第1話 登校


01

 神稜大学附属神稜高等学校。

 都内にある私立の進学校だ。

 最寄り駅から正門まで徒歩二十分はかかるその距離に、僕、葉巻和彦は毎朝うんざりするのをやめられない。

 ……なんでもっと駅の近くに学校を建てなかったんだ?

 いや、学校の近くに駅を作らなかったのが問題なのかもしれない。

「ちょっとカズ、なんて顔してんのよ」

「月曜日の朝なんて、誰だって憂うつだろ」

 隣を歩く天原つかさに、僕はそのうんざりさを隠しもせず、ふてくされた顔で告げる。

「とか言うけど、休みなんて一日中部屋にこもってゲームしてるだけじゃないの」

 返事をするのは天原つかさ。

 なんというか……悪友とでも言うべき幼馴染みだ。

 地毛の栗色の髪をショートカットにした、そばかすの浮いた顔。つり目がちの瞳は、制服のスカートが似合わないくらいの勝ち気な性格をよく表している。

 男子にも女子にも友人が多いが、女子のグループに入るよりも、男子とサッカーとかをやる方が好き、みたいなやつというか……文字通りそんなやつだ。

 そのくせ、僕にはお姉さんぶってくるあたりがなんだか気にくわない。誕生日が早いって言ったって、たった一ヶ月だけだってのに。

「いや、横でずっとそれを見てたヤツが馬鹿にできることじゃないだろ」

「カズがあたしの知らないうちにストーリー進めちゃうのがいけないんでしょ!」

 一週間前、暇潰しに僕の家に来ていたつかさは、僕がリビングでやり始めたそのアクションRPGゲームのオープニングムービーに釘付けになった。

 それ以来、つかさはずっと僕の家に入り浸って、僕がゲームをやっているところを横で見ている。

「いや、自分の家で自分が買ったゲームやって何が悪いんだよ……」

「続きが気になるって言ってるのに、あたしが習いごと行ってる間に進めるなんて……ほんっと信じらんない」

「だいたい、自分でやれば良いだろ」

「あたし、そーゆーゲームは致命的に下手なの。知ってるでしょ」

 だから言ったんだよ、なんて告げたら怒りだすのが分かりきっていたし、へたしたら殴られかねない。なので、僕は肩をすくめるだけにしておく。

「はよー。和彦に天原さん」

 そうやって、あーだこーだと二人でくだらない応酬をしていたら、背後から声をかけられた。

「よお、銀」

「おはよ。轟君」

 振り返ると、そこには同じクラスの轟銀がいた。

 まるで冗談かと思うような綺麗な白髪の、線の細い美少年だった。

 昔から、つかさの茶髪が日本人離れしてるなんて思ってたが、高校からの友人である銀の白髪は、つかさどころじゃない。同じ日本人のくせに、あんな髪の色が馴染んで見えるなんて驚きだ。

「いやー。二人っきりのところを邪魔してごめんね」

「なに言ってんだ、銀」

「そーよ」

「だってさぁ、二人はもう夫婦みたいなもんだしねぇ」

 はーうらやましい、と言わんばかりのため息をつきながら銀がぼやく。ぼやくな。

 とはいえ、幼馴染みで家も近く、そのせいで通学も一緒にしている僕と天原つかさの二人が、そんな風に呼ばれるのはいつものことでもある。

「なんかもー聞き飽きたんだけど、そのネタ」

「だよな。もういいだろ」

 なんなら小学校の頃から言われていたことだったし、その上、四月からこの九月まで言われ過ぎたせいか、最早めんどくさい以外の気持ちが出てこない。

「そんなこと言って……夫婦って言われて本当はうれし――」

「うぜぇ」

「うざい」

 言葉をさえぎられたけれど、僕とつかさが声を揃えてそんなことを言う様子に、銀は苦笑いを浮かべる。

「……その息ぴったりさが夫婦だよねって言われる由縁だと思うんだけど」

「てか、それ言うなら銀は僕らよりも浮いた話ばっかりだろ」

「あ、確かに。高橋先輩とか仁科先輩とか、轟君は年上キラーだもんねぇ」

「いや、僕は……。知らない人に好かれても」

 銀は頭をかく。

 銀はその容姿のせいか、上級生の女子に異常なまでの人気がある。つかさから聞いた話じゃ、「轟銀を見守る会」だかいう名前のファンクラブめいたものまであるとかないとか。

 ……いや、さすがにネタなんだろうと思うけれど。

「えー。美人ばっかりなのに」

「知らない人に好かれてもっていうのは、僕もわかるけどな」

「あー。カズもそんなこと言うの?」

「そりゃ、いくら美人でも初対面の人は……なんかね」

「自分が平凡だから、萎縮しちゃうのね」

「おい」

 僕はつかさをにらみつけるが、本人は意にも介していない。

「そーじゃなくてさ。こっちが相手のことなにも知らなかったら、ちょっと待ってくれってなるだろ」

「まずはお友だちから始めましょう、みたいな?」

「まーそんな感じ、かなぁ? つかさだって急にイケメンに告白されてOKなんて言えるか?」

「んー。まあ、サッカーが上手いなら。バスケでもバレーボールでもいいけどさ」

「え。そんな基準なの……?」

 びっくりしてつかさを見るが、わりと真剣な顔に見えた。そんな小学生みたいな理由で付き合う女子高生がいるか?

「カズ、あんたはやんないから分かんないでしょーけどね。スポーツはやっぱ性格出るのよ。特にチームスポーツだと、独善的で一人で突っ走る人とか、周りを見てコントロールできる人とか分かるからね」

「あー。そこで性格を見るわけだ」

「そうそう。だからまあ、サッカー上手い人なら付き合ってもいいかな」

 なるほど、と思いはしたものの、なんだかうまく丸め込まれた気もする。だいたい、さっきの話はそういう指標がなにもない場合というのを前提にしていたはずだ。それ、相手のことすでによく知ってるじゃん。

 ……まあいい。つかさには言っても無駄だ。

「まーカズは人見知りするもんねー。急に言われても付き合ったりなんてできないよねー」

「和彦は確かに人見知りしそう。……あんまり人のこと言えるわけじゃないけど」

「こいつら……」

 好き勝手言いやがって。

 とは思うが、反論すればするほどおちょくられるのがわかっているから、うかつに言い返すわけにもいかない。つかさは面倒臭いのだ。

「あらー三人とも。おはよー」

 さらにうんざりした僕と、それを笑うつかさと銀。そんな僕たちに後ろから新たな声がかけられたのは、ようやく校門にたどり着いてからのことだった。

「静佳せんぱーい。おはよーございまーす!」

 つかさが振り返って手を振る。僕と銀も振り返って“彼ら”を見た。

「はろー」

 つかさにぱたぱたと手を振り返す谷口静佳先輩は、僕らと同じクラスの室生康介の背中に乗っていた。

 ……いや、うんまあ、いつものことだけれどどういうことだ。

「えー。先輩、なんでおんぶしてもらってるんですか?」

 ……そう。

 谷口先輩は、なにをいったいどうしたのか、室生康介におんぶされていた。もちろん、通学時間帯の校門前である。大勢の生徒や先生から困惑した視線を向けられている。

 だが、彼らの視線のほとんどは「またか」というたぐいの困惑だ。

 谷口先輩本人がそんな視線を気にするわけがない。

 おんぶしている室生康介はと言えば、肩で息をしていて、かなりしんどそうな表情だ。あいつも別に運動が得意とか、そういうわけではない。駅からずっと谷口先輩を背負ってきたのなら、ああもなるだろう。

 身体的にキツくて周囲の視線を気にする余裕がない、というのも少しくらいはあるだろう。けれど、毎度のことでこの程度のことは慣れてきた、という方が大きいはずだ。

 谷口先輩は……あー。なんというか、校内では有名人なのだ。

「いやーそれがさー。康介がどーしてもおんぶしたいって言うから」

「嘘でしょ……。どうしてもやってって言われたから恥ずかしいの我慢してやってんのに、俺、そんな風に言われんの?」

 ……ネガティブな意味で。

 なんというか……トラブルメーカー、と表するのが一番適切なんじゃないだろうか。

「まーまー。そんなこと言わないの、康介」

「そうそう、そんなこと言っちゃダメよ。室生君」

「あきらめろ、康介」

「……そうだね。あきらめなよ」

「味方いねーのかよ!」

 室生康介の悲鳴は、至極もっともなものだった。

 そんな康介におんぶされたまま、と言うか背後から抱きついたままで満面の笑みを浮かべている谷口先輩を見て、僕らは……苦笑いするしかない。

 谷口先輩は、悪気がなくてトラブルを引き起こすわけじゃない。なんというか……周りに迷惑がかかるとわかっていても、そこに頓着しないのだ。

 友人や知りあいに限らず、赤の他人さえも巻き込んで大混乱を引き起こし、当の本人はアハハと笑って済ませてしまう。そんな人だ。

 谷口先輩と室生康介の二人は、六月から付き合っている。

 もちろん、そのときも学校内で大騒ぎをしたのだ。谷口先輩がなんで康介を狙ったのか――事実、そう表現するしかなかった――分からないが、ともかく、毎日振り回されている康介も、嫌がっているもののなんだかんだ文句を言いながらも谷口先輩と付き合ったままなのだから、実際にはそうでもないのだろう。

 ……自業自得だ。

「なあ銀」

「和彦、なに?」

「僕らなんかよりさ、先輩と康介の方がよっぽど夫婦だろ」

『確かに』

 銀とつかさの声がハモる。

「おい、なんか不穏なこと言ってないか。葉巻?」

「そんなことねーよ。康介と谷口先輩が夫婦みたいで羨ましいなって言っただけ」

「あらやだー。照れるわー」

「なに言ってんだ葉巻!」

「あーら康介。嫌なの?」

 あわてる康介に、谷口先輩は背後から顔をぴったりとくっつけて、笑みを浮かべる。

 さっきまでの屈託のない笑みじゃなくて、どこか邪悪さを感じずにはいられない笑みだ。

「うっ……」

「ねえ康介、どうなの?」

「嫌じゃない、です」

「それだけ?」

 谷口先輩の視線が少し冷たくなる。周囲の気温まで二、三度下がったんじゃないだろうか。

「あーもう。わかった。わかりましたよ! 嬉しいです! 夫婦みたいって言われて嬉しいよ!」

 ヤケクソになって叫ぶ康介に、谷口先輩の目が先ほどとは打って変わって爛々と輝いた。

「プロポーズいただきました!」

「違う!」

「……違うの?」

 また冷たくなる視線。

 ……気温の乱高下がとんでもないことになってるんだけど。

 だが今度は、康介は負けなかった。

「当たり前だよ。そういうのはもっと……雰囲気の良いとこで、ちゃんとやりたいし」

『あらー』

 ぼそぼそと恥ずかしそうに、けれどそれでもしっかりとそう言う康介に、今度は僕とつかさと銀の三人の声がハモった。

「相思相愛っていいよなぁ」

「……ホントよね」

「ほらお前ら! 校門でたむろしてないでさっさと入れ! 谷口もちゃんと歩け。室生をいじめるな!」

「先生ひどい、あたしいじめてなんか――」

「――おい、つかさ。行こうぜ」

「あ、あー……うん。そうね」

「あ、和彦。置いてかないでよ」

 今度は先生相手に騒ぎ始めた谷口先輩と、泣きそうな顔をしている室生康介を遠目に見て、つかさもあれに巻き込まれるべきじゃないって判断したみたいだ。

 僕たちは三人で静かにうなずきあって、そそくさと教室へと向かった。


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