第9話 過去編 最果てに輝く星は その1
そう言い切ることができないままに日々は過ぎていった。
放課後になると誰もいない教室で浮かない顔をしている透を慰め、愚痴を聞く。
昼間は引き続き校内を彷徨い歩いて、情報収集に努める。
『俺はいったい何をやっているんだ?』なんて疑問が頭を掠めることもあるけれど、今さら放り出すわけにもいかなくて。
ここ最近すっかり恒例になっているふたりの時間は無為に過ぎるばかり。
当初の目的は透と
それでも律儀に毎日顔を合わせていると、たまには別の話題に流れることもある。自然と雑談が増えた。
まさか、あの『
過去の自分に教えてやったら、それこそ一笑に付されかねない。
それはともかく。
今日も今日とて教室ではロクなアイデアが出ず、終業を知らせるチャイムに追い出される形で学校を後にした。
夏が近い頃合いゆえに空は明るく、しかし時計を見ればそれなりの時間帯。
ぐ~
空腹に嘆く腹を抑えた。
高校生男子の燃費はお世辞にもよくはない。
体育会系でない
ぐ~
すぐ隣で音がした。
ちらりと視線を向けてみると……物凄い眼差しが帰ってきた。
羞恥で耳まで真っ赤な顔と相まって、なかなかに趣き深い光景だった。
「言いたいことがあるなら、ご自由に」
凛とした表情がアンバランスで、ますます笑気がこみあげてくる。
ここで笑ったら色々と台無しなので、懸命に堪えた。
「いや、腹が減ったから何か食わね?」
「下校時の買い食いは禁止で」
ぐ~
また鳴った。
誰の腹かは、あえて語るまい。
透が俯いて、そっとおなかを抑えていた。
「ゴホン! あ~、言いたいことがあるなら、ご自由に」
「わ、私の真似をしないでください!」
「ごめんごめん、冗談だから」
「……」
そっぽを向いてしまった透に頭を下げる。
頭を下げてなお篤志の方が視線の位置が高い。
「
「お……透さんを放ってそんなことできないし」
「今、何を言おうとしましたか?」
「何でもないって。ほら、俺を助けると思って」
「はぁ」
実に気のない返事とともに、空腹を主張する音が重なった。
さすがに我慢の限界だった。もちろんメチャクチャ怒られた。
★
「ん~、うま」
コロッケ1個100円。
高いのか安いのか、自分で金を稼いだことのない篤志には判断しかねた。
肝心のブツは、これと言って特徴のない全国チェーンのコンビニ総菜にすぎないものの、金銭的に余裕を持ちづらい高校生にとっては十分なごちそうだった。
「むぐ……買い食いの上に立ち食いなんて」
コンビニの壁ガラスに背中を預け、買ったばかりのコロッケを駐車場で食べる。サクサクの衣にソースが染みて、中にはジャガイモがぎっしり詰まっていて。
不満たらたらの透も、口を動かすことは止められない。
品行方正なクラス委員も空腹には勝てなかった。
「う~ん、ミンチカツも食うか」
「晩御飯が入らなくなりますよ」
「透さんは俺のおかんか」
「こんな大きな子供がいる年じゃありません」
「そりゃそうだ」
笑みがこぼれた。
やたらとおかしかった。
何がツボに入ったのかは篤志自身にもわからない。
「ところで大久保さん、何か他にも買ってましたよね?」
「ん? ああこれ?」
ビニール袋から取り出したのは、今日発売の漫画雑誌だった。
いつもは朝に登校する際にゲットして授業中に読むのだが、寝坊して買いそびれていたのだ。
尋ねられたから答えたのに、透の視線がじっとりと湿り気を帯びた。
なんとも理不尽だと心の中で呆れた。
「大久保さん、勉強はしなくていいんですか?」
「藪から棒に、何?」
「いえ、その……協力していただきながら言えた口でもないのですが、私たちって高校三年生じゃないですか」
「あ〜、そりゃまぁ……そうだな」
さすが優等生、嫌な現実を目の前に突きつけてくれる。
そう、篤志たちは高校三年生。
『まだ一学期だから』などと悠長なことを言っていられる状況ではない。
油断していると、すぐに『その時』が訪れる。
「成績、大丈夫なんですか? 相変わらず授業もサボってばっかりですし」
「……まぁ、それなりには」
「私の目を見て言ってください」
視線を逸らして頭を掻くと透が強い口調を重ねてくる。
久方ぶりに見る『小さな巨人』モードだった。黒い瞳に火花が散っている。
最近はすっかり鳴りを潜めていたのに、不真面目すぎる篤志に触発されてしまったらしい。
「実は全然大丈夫じゃない」
「ダメじゃないですか!」
「……ってほどでもない」
「どっちなんですか?」
透の胡乱げな眼差し。
声にも険が宿っている。
「透さんたちほどじゃないけど、そこまで悪いってわけじゃない。まぁ」
「私たちはともかくとして……なんだか含みがある言い方ですね」
剣呑な雰囲気は失せたものの、訝しげな色合いは消えない。
この超真面目少女の目には、世界がどのように映っているのか。
唐突に聞いてみたくなった。
「なんつーか、その……透さんって、不安になったりしない?」
隣り合ってコロッケを頬張っている状況で、こんなことを尋ねるのはどうなのかと思わなくもない。
不謹慎だと呆れる反面、抑えきれない期待があった。
『天城 透』は根本的に真摯な少女だから。
以前に比べれば仲は良くなったと実感しているから。
長い間、ずっと篤志を悩ませている疑問に答えをくれるかもしれないという期待があった。
「不安、ですか?」
高校に入学してから二年と少々。
ずっと同じ教室で学んでいたにもかかわらず、透とこんな話をしたことはなかった。
透に限らず、誰ともしたことはなかった。
他のクラスメートとは、将来について真剣に語り合うほど深い仲ではない。
表層的な人間関係に終始していた篤志には、心から信頼できる友人がいなかったのだ。
だから、ずっとひとりで抱え込んでいた。
「そ。勉強して大学行って大人になって……そういう人生ってどうなんだろうってさ」
口調は相変わらずおどけていたが、質問は真剣そのものであった。
将来のこと。大人になること。そのために勉強すること。
大人たちは口をそろえて『つべこべ言わず勉強しろ』と合唱する。
誰もが等しく謳うならば、それは正しいことなのだろうと飲み込んでしまおうとして、できなかった。
何が引っ掛かっているのか自分でもわからなくて……でも、とても大切なことのように思えて。
「どうと言われましても、それが普通だと思いますが」
透は渋い顔をしている。
篤志の心境を理解できない。
表情が如実に語っている。
「……大久保さんは、何かやりたいことがあるんですか?」
「え?」
「その、大久保さんって普段はアレですけど」
「アレって何?」
「えっと、今のお話ですと勉強したくないというよりも、勉強よりももっとやりたいことがあるのかな、と。大久保さんの中で勉強よりも関心が大きい何かがあって、だから『このままでいいのか?』って迷っているように見えました」
『アレ』の部分はスルーされた。きっと気を使ったのだろう。
躊躇いがちな口ぶりではあったが……驚くべきことに透はズバリと核心に踏み込んできた。
「……」
「あ、その、ごめんなさい。迷惑をおかけしている上に余計なことまで……」
「いや、そんなことねーよ。あるよ」
「どっちですか」
「あ、ごめん。ある。やりたいこと、あるんだ」
透は真正面からぶつかってくる。
何を言っても揶揄うような素振りを見せることはない。
かつては疎んじていたはずの真っ直ぐな眼差しが、今は心地よかった。
「大久保さんは……絵がお上手ですよね。美大に進学したいとか、そういう方針ですか?」
「なんで知ってんの、透さんが!?」
いきなり直球が飛んできて、思わず変な声が出た。
透の言葉に誤りはなく、篤志は絵を描くのが好きだった。
学校の授業の中でも、美術だけは真面目に受けている。
大学進学を目指している他の生徒はほとんど無視している授業なのに、なぜか透に知られていた。
実に解せない。
「なんでと言われましても……ずっと同じクラスでしたから、それぐらいは見ていますよ」
「マジか」
「はい」
「俺、透さんが将来何をやりたいかとか、全然知らんけど」
「……それは秘密です」
「できれば今後の参考に」
「秘密です」
ずいぶんと頑なだった。
何なら今までで一番かもしれない。
かすかに色づいた頬に、直感的に答えを見た。
「ひょっとしてお嫁さん、とか」
口にした瞬間、透の顔が沸騰した。
どうやら図星だったらしい。
「そっか~風祭の嫁さんか〜」
「だ、誰にも言わないでくださいね」
動転してはいたが、否定はしていない。
かなりガチ目な奴だった。
「はいはい」
「も、もう!」
ぶーっと頬を膨らませた表情は、とても珍しかった。
篤志が知る『天城 透』は、そんな顔をしない。
「そ、それで大久保さんは美大を?」
「残念、美大じゃない」
子どもの頃から絵を描くのが好きだった。
『将来の夢は絵描きさんかな?』なんて周囲の大人たちは笑っていた。
でも、篤志が夢見ていたのは芸術の類ではなかった。
「そうなんですか? それじゃいったい……」
首を傾げる透の前に、一冊の本を掲げて見せた。
表紙を目にした途端に透の眉が跳ね上がる。
「大久保さん、私は真面目な話を……って、え?」
驚きに目を丸くした透に、篤志は口を閉ざしたまま頷いた。
ふたりを隔てているのは――誰でも一度は目にするであろう有名な漫画雑誌だった。
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