フードタオル(寿観29年6月23日)

 カモミールティーの香りが鼻腔を擽り、「冷静になりなよ」と告げる。

 革張りのソファが僕の体を抱いて、「体の力を抜きなよ」と告げる。

 レースのカーテンに隠された窓が雨空の柔らかく白い光を注いで、「落ち着きなよ」と告げる。

 けれども、僕の心臓は大きく速く鼓動を打っちゃう。頬も熱をもっちゃう。

 窓を打ち付ける雨音よりも浴室から漏れ聞こえる小さなシャワーの音の方に集中しちゃう。

 仕方がないよね。


 ――清美君が僕の家でシャワーを浴びているんだもの!


 ……なんて言うと、誤解が生じそう。

 というか、僕の理性の具現化こと脳内三ツ矢焔――僕の長年の友達――が栗鼠みたいな目を眇めて唇を尖らせている。あと杖を構えている。ぼこぼこにする気満々だ。嫌だなあ。僕の勝手な妄想だけど。

 脳内焔に言い訳しようっと。

 セクシャルな意味は無いんだよ。例え僕がバイセクシャルで、例え清美君が僕好みの体をしていたってそういう運びにはならない。じゃあ、どうしてこうなっちゃってるのかと言うと、ただ突然の雨に降られて濡れたからに過ぎないんだよ。

 僕の状態と服をご覧よ。

 先にシャワーを浴びさせてもらったから清潔で乾いている。それで外着を着ている。トップスもボトムも着るのにも脱ぐのにも手間がかかりそうなものだよ。わざわざこれを選んだんだよ。

 そういうことになるなら裸になって一緒に浴室で濡れている筈だよ。

 どう? 健全極まりないでしょ。

「じゃあどうして興奮しているんだ。お前は信用ならない。どうせ事に及ぶんだろ。健全に見せようとしているのは、後から有利な立場に立つ為の準備に違いない」と脳内焔が食って掛かる。

 いやいや違うんだよ。


 この興奮は――悪戯を仕掛けているからだよ。


 ティーカップをテーブルに置き、ティーポットの横に並べていたブラシとドライヤーを手に取る。脳内焔が舌打ちする。まあ流石にこれだけでは分かってもらえないだろう。まあ、僕の妄想なんだけど。でも、ちゃんと説明しよう。落ち着かないし。

 

 所で僕の友達に獏宮凜々花ちゃんという子がいる。

 彼女の家族が桜刃組に関わりを持つヤクザだったことを切欠に仲良くなった。けれども、彼女は立派なカタギ。もっと詳しく言うとコスプレイヤー。

 僕にたまに衣装縫製を依頼してくれる。勿論経費もくれるけれど、彼女の感謝はお金だけでは表しきれない。僕に似合うだろう服や雑貨をプレゼントしてくれる。目には目を、歯には歯をだね。

 問題は彼女がくれるものはだいたい兎モチーフのものだってこと。

 僕の趣味じゃないんだよね。彼女もそれを承知していて、家で使うものにしてくれている。

 一番嬉しかったのは鼻セレブだったかな。他もまあ兎モチーフという所以外は僕好みのものが多い。有難く使っている。

 けれども、どうしてもやっぱり使わない品が出て来ちゃう。


 ――兎耳付きのフードタオルとか、ね。


 じゃあ出しちゃうよね、清美君に。

 お客様には新品のタオルを使ってほしい。仕方の無いことだよ。勿論何の変哲も無いものもあったよ。

 でも、清美君だよ。あの清美君なんだよ。ノリがよくて茶目っ気たっぷりな可愛い清美君なんだよ。きっと被ってくれるに違いないよ。絶対やっちゃってくれるよ。見たくなっちゃうじゃん。やっちゃうしかないじゃん。

 僕は先程この行為を「悪戯」と称したね。でもぐだぐだ考えて分かった。「悪戯」したのは僕でなくてもはや運命だよね。

 兎耳付きのフードタオルを送られたのも、僕が使わないままにしていたのも、突然雨が降ったのも、清美君と一緒にいたのも、清美君が僕の風呂に入ることに何の抵抗も無い程気を許してくれてるのも、全部が全部運命のせいなんだよ。

 そう、僕はちっとも悪くない。

 そもそも、もてなしているのだから良いとも言えちゃう。

 清美君があがった暁にはハーブティーを振舞いながら、髪を乾かしてあげようとまでしている。

 親切極まりない。

 僕は面倒見の良い善性の塊のお兄さんとも言えちゃうよね。

 そっか。そうじゃん。脳内焔には帰ってもらっちゃえ。

 鼓動がペースを落としていく。

 シャワーの音よりも雨音が耳につくようになる。というか、シャワーの音が聞こえない。

 清美君終わったんだろうな。

 ちょっと鼓動が早まってきたのでカモミールティーを飲み干す。咳払いもしちゃう。

 口角を上げる。邪念は無いと思わせる為に聖母マリアをイメージする。具体的に言えば、サン・ピエトロのピエタ。

 あんな感じで清美君の重みを両脚に感じてみたい気もしなくもなくもない。うん、脳内焔がクラウチングスタートの姿勢を取ったから今のは無し。

 僕はね、面倒見の良い善性の塊のお兄さんなんだよ。

 何故か手汗が出てきたので、ドライヤーのスイッチをオンして誤魔化す。

 ブラシもドライヤーも構えてリビングの扉に体を向ける。

 程なくして清美君が入ってきた。

 表情が崩れるのが自分でも分かった。僕はね、面倒見の良い善性の塊のお兄さんではなかった。

 

 清美君はまんまと兎耳フードを被っているんだもの。しかも前ボタンまで留める真面目っぷり。

 

 大口開いて頬に熱が集まっちゃった。

 清美君も全く同じ表情だった。どうしてだろう、と僕は困惑が勝った。多分表情に出ちゃってる。

 清美君はぶんぶんと拳を振って軽やかかつ足早に近付いてきた。派手な動きに合わせて兎耳が揺れる。愛でたいけれど、不可思議さが勝っちゃう。うう、図ったなあ。

 彼は跳ねるように僕の隣に腰を下ろした。一際大きく兎耳も跳ね、ソファが沈み込む。

 清美君はきらきらの笑顔を間近から僕に食らわせた。

「ダイソンのドライヤーと木のブラシじゃあ! なあ、つげじゃったりするん?」

 その通りだったので僕が肯くと、清美君は目を細めてぱんと拍手した。

「そうだと思ったわい! 何て言うの? 解釈一致ってやつかね」

「清美君も同じものを使ってるのかな?」

 清美君がぶんぶんと首を横に振った。兎耳が追随する。

「安藤ならそうなんだろうな、と俺が思うてた通りってことやよ。そういうの嬉しいわ。気持ち良いもん」

 ははっと清美君が高くて軽い笑い声を上げた。つられて同じようにしちゃう。

「それなら分かるよ。僕も清美君ならフードタオル被ってくれるって思ってたもん」

 清美君は一度きょとんとした後、兎耳を持ち上げた。

「してもうたわい。まんまと」

 その言葉の後に続いた笑みに僕は見惚れちゃった。先程とは一風変わった、くしゃりとした悪戯気なものだった。

 何だか気恥ずかしくなっちゃった。それを隠す為にあれ程望んだフードをめくって、ドライヤーを当てる。

「早く乾かさないと冷えちゃうよ」

 今度は僕が面倒見の良い善性の塊のお兄さんの皮を被ることにした。

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安藤巳幸による、橘清美との日常 虎山八狐 @iriomote41

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