安藤巳幸による、橘清美との日常

虎山八狐

卵かけご飯(寿観29年6月)

 桜刃組事務所に行くことは僕の日課だ。

 勿論、情報屋として仕事の為だ。でも、それだけじゃない。他愛のない話をして、ストレス解消するのも大きな理由だ。その話し相手だけれども、優先順位があっちゃう。

 一番目は在さん。話し下手だけれども、聞き上手だからお喋りな僕とは相性がいい。何でも無いことから依頼に発展することもあるから、ビジネス的な意味合いでも必須だよ。

 二番目は奈央子ちゃん。同い年だし、ノリが良いから気楽なんだよね。価値観はそんなに合わないから、話題が限られるのがちょっと欠点かな。

 三番目は時也さん。だいたいのことに対してシニカルでクレイジーだから、慣れちゃったら楽だ。愚痴相手には一番丁度良い。時也さんの方からも愚痴ってくるし。

 四番目は優作さん。心配性だからうっかり口を滑らしちゃうと、悲惨な空気になっちゃう。人間性が高くて真面目な所は尊敬してるけど、難しくも思っちゃう。

 五番目は奏君。心の壁が分厚い上、喧嘩腰で来てくれる。来ないでほしい。五歳上の僕から歩み寄ってあげるのが道理かなあなんて思ってさ、果敢に話しかけてはいるよ。でも、メンタルがやられる。正直、苦手かもしれない。

 以上の順位は今年――二十九年の六月から大きく変わることになった。残念なことに時也さんが亡くなっちゃったからね。それに、清美君が来てくれたからね。

 僕は清美君をサポートする役目だから、事務所に行ったらまず彼に話しかけないといけない。

 義務みたいな言い方になっちゃった。何か違うな。間違いじゃないんだけどな。言い直そう。

 大好きな清美君にはまず話しかけたくなっちゃう。

 よし、まあ、感情面では大正解だ。

 だから、今日も真っ先に清美君の所に行った。事務所には奈央子ちゃんと彼しかいなかったんだけどね。しかも、二人で大論争中だった。

 二人はオフィスチェアに腰を下ろしていた。僕に気付くと、元気よく挨拶してくれた。僕も負けじと声を張り上げて返しながら、清美君の隣の奏君用のチェアに座った。

「どうしたの、二人とも。僕も混ぜてよお」

「ちょうど第三者の意見が欲しかった所やわい」

 清美君の言葉に奈央子ちゃんが深く二度頷いた。清美君は流し目でそれを見てから僕に半眼を向けた。今日はご機嫌斜めだね。

「まず、前提の話としてな」

 清美君も奈央子ちゃんも神妙そうな顔をしていた。僕も真似をしちゃっとこう。腕を組んで、「何だい」とクールに言っちゃっう。

「俺は今日、卵かけご飯を食べられなかってん」

 シリアス終了だね。僕は清美君の頭を撫でることにした。

「可哀想だねえ」

 奈央子ちゃんが腕を伸ばして、僕の手を掴んで首を横に振った。

「まだ前提だよ、安藤さん! 静かにしてて!」

「そじゃよ! 序の口じゃけん、まず聞いて!」

 二人の勢いに押されて腕を引っ込めた。

 清美君は朗々と語る。

「起きた瞬間に卵かけご飯が食べたくなってんよ。卵かけご飯以外のことは考えられん程やったわい。急いで米研いで炊いて茶碗についで箸で穴開けて、そんで!」

 二人とも示し合わせたかのように、同じジェスチャーをしていた。まだ出会って一か月も経ってないとは思わせないシンクロっぷりだ。

「冷蔵庫開けて」

 二人が右手で開くジェスチャーをした。眺めていたら、奈央子ちゃんに「開けて」と叫ばれた。僕も同じ動きをしたら、二人に肯かれた。何のイニシエーションかな。

「卵をとろうとしたら!」

 二人が右手の方を見た。卵ポケットを見たのだろう。僕も真似しておく。

「無いねん!」

 オーウと奈央子ちゃんがコメディドラマで聞いたような悲壮感のある声を出した。僕を真似しておく。

「ほじゃきん、俺は残った穴の開いた白飯を暗い気持ちで食べた訳よ。前提おしまい!」

 清美君が大きく一つ拍手した。すかさず、奈央子ちゃんが挙手した。

「私はこの話を聞いて思いました。カレーを食べようとしてお米を炊いてなかった話の類似ではないかと。お米の存在が正反対になって、何だか面白い類似ではないかと!」

 清美君が挙手する。

「俺はちゃうと思います! カレーの件は水泡に帰す的な話でしょ。努力がありますじゃろ。この件は努力が無いでしょ。故に、類似では無いかと思われます」

 僕というより奈央子ちゃん相手に話しているから、敬語が挟まれてきた。笑っちゃいそうになったけど、話の流れを止めない為に頑張って堪えたよ。

 奈央子ちゃんが清美君に向かって身を傾けて、声を張り上げる。

「類似でしょ! どっちも、うっかりドジやったという点では」

 清美君も負けじと身を傾けて、鼻先の触れそうな距離で声を張り上げる。

「一緒にしちゃいかんでしょう! カレーだけ頑張って作った人が悲しむでしょうが」

 二人がふーっと息を吐きながら、姿勢を戻す。絶妙なシンクロぶりに感心していたら、二人の目がぎょろりと僕を見た。

「安藤、第三者として決着つけてえや」

「安藤さん、ギブミーアトゥルース!」

「Give us a truth!」

「Give us a truth!」

 困っちゃうな。どっちでもいいよというのが僕の本音だ。しかし、そのまま言ったら白けちゃうよね。どうしようかな。どっちかに意見寄せても楽しくないだろうし。よおし、方向転換させちゃえ。

「卵かけご飯と言えばさ。僕、試してみたいレシピがあるんだよね」

 清美君と奈央子ちゃんが顔を見合わせ、レシピと怪訝そうに繰り返し囁き合う。

 僕の選択は間違いだったのかなあ。奈央子ちゃんと清美君が無慈悲に告げる。

「安藤さんと私達の間には大きな隔たりがありますね」

「流石安藤やわ。俺らとは別次元にいはる」

 疎外感が急激に襲ってきて泣きそうになっちゃう。

「何でそんなこと言うのさ! 隔たり無いでしょ! ほら!」

 二人の手をパンパンと叩いたらしゅっと引っ込められた。酷い!

「一緒に三次元にいるじゃん! 仲間だよ! 近しいでしょ! 親しいでしょ!」

 奈央子ちゃんは清美君を見つめ、僕に対してさっと手を払った。清美君が肯き、僕に体ごと向き合った。両肩を柔らかく掴まれた。清美君は儚げな微笑を浮かべる。寂しくなるから止めて欲しい。こんなに近くにいるのにさあ。

「あのな、安藤。卵かけご飯ってのはな、レシピなんかいらんのじゃ。誰に対しても簡単で平等で美味しいのが、卵かけご飯じゃよ」

 奈央子ちゃんが清美君の後ろで深く肯き、凛と声を響かせる。

「卵かけご飯に必要な行程は」

 二人の手がすっと胸の所まで上がる。奈央子ちゃんは仰々しく言葉を続けた。

「お米をついで、穴を開けて、卵を割り入れて、醬油を垂らして、混ぜる」

 二人がまた全く同じジェスチャーをする。

「これだけなの」

 奈央子ちゃんの言葉に清美君が深く二度頷いた。

 疎外感が深まって、むかついてきちゃったぞ。怒りを抑えながら説得を試みる。

「でもさあ、僕が凝った卵かけご飯をつくってあげたら、二人とも喜んで食べてくれるでしょ」

 二人がはっと顔を見合わせてから、僕に向かって礼をし出した。

 奈央子ちゃんが弱々しい声で言う。

「その通りでございますう……。私達が間違っておりました。降参でございますう」

「分かってくれたら良いんだよ。間違いを認められるなんて素晴らしいね」

 奈央子ちゃんは顔を上げて、顰めながら小さく肯いた。

 顔を上げない清美君の頭を撫でる。

「ほら、清美君も降参でしょう」

「ぐう……!」

「ぐうの音は出るんだね。頑固だね」

 清美君はぱっと顔をあげて、きっと僕を見た。

「卵かけご飯と呼ぶのは許せん。安藤の気まぐれ卵かけご飯とか、プロヴァンス風卵かけご飯とか頭に何かつけたら許すわ」

 いったい卵かけご飯は清美君にとって何なんだろうか。

 奈央子ちゃんまで険しい顔を始めた。

 ここは勢いで丸く治めることにしちゃおう。

「じゃあ、そうするよ。解決だね! 双方文句無いね!」

 清美君は気持ちよく肯いたが、奈央子ちゃんはまだぐずついていた。

 更に勢いを増す為に、万歳と叫んで両腕を上げた。

 清美君が更に大きな声と動作で万歳をする。僕も勢いを合わせた。

 奈央子ちゃんも渋々やり出した。

 彼女が笑顔になるまで万歳を繰り返した。五回はやっちゃったよ。

 ……うん、今日も平和だね。良いことだよ。

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