第4話 警告
04
これまでの学校生活で、間違いなく一番過酷だった一日がやっと終わった。
朝イチから美少女転校生に告白されたっていうだけでも驚天動地だっていうのに、いろんな人が見に来て見世物状態になるわ、自分が一番意味が分かっていないのに質問攻めに合うわ、友だち全員の態度が冷たくなって気まずい思いするわ……。
……なんかこう「初対面の美少女から告白された」とかいう字面だけだと、すごくいい思いしてそうな感じがするんだけど、実際には全然そんなことなかった。
むしろ、居心地の悪さしか味わっていないんじゃないのか? ……というか、まだ居心地の悪さからは解放されていないのだけれど。
学校からの帰り道。
最寄り駅までの二十分の道のり。
僕のすぐ隣には三峯さんがいて、僕の左腕に手をかけている。
……いや、こうなるともう腕を組んでいると言うのか。
それだけでも気まずいというか、そわそわしてしまうんだけれど、そんな僕たちのすぐ後ろを、つかさがついてきていた。
……ついてきているとは言うけれど、そもそも帰ろうとするタイミングが重なると避けようがない。なんなら家が隣だから、駅までじゃなく、家につくまでほとんど一緒だ。
背後からのつかさの視線がつらい。
恐ろしくて後ろを振り返ることもできないけれど、なんというか……冷気みたいなものを感じる。
つかさと喧嘩した帰りは、いつもこんな感じになった気がするな。
よくわからないけれど、今日のつかさはすごく不機嫌で……喧嘩したわけでもないのに、そのときと大差ない雰囲気になっている。
なんで?
「あー、その。三峯さん?」
「はい。和彦さん。なんですか?」
「いや、その……歩きにくくない?」
「そんなことないですよ」
「そ、そう」
「はい」
何度目かわからない同じやり取り。
暗に「気まずいから勘弁して」と言っているつもりなのだが、一向に伝わらない。
それどころか……返事の語尾にはハートマークまで付いていそうだ。
……なんで僕なんだろう。
ちらりと三峯さんの端正な横顔を盗み見る。
つかさとは、なにもかも違う人だよな、と改めて思う。
なんだかんだ言って、その持ち前の明るさと屈託のなさのせいか、つかさは男女問わず人気がある。だがそれはつかさのキャラクターが為せるものであって……正直に言って、容姿が特別というわけじゃない。実際のところ、つかさの容姿は甘めに見て中の上くらいだと思う。
けど、三峯さんは……そこで静かに座っているだけで人目を引いてしまうような人だ。
なんて言うか、こんなことになってなければ、つかさと二人で「あの三峯燐っていう転校生、すっごい美人だよね」って話す程度で遠巻きに眺めているだけだっただろうなって思う。
今だって、いろいろ話をして仲よくならないと、なんて思うものの、いったいなにを話せばいいのかも分からない。つかさ相手ならこんなことで悩んだりしないのに。
「……。和彦さん?」
ハッとする。
三峯さんが僕の視線に気づいたらしく、こちらを伺ってきていた。
「え……あ、ごめん」
「ふふ。なんで謝るんですか」
目を細めて笑う表情に、変にどぎまぎしてしまう。
「えいっ」
――と言って、なにを思ったのか、三峯さんは僕の腕に手をかけていただけだったのに、腕にしがみつくようにというか、腕に抱きついてきた。
「え、いやちょっと!」
「ふふ。……ダメですか?」
「それは――」
まっすぐに見上げて無邪気なほほ笑みを浮かべる三峯さんに、僕は拒否できないまま思考がストップする。
それは、三峯さんの行動と態度だけのせいじゃない。
左腕に感じる柔らかな感触もまた、僕の思考を奪い、立ち止まって身体を硬直させるしかなかった。
いや、いや……これはまずいんじゃないか? まずいだろ? なんというかその、うまく言えないけどいろんな意味で。
とはいえ、腕を振り払って三峯さんを邪険にするわけにもいかず、僕はいったいどうしたら……?
「はぁー……」
背後からあからさまにうんざりしたため息が聞こえてきて、僕は肩をビクリと震わせる。
そうだ。すぐ後ろにつかさがいたじゃないか。
「……?」
僕は三峯さんを見たまま、ほほをひきつらせる。
「――え?」
そんな風に僕が混乱のただ中にいると、三峯さんが急にそんな声をあげて、ぱっと僕の腕を離して振り返る。
「ちょ……なによ」
すぐ後ろにいるつかさの、不機嫌そうな顔が見える。
「……」
三峯さんはまっすぐにつかさを見ている。
僕は、修羅場を覚悟した。
考えてみると、なんで修羅場になるのかはよくわからないけれど。
でも、とりあえず、きっと、おそらく、僕の命の危機だ。
ゾワッとする。
まさか、三峯さんとつかさがにらみ合うだけで肌がチリチリするなんて思ってなかった。
三峯さんは一歩踏み出して、つかさに正対する。
「み……つみねさん?」
「……」
うろたえる僕の言葉にも、返事はない。
むしろ、さらに歩みを進めてつかさへと近づいていく。
「え……その、なに? あたしは――」
――そして、つかさを通りすぎた。
「え?」
「……?」
疑問顔の僕たちなんて気にせず、三峯さんはつかさのさらに背後を見やる。
背後はなんの変哲もない閑静な住宅街で、一戸建てが並ぶ、取り立ててなにか説明する必要すらなさそうな光景だった。大通りから離れた路地だからか、車も走っていないし、僕らみたいな学校帰りの通行人もいない。
「……」
三峯さんはしばらくそんな光景を眺めて、首をかしげる。
「三峯さん?」
「なんでも――なかったみたいです」
「はぁ」
「誰か、いたような気がしたんですけど……」
そう言って振り返る三峯さん。
その瞳が、日の光に反射してキラリと紅く輝いて見えた。
そして、再び歩き出そうとした途端、ゾワッと悪寒が背筋をはい上がる。
さっきの、つかさの視線とは比べ物にならないくらいの、恐ろしい感覚。
視界が一瞬、蒼く明滅する。
……なんだ?
思わず振り返る。
それは、僕と同じようになにかを感じたのか、三峯さんが改めて後ろを振り返ったのと同時だった。
「……」
「……」
そして、“それ”に僕らは黙りこんだ。
「なんなのよあんたちは――」
振り返ってきたり前に向き直ったりと繰り返している僕たちに、つかさはそんな言葉を漏らした。けれど、それでも僕らの態度が気になったのか、つかさも自らの背後を見る。
「なに……あれ」
“三峯燐に近づくな”
空中に……文字が浮かんでいる。
そう表現するしかなかった。
住宅街の路地のアスファルトの上に、半透明の文字が漂っている。まるで、SF映画やゲームによくある、ホログラムのポップアップ表示みたいなやつ。
だけど、ひどく乱雑な字体で、色も暗く不安定に映り変わっている。
皮膚の表面を静電気がはい回るみたいな、チリチリとした感覚が全身を包む。我知らず、僕は自分の二の腕をさすっていた。
……ゲームのやり過ぎで幻覚でも見てんのか?
「和彦さん、待ってください」
三峯さんに左手で制され、僕はハッとして立ち止まる。
それが本当にあるものかどうか確かめようとでも思ったのか、僕はほとんど無意識の内に近づいて手を伸ばそうとしていたのだ。
「……私が確かめてきます」
「え? いやいや、それは――ちょっと!」
危ない、なんて言う間もなく、恐る恐る近づいていた僕とは全然違い、飛び出すみたいな勢いで三峯さんが駆け出す。
「あ、危ないわよ!」
つかさの言葉にも耳を貸さず、三峯さんはその文字のところまで行くと、片手でそれを振り払う。
その“三峯燐に近づくな”という言葉は、三峯さんの右腕になぎ払われ、かすかな残像を残してあっさりかき消えてしまう。
「どこにいるの!」
出会ってから初めて聞く、三峯さんの緊張感に満ちた鋭い声。
その想像以上に強い口調に、僕だけじゃなくつかさまでビクリと肩を揺らした。
「……」
「……」
「……」
三人とも、それからしばらく言葉を発しなかった。
住宅街にひと気はなく、音と言えば風にざわめく街路樹や植栽くらいのもので、いたって静かなものだった。
さっきみたいな、意味不明の光景さえなければ、閑静な住宅街の静かな午後ってだけ。
他の誰かが通りかかる様子もないし、さっきのを誰かがやったんだとしても……その誰かが走り去るような音も聞こえてこない。
肌をはい回るチリチリした感覚も、すでになくなっていた。
「いなくなった――みたいです」
やがて、あきらめたように三峯さんがそう声を漏らす。
「いなくなったって……誰かの仕業だって言うの?」
「ええ……恐らく」
「あんなこと、誰ができるって言うのよ」
「それは――」
困ったように眉値を寄せる三峯さんに、つかさが詰め寄る。
「それにあのメッセージ。あんたのこと言ってんのよ?」
“三峯燐に近づくな”
つまり、彼女のことを知っている人物からの警告で、その文章から察するにメッセージの相手は僕だ。まさかつかさ宛ってことはないだろうし。
「……私にもなにがなんだか――」
「――あんたねぇ!」
「つかさ。やめろよ」
「カズ? あんた、こんな意味わかんないことに巻き込まれてんのに、この子の肩持つわけ?」
こっちまでキッとにらみ付けてくるつかさは、カズはかわいい子に言い寄られただけで簡単になびくんだから、なんて続けそうだった。
「肩持つって言うより……三峯さんだって被害者側だろ」
「……」
努めて穏やかに告げた僕の言葉に、つかさは罵倒を呑み込んだ。目を丸くしているから、僕の言葉に納得してくれたはずだ。
「……ごめん。三峯さん」
「え? いえ、その。私は」
「ううん。カズの言う通りだわ。言い過ぎた」
頭を下げるつかさに、今度は三峯さんは目を丸くする。
一回思い込むとなかなか折れてくれないが、納得したら素直に謝るのはつかさのいいところだと思う。こういうところが、つかさに友だちが多い理由なんだろう。
「や、やめて下さい。そこまでしなくてもいいですよ」
「こーゆーの、きっちりしとかないと気持ち悪いのよ」
そう言うと、つかさはヒラヒラと手を振った。
「……帰りましょ。よく分かんないけど、ここから離れた方がいいでしょ」
「そうですね」
「だな」
三人で顔を見合わせる。
さっきまでの気まずさが、少しだけ緩和された気がした。
「そういえば……三峯さんはどっち方面に帰るの? 駅までは一緒だろうけどさ」
「あ、それなんですけど。実は私、ホームステイで和彦さんのお宅にお邪魔することになってるんです」
「え?」
「はぁぁ?」
気まずさが緩和された気がしたのは、気のせいだった。
つかさがあからさまに目尻をつり上げて怒りだしたけれど、僕にもなにがなんだかさっぱりだ。
「いや、さすがにそれは――」
「お母様には快諾していただいたのですが……いけませんか?」
「むぅ」
いつ母さんに許可なんてとったのかはわからないが、それが事実なら、僕の都合だけでは断りにくい。
さっきの謎のメッセージからすると、僕だけじゃなく、三峯さん自身も狙われているのだろうし……そう思うと、駅から先を一人で帰らせるのに不安がつきまとうのは確かだ。
だけど――。
僕は恐る恐る、つかさの顔をうかがう。
「スズママ……なんでそんなこと」
鬼気迫る様子でブツブツつぶやいているつかさを見ると、僕は三峯さんのホームステイに対して、拒否しても受け入れても、どちらにしろ地獄が待っているんだろうなってことは予想がついてしまった。
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