、その仲間入りするだけだっていうのが目に見えている。
「君にも……命をかけてでも成し遂げなきゃならないなにかが現れるだろう。そのとき、本当にそれは命をかけなければならないことなのか、よく考えてくれ」
「……はぁ」
そんなものが、自分に現れるんだろうか。
考えてみても、そんな疑問しか浮かばない。
僕の困惑しかない態度に、珪介さんは苦笑する。
「今の君がそんなだっていうんだから、世の中、なにが起こるかわかんないもんだよな」
「はい?」
「君が選択を間違わないことを祈るよ」
なにを言っているのか、なにに苦笑しているのかさえ僕には分からなかった。
けれど珪介さんは、そんな僕なんてお構いなしにそう言うと、言うべきことは言ったという様子で、来たときと同じようにひらひらと手を振って去っていった。
「……なんなんだ、あの人」
意味不明過ぎる珪介さんに、僕はそう言わずにはいられなかった。
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