第4話 過去編 途方に暮れても
「……お騒がせしました」
休日の公園は人がごった返していた。親子連れやらカップルやら。
どうにかベンチを確保して透を座らせ、篤志は自販機へと走った。
両手にスポーツ飲料の缶を持って戻ってくると、透は口を閉ざして項垂れていた。
「いや、怒るのは無理ないと思うし」
「そうでしょうか?」
篤志から缶を受け取り、プルタブを開けて中身を一気に喉に注ぎ込む透。
朝から風祭達のことが気にかかって仕方ないまま街を歩き回り、挙句の果てにかなり決定的な現場を目撃して精神的にも大荒れで。
そんな透が今ようやくひと息ついて、口元をハンカチで拭っている。
隣に腰を下ろした篤志も同じように缶を開けて中の液体を流し込んだ。
6月も下旬が近い頃合いだった。空は抜けるように高くて青くて、太陽はぎらぎらと照り輝いている。夏真っ盛りとまではいかないものの、率直に言ってクソ暑かった。喉を通るジュースは清涼な甘露で、火照った体に心地よい。
しばらくの間、ふたりはちびちびとジュースを口に運びながら沈黙を貫いていた。
耳を澄ましていると、周囲からは休日らしい穏やかで楽しげな会話が聞こえてくる。
うらやましいと篤志は思った。
自分たちを取り巻く状況はヘヴィで、隣に座っている透はいつ暴走してもおかしくない。
――風祭……あのアホ!
言葉には出さなかったが、心の中で盛大に罵った。
あんな人どおりの多い場所にいるんじゃねぇ。
彼女がいる癖に浮気なんかしてるんじゃねぇ。
他にもあれやこれや。今まで胸の奥にたまっていた感情が溢れ出しそうになる。
「はぁ」
すぐ横から、悩ましい吐息が零れた。
「えっと、透さん?」
「何やってるんでしょうね、私」
恐る恐る尋ねた篤志の声は聞こえていないようだった。
透の瞳は虚ろで、ぼんやりと手元を見つめている。
空き缶を掴む手に力は籠っていない。
「わざわざ休日に
「別に……透さんは悪くないだろ」
「そうでしょうか?」
「むしろ、何で反省する必要があるのって思うけど」
嘘をついたつもりも慰めたつもりもなかった。
篤志はただ事実を述べただけだ。
彼氏が浮気しているなんて噂がたてば、彼女としては気になって当然。
休日に自分を置いて出かけるなんて聞かされたら、座視するなんて無理な話。
決定的な現場に遭遇したなら、頭に血が上って制御不能に陥るのも已む無し。
振り回される方としては思うところが無きにしも非ずではあるものの、ひとりでは心細いという透の心境も理解できる。
「大久保さんは優しいですね」
「普通だって、こんなの」
「そうでしょうか?」
「そうそう」
軽く相槌を打つと、透は小さな唇に缶の飲み口を当てる。
しばらくの間、また沈黙が続いた。
お互いに次に口にするための言葉を探りあっているような、奇妙な時間。
それは唐突に終わりを告げた。
「お~~~~か~~~~あ~~~~さ~~~~ん!」
公園に響き渡る少年の鳴き声。見たところ幼稚園児と思われる。
涙交じりの叫びから察するに、母親とはぐれたのだろう。
『何やってんだ』と呆れる篤志を置いて透が立ち上がった。
「え?」
「ちょっと行ってきます」
止める間もなく透は少年に近づいていく。
周りの人間は奇異の眼差しを注ぎはするが、手は出さない。
薄情だとは思うものの、篤志だって同じ穴の貉だ。
ノータイムで手を差し伸べる透の方が異端なのだろう。
遠目に様子を窺っていると、屈んだ透が少年の頭を撫でている。
何か話をしているなと見ていたら、少年の手を取った透がベンチに戻ってくる。
「えっと、透さん?」
「迷子だそうです」
見ればわかると思った。思っただけで何もしなかったが。
透は少年を座らせて飲みかけのジュースを渡した。
少年は鼻をぐずらせながらも缶を口に運んでいる。
その頭を、透の小さな手が撫でていた。
「あの、大久保さん」
「親を探すってか?」
「いえ、それは私がやりますので。今日はわざわざ来ていただいて」
「だから、そんな水臭いこと言うなって」
迷子の子どもがうんぬんよりも、この状況で篤志を気遣う透の態度に腹が立った。
「でも……」
「こういう時は『手伝って』って素直に言えばいいの」
「それは……ご迷惑では?」
「こんなところで『はい、さようなら』って言われる方が迷惑だわ」
「むっ」
透が一瞬にして気色ばむ。
「お姉ちゃん、おじさんと喧嘩?」
ジュースを飲んでいた少年が不安そうに尋ねてくる。
まだ涙に濡れた瞳が罪悪感を掻き立ててくる。
だが……それはそれ、これはこれ。
「違います」
「誰がおじさんだ、このガキ」
同い年の高校生なのに、この扱いの差は何なのか。
「大久保さん、子ども相手に大人げないですよ」
「いや、こういうことは早いうちに躾を」
「大久保さん」
透の声がフラットに、透の眼差しがじっとりと。
これ以上この話題を続けるのは得策ではない。
理屈ではなく本能で察した。
「はいはい、わかりました。おじさんで結構です」
投げやり気味に肩をすくめると、透はクスリと笑みを浮かべた。
先ほどまでの悄然とした姿よりは、よほどいいと思った。
「ところで、この子の親ってどうやって探すんだ?」
「……」
「まさか、何も考えてないとか」
「すみません、何も考えてません」
プイっと横を向いた透の拗ねた声。
そんな彼女が篤志の笑気を誘った。
「何がそんなにおかしいんですか?」
「いや、透さんがそれを言う?」
「考えなしで申し訳ございません」
「そこまでは言ってないけど。まぁ警察とかに連れて行くのが無難じゃね?」
「警察ですか?」
意外なことに、透はあまり気乗りしない様子を見せた。
理由がいまいち掴めなかったが『大事にしたくないんです』と言われると、そういうものかもしれないという気がしてきた。あと、単純に交番は遠かった。『警察とか』とほかの職種にも言及はしたものの、警備員がいるほど大した公園でもなく、現実問題として当てはなかった。
「きっとご両親はまだ公園の中にいると思うんです」
「まぁ、子どもを置いて遠くには行かんわな」
「だから、えっと……私たちだけでもどうにかすれば」
「どうにかって……そうだ、何か書くものある?」
警察は嫌だがアイデアは浮かばない。
悩む透と子供に視線を行ったり来たりしているうちに閃くものがあった。
「書くものですか? これとかどうでしょう?」
透が肩に下げていたバッグの中からメモ帳とボールペンを取り出した。
メモなんて今時スマートフォンで十分だろうに何故こんなものを持っているのだろう?
気にならなくはなかったものの、今はありがたいので余計な詮索は避けることにした。
「おいクソガキ、お前の父ちゃんと母ちゃん、どんな人だ?」
「え?」
メモ帳をベンチにおいて屈み、ペンを構えて尋ねる。
ジュースを飲みほした少年はきょとんとした目を向けてきたが、おずおずと両親の特徴を語り始めた。篤志はその情報をもとにペンを走らせる。途中で『ママのハンバーグがおいしい』だの『パパは休みの日になるとごろ寝してママに怒られてばかり』だの必要ない情報も混ざったが、根気よく聞き取りを続け――
「よし、こんなもんか」
然程の時を置くことなく少年の両親の似顔絵(推定)が出来上がった。
「お上手ですね」
感心した風な透の声。
「これ……パパとママと、僕?」
「おう」
ふたりの男女の間には少年の似顔絵も付け足しておいた。
別に深い意味はなかった。単に筆が乗っただけだ。
「じゃ、これをもとに近くで聞き込みといくか」
「そうですね」
透は腰を上げて少年の手を取った。
篤志も腰を上げて大きく身体を逸らせる。
ボキボキと嫌な音がした。
「大久保さん、身体、大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫って、これくらい普通だろ」
「そうでしょうか?」
「……え、よくあるっしょ?」
俄かに不安になったのでマジ気味に聞き返したが、あまり色良い答えは得られなかった。
★
「ありがとうございます」
「目を離した隙に姿が見えなくなって」
篤志と透の前で大人の男女が頭を下げている。
母親の足元には少年がぴったりくっついていて、透に手を振っている。
「いえ、お気になさらず」
透は透ですっかり恐縮している。
あれからしばらく公園周辺を歩き回り、無事に両親を見つけることができた。
探し始めた時は『面倒ごとに巻き込まれたな』と心の中でため息をつく気持ちもあったが、終わってみれば案外悪くない時間だった。
「ありがとう、お姉ちゃん、おじさん」
「もう逸れたらだめだよ」
悪意のない少年の声に透が微笑み返す。
悪意のない差別に不貞腐れていると、横合いから透に肘を食らった。
わき腹を抑えつつ笑みを形作る。
「親御さんに迷惑かけんなよ、坊主」
「おじさん、この絵ありがとう!」
「こら! すみません、この子ったら」
あくまでも『おじさん』呼びを止めようとしない少年。
両親が窘めてもまるで効果がない。
『この年頃は、こんなもんかな』と自分で自分を納得させた。
「本当にすみません。後で言って聞かせますので」
「いや、いいすよ別に」
何度も何度も頭を下げたのちに少年は両親と手をつないで去っていった。
その背中を見つめつつ、
「透さんさぁ」
「何ですか?」
「……自分が大変な時に人の面倒見てる場合じゃなくない?」
逡巡ののちに苦言を呈した。
「そうでしょうか?」
真顔で首を傾げられるところが、いかにも『
困っている人を放っておけなくて、好き好んで貧乏くじを引きに行く。
だからこそ彼女の周りには人が集まる。そういう人間だった。
「それより」
「ん?」
「絵、本当にお上手ですね。そっくりでしたよ」
「まぁ、漫画家目指してますし」
「そうでしたね」
真正面から微笑み返されて、思わず目を逸らした。
自分の絵を素直に褒められたのは何時ぶりだろう?
そんなことを考えながら。
「私たちも帰りましょうか」
「そうだな」
迷子の少年を助けたはいいものの、透を取り巻く状況がまるで改善していないという現実に思い至り、どっと疲れが押し寄せてきた篤志は、前を歩く少女に気づかれぬように、そっと大きな吐息を吐き出した。
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