第11話 現代編 透を追って
東京からはるばるやってきた温泉街で、高校時代の同級生にして初恋の相手である『
『散歩してくる』的なことを口にして去っていった彼女の小さな背中に嫌なものを感じた。
かつての記憶と照合した結果導き出された疑惑、その可能性に背中を押されて後を追うことにした。
何事もなければいい。笑いごとで済むのなら、それに越したことはない。
焦燥に駆られた足を縺れさせながら、心の中でそう念じ続けた。
「透さん、どこに行った?」
宿を出ようとしてストップ、入り口で立ち止まった。
ここは初めて訪れる温泉街で、土地勘がまったくない。
駅から宿までだってスマートフォンの指示に従ってバスに乗ってきただけ。
右も左もわからない街をいたずらに走り回っても、ずいぶん前に姿を消した透に追いつけるとは思えなかった。
「あの、すみません……昨日俺と一緒に来た風祭さん、どこに行ったかわかりませんか?」
従業員に尋ねてみるも、反応はイマイチ芳しくない。
最近は個人情報の取り扱い云々の問題もあり、ともに行動していたと言っても別口の客である
そもそも『嫌な予感がする』といっても、現段階では篤志が勝手に嘯いているだけで、実際のところ何の根拠もない。迂闊なことを口走れば騒ぎが大きくなる。世話になっているこの宿だけでなく、透の面子を丸つぶしにしてしまいかねない。
結局『彼女が戻ってきたら一報お願いします』とだけ伝えて宿を後にした。
スマートフォンを睨みつける。透とは連絡先を交換していない。
なぜ交換しなかったか?
答えはなんとなく……と言うわけではなく、単に怖気づいていただけ。
別に深いことを考える必要はなかったのに。
高校時代の友人と久々に再会した。
『元気してる?』
『ぼちぼちかな?』
『せっかくだから連絡先を交換しない?』
『いいね。あ、そうだ。今度一杯どう?』
こんなノリで気軽にゲットしておけばよかったのだ。
透が透でなければ、十年たってもいまだ引きずる初恋の相手でなければ、何の問題もなく交換していただろう。
変に意識してしまったせいで後手に回ったことが悔やまれた。
こんなことになるなんて思ってなかった……なんて、言い訳にもならない。
――落ち着け、落ち着け、俺。
こういうときにはどうすればいい?
胸に手を当てて大きく息を吸って吐く、吐く、そして吐く。
漫画とかアニメとかドラマとか、出典は何でもいい。
人を探すときにはどうすればいい?
初めて訪れる街、顔見知りは存在しない。できれば大事にはしたくない。
条件をピックアップしつつ、記憶の中から役に立ちそうな知識を汲み上げる。
「聞き込み……か?」
ミステリーでよくある奴だ。
事件現場の周辺住民を訪ねて回るアレ。
透の姿を見たか?
どんな様子だったか?
どこへ向かおうとしていたか?
何でもいいから、とにかく彼女につながる情報が欲しい。
事件はまだ発生していいないから、警察が動いてくれそうな段階ではない。
自分でやるしかない。文字通りの素人探偵にどこまでできるか不安はあったが、やらないという選択肢はなかった。
「あの、すみません。ちょっといいっすか?」
早速そこらを歩いていた老夫婦に声をかける。
彼らを選んだことに深い意味はなかった。
単に最初に目についた、ただそれだけのこと。
「おや、どうかなさいましたか?」
穏やかな反応に人のよさそうな印象を受けた。
老いを感じる年齢には見えたが、かくしゃくとしている。
偶然とはいえ、かなりうってつけの相手に思えた。
「ええ、あの、人を探していまして」
「あらまあ、どんな方でしょうか?」
「えっとその……見た目は、えっと、ああ、しまった!」
痛恨のミスに気が付いた。連絡先どころか透の写真すら存在しない。
盗撮はアウトにしても記念写真ぐらい簡単に撮れただろうに。
後手に回っているなんてレベルじゃない。
初恋の相手(既婚者)とは言え臆病が過ぎる。
――なんかねーのか!?
募る焦りを飲み下しながらあたりを見回すと……土産物屋にいいものがあった。
なんてことはない紙とペン。お値段はアレだが店に飛び込んでノータイムで購入。
奇行に走る篤志を興味深げに見つめる老夫婦を尻目にペンを走らせる。
「これ、こんな感じの人を……」
現役プロ漫画家の手による透の即興イラストを描き上げて掲げて見せた。
『どれどれ』と覗き込んだ次の瞬間、老夫婦の表情が豹変した。
篤志に向けられる視線は、完全に犯罪者に向けられるそれだった。わけがわからない。
『何かミスしただろうか?』と自問して、自分が描いた絵を見て、
――あれ、これダメな奴じゃね?
先ほどとは別の嫌な予感がした。
透の外見は十年前からほとんど変わっていない。
そして彼女は十年前の段階で〇学生に見間違われることが多々あった。
場合によっては◎学生扱いされたこともあると聞いた。
そんな彼女をプロの筆致で克明に描いてしまった。
客観的に見て怪しい。怪しすぎる。
息を荒げて〇学生女子を探している(ように見えてしまう)だらしない格好のアラサー男。
言葉にすると、ただひたすらに不審者だった。
――下手すりゃ親子ならワンチャン……ッ!
動転しすぎたあまり、篤志は◎学生レベルの四則計算ができなくなっていた。
しかし、混乱するのも無理はなかった。目の前で事態が刻一刻と悪化しているのだ。
現に老婦人の手がスマートフォンに伸びていて、指が『1』に伸びていて。
これぞまさしく危機一髪。否、危機を逃れてはいない。それ以上はいけない!
「ちょ、ちょっと待ってください。誤解です、誤解なんです。彼女は既に成人していて」
「……という設定なんですか?」
「設定じゃねーよ!」
見知らぬ老人にマジ突っ込みを入れてしまった。
『ほっほっほ』と笑うふたりに、慌てて深く深く頭を下げる。
いくらなんでも見ず知らずの人間に対して、あまりに失礼であった。
気を取り直して、自筆の絵に似た風貌の女性を見てはいないかと尋ねたものの――結果はダメ。
「お見掛けしたらあなたが探していたことをお伝えいたしますよ」
「すんません、よろしくお願いします」
もう一度思いっきり頭を下げて駆け出した。後ろを振り向いている余裕はなかった。
老夫婦の後にも、街を歩いているほかの観光客やら、土産物屋やコンビニの店員やらに声をかけて回る。概ね似たり寄ったりの対応をされて、盛大に気力を持っていかれた。
警察にガチ通報されなかったのは奇跡かもしれない。
そんなことを何度も何度も繰り返しているうちに、透らしき女性を見かけたという話が聞けた。その女性がバスに乗ったという話が聞けた。『では、どのバスに乗ったのか?』と尋ねまわって、海に向かうバスだと知らされて愕然とした。
「海って……もう!」
海。
ひとりきりで。
結婚しているはずなのに、夫の姿がなくて。
曇り空、荒々しい波、吹きすさぶ風、そして断崖絶壁。
曖昧模糊としていた嫌な予感が次第に明確な輪郭を形成し始めて、篤志の背中を冷たい汗が伝う。
『さようなら』
宿で別れた際に彼女の唇から漏れた声が、脳内にリフレインする。
優しく、温かく、寂しく、そして悲しそうな声。
どんな顔をしていたのか、よく思い出せない。
笑顔だったような気がする。泣き顔だったような気もする。
あの時に気づけばよかったのだろうか。引き止めればよかったのだろうか。
答えはきっと『YES』だろう。今さら後悔しても、もう遅い――
「い~や、遅くねーし! 待ってろよ、透さん!」
やってきたバスに飛び乗ると、乗客がすわ何事かと視線を向けてくる。
その眼差しを意識することなく席に座り、じっと海の方を睨みつけた。
心臓が荒々しく鼓動を打っている。
呼吸は乱れて、冷や汗が止まらない。
原因は……冬に近づく街を走り回ったからではない。
何事もなければ、それでいい。
何事も、なくてくれないと、困る。
否、困るどころでは済まされない。
この後悔は、間違いなく生涯篤志を苛み続けるに違いない。
十年前とは比較にならないレベルの地獄を幻視してしまう。
「神様……」
両手を合わせて、目蓋を閉じて、祈る。
篤志は神様なんて信じてはいなかった。だから自分のために祈ったことはない。
都合のいいことを口にしているという自覚はあったが、他にできることもなかった。
『なるほど、こういう時に人は祈るのか』と、生まれて初めて思い知らされた。
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