第6話 過去編 風祭との対峙

 放課後の体育館裏に重苦しい緊張感が張り詰め始めた。

 篤志あつしの目の前には、威圧感マシマシの大柄なイケメン『風祭 優吾かざまつり ゆうご』が仁王立ちしている。

 バスケ部の主将にしてエースだけあって、190センチを超える背丈と日々の運動で鍛え上げられた肉体の圧力が半端ない。

 篤志の背が低いわけではない。180センチはある。

 それでも、ひょろりとした篤志と見るからにスポーツマンな風祭では、お互いに与え合う印象がまるで違う。吹けば飛びそうな前者と、がっしり大地に根を張った後者。

 同い年でありながら格差は歴然としており、言動の端々に両者の立場が見え隠れしている。

 気おされて見上げる形になった篤志は、後ずさりかけてギリギリで耐えた。


『俺のとおる


 そのひと言がやけに耳に引っかかった。

 踵に力がこもり、奥歯を強く噛み締めた。

 負けじと睨み返すと、風祭は意外そうな顔をしていた。


「い、いきなりなんのことだよ?」


 驚きを隠せない風情をことさらに強調する。

 篤志の方こそが風祭と話をしたかったところだったと言外に告げる。

 もちろん議題は透の件である。

 奇しくも体育館裏でふたりが語り合おうとしたテーマは一致していた。

 どうやら内容は正反対のようであったが。


「なんのことも何も、とぼけてんじゃねーぞ。大久保おおくぼさ、最近俺の透とずいぶん仲がいいみたいじゃないか」


「は?」


『俺の』を連呼されてイラっとしたものの、なんのことを言われているのか一瞬本気でわからなかった。眉を寄せると風祭は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 視線を中空に泳がせながら自分と透についてここ最近の記憶を振り返ってみると……確かに行動を共にしていることが多かった。

 しかし、それは現在進行形で目の前に詰め寄っている男(の浮気疑惑)について彼女と語り合っていただけで、後暗いところはない。

 むしろ『なんでそんなことを当の本人に言われなきゃならんのか?』『誰のせいだと思ってやがる!』と無性に腹が立ってきた。


「透さんとは別に何もねーよ。単に相談に乗ってただけだ」


「相談? あいつがお前に何を相談するっていうんだ?」


 風祭の発言のひとつひとつに苛立ちを覚える。

 根本的にこの男は篤志を見下している。

 自分の彼女である透が篤志に相談を持ち掛けるなんてありえないと嗤っている。

 その自信の源は、バスケ部のエースであり多くの人間から信頼を集めている校内のカリスマであるという事実と推定された。

 それは篤志の嫉妬による邪推だったのかもしれない。

 何者にもなれず夢を追いかけるでもなくただ日々を過ごして燻っている自分と比べて、キラキラした青春を送っている男に対する嫉妬だ。認めたくはないが、認めざるを得ない。風祭に対する嫌悪感の根源は、篤志が抱いている劣等感であることを。


──こいつのこう言うところが気に食わねーんだよな。


 心の中でひとり呟く。

 自分に巣食っているネガティブな感情は認める。

 でも、それだけではない。目の前の男は決して万人に愛される人物ではない。これもまた事実だった。別に篤志だけが隔意を抱いているわけではなく、風祭について似たような印象を持つ者は他にも存在することは見聞きしている。

 内訳的には男子が多いものの、意外と女子の中にも『ウザい』などと切って捨てる者は存在する。アオハルな高校生活を送ることができていないのも、篤志だけというわけではない。何の慰めにもならないが。

『風祭 優吾』という男は『持てる者』それも持って生まれたものが多い男であるが故か、周囲への配慮が欠けるところがあるように思える。

 揉めるのがめんどくさいので、わざわざ誰も指摘したりはしないだけで。


──それだけだ、それ以外には何にもない。


 風祭に対して抱いている反感は、少数派意見ではあってもごくごく普通にありうるものの範疇に過ぎない。

 それ以外には何も含むところはない。

 そうに違いない。他に何があるってんだ。

 上段から睨みつけてくる風祭を睨み返しながら、何度も何度も心の中で強弁した。

 無意識のうちに、まるで自分に言い聞かせるように。

 それはともかく、今は風祭だ。


「随分な言い草だな、風祭。お前はそう言うけど、相談されたのは間違いねーんだよ」


 カチンときたのは間違いなくて。

 ついつい強気で言い返す。

 まさしく売り言葉に買い言葉。他に誰もいないから、エスカレートが極限に達すると暴力沙汰に発展しかねない。そこまで頭で理解できていても、引き下がることはできなかった。理由は自分でもよくわからなかった。


「だったら内容を教えろよ。本当のことなら言えるだろうが」


「プライベートに関することだよ。そんな簡単に言えるわけねーだろ」


「あいつは俺の女だぞ」


「お前の女とかそう言うのは関係ねーし」


『俺の女』『俺の女』と事あるごとに透の所有権を主張するのがムカつく。

 幼馴染だろうが何だろうが、たかが高校生の彼氏彼女のくせに。

 まるで透をモノ扱いするその言動は、篤志の価値観に照らし合わせる限りではまともじゃない。

 一体何をどう拗らせれば、そのような思考に行き着くのか。


──透さん、こいつとは別れた方がいいんじゃねーの?


 邪念が脳裏をよぎり、慌てて振り払う。

 彼女は風祭を愛している。この男のどこがいいのかは置くとして。顔か?

 兎にも角にも、ふたりの関係はふたりで話し合うべきことであって、篤志にできることはその橋渡しだけだ。

 調子に乗って首を突っ込みすぎるのは良くない。

 誰にも、それこそ透にもそんな役割は求められていない。


「だいたい、いきなりなんなんだよ。こんなところに呼び出しておいて責め立ててきて……なんか理由でもあんのかよ?」


 それはそれとして、口汚くなるのは止められない。

 喧嘩を売ってきたのは風祭の方だから。

 あらぬ疑いをかけられるのも愉快でない。


「この前の土曜日」


「ああ?」


「土曜日に、お前と透がふたりで歩いているのを見た」


 苛立たし気な声だった。

 篤志は思わず息を呑んだ。

 口元が強張って声が出ない。


──げ、見られてたのかよ。


 自分たちが風祭を見張る側であると思い込んでいたせいだろうか。

 風祭が自分たちに注意をはらっているとは想像できなかった。

 篤志たちが風祭を観察する機会があるのなら、風祭が篤志たちを観察する機会だってある。その単純な事実を失念していた。

 今さら気づいても、もう遅い。


「……見てたんなら声をかけてくれればいいだろ?」


「浮気されてるかもしれないって時に、声なんかかけられるかよ」


 絞り出すような風祭の声に、抗弁の必要性を感じた。

『透のプライベートは明かせない』と言った舌の根が乾く間もない手のひら返しになってしまうが、さすがに見られていたのなら黙っている方が拙かろう。

 心配されるようなことは何もなかった。

 むしろお前のことを心配していたのだと伝えておかねば、一方的に悪者にされかねない。『大久保 篤志』と『風祭 優吾』、周囲に対する両者の影響力を鑑みれば、機会を逃すと取り返しがつかない。

 ……などと理屈をこねくり回す前に言葉が口をついた。


「その言葉、そっくりそのままお返しするわ」


「何ッ!?」


『浮気』と言う単語が風祭の口から飛び出した瞬間、篤志の頭の中で何かがキレていた。


「お前の方こそ浮気してるんじゃねーのかよ」


 篤志の反撃に、風祭の端正な眼差しがあらぬ方向へ泳ぎ出した。

 心当たりなんて全くない……なんて開き直ることはなかった。

 わずかな沈黙ののちに、再び風祭が口を開く。


「馬鹿なことを言うな。大久保、お前あんな噂を真に受けてるのか?」


「噂は関係ねーよ。先週の土曜日つったらお前だって他の女を連れてたじゃねーか」


「……見てたのかッ!? あいつは」


「ちげーよ。見に行ってたんだよ。あの子は女子バスケ部のキャプテンで部活の付き合いだって言いたいんだろ?」


 どう見てもそんな雰囲気ではなかったが。

 風祭があの状況を言い訳するには他の手段はないだろう。

 蒼白な透の顔と眦に浮かんだ涙が脳裏に甦って、篤志は我知らず吠えた。


「見に行ってたって、どう言うことだ?」


 火が付きかかった口論は暴力に発展しなかった。

 篤志の口から反射的に飛び出した言葉を受けた風祭の勢いが露骨に削がれた。


「俺が透さんから相談されてたのは、まさしくその件だよ」


「……そうなのか? すまん、詳しく頼む」


 いつしか風祭から荒々しい気配は消えていた。

 神妙な顔つきで続きを促してくる。

『こいつ、実はそんなに悪い奴じゃないのでは?』なんて思いが脳裏によぎった。

 それはそれで癇に障りはするものの、もともとこれが本題だから止まれない。


「校内に広がってる噂……あれが本当かどうか確認したい。でもひとりじゃ怖いってな」


「何でそこでお前が出てくるんだ?」


「それはマジでたまたまだ。放課後の教室で透さんが泣いてるところを見ちまったから、放って置けなかった。あとは成り行きだ」


「透が……泣いてた?」


 風祭は大きく目を見開いた。

 そのまま呆然と、本当に呆然と口にした。

 とてもではないが信じられない、そう言う顔だった。


──ま、無理もないがね。


 篤志だって自分の目で実際に見ていなければ、到底信じられなかっただろう。

『小さな巨人』こと『天城 透あまぎ とおる』が声を殺して泣く姿なんて。

 茜色に染まった教室での一幕は、それほどに衝撃的だった。

 少なくとも、不倶戴天の仇じみた少女に手を貸そうと思うほどには。

 あの光景を目にしたときのショックの百分の一でも伝わればいい。

 そう思わずにはいられなかった。

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