第8話 過去編 現場からは以上です。

 情報収集といっても、これと言って特別なことをするわけではない。

 特別な聞き込みスキルを持ち合わせているわけでもない一介の高校生に、小説やドラマで見かける名探偵の真似事はできない。

 幸いなことに『大久保 篤志おおくぼ あつし』という人間は特定の個人と深く関わることはない代わりに、特定の個人からひどく嫌われているということもない。

 あえて言うならば『天城 透あまぎ とおる』こそが篤志にとって最も厄介な存在ではあるが、今回に限って言えば彼女は味方だったから問題にはならない。

 学校という窮屈な世界においては誰もが面白い話題に飢えている。ゆえに校内の至る所にしれっと顔を出し、相槌を打つ裏で意図的に聞き耳を立てていれば、それなりに噂は耳に入ってくる。

 その結果として集まった情報は──何とも判断に苦しむものだった。


『天城 透』の彼氏である『風祭 優吾かざまつり ゆうご』に言い寄っている女子がいる。これは事実。

 その女子とは……女子バスケ部のキャプテン。そして風祭は男子バスケ部のエースであると同時にキャプテンでもある。

 男子と女子のバスケ部の主将同士となれば、ふたりが会話を交わすことは特段おかしな話ではない。

 むしろこのふたりが完全に没交渉だったら、バスケ部にとってはそちら方が大問題だろう。中学校のころから体育会系の部活に所属したことはなかった篤志でも、それくらいは容易に想像がついた。


「これは自分で見てみないと、わけわからんな」


 透とすでに約束してしまったし、事が人間関係の中でも特に厄介な色恋沙汰ともなれば、判断の基準となる情報には相応の精度が求められるわけで、念のために放課後の体育館に足を運んでみることにした。

 あまり気は乗らなかったが、乗り掛かった舟であった。

 授業以外で訪れることのない体育館は広い空間が確保されてはいるものの、すっかり空気が籠ってしまっていた。出入口は一応解放されているけれど、そこには部員だかファンだか判別しがたい人だかりが群れをなしていて、身動きを取ることすらままならない。

 どうせやるならいっそ徹底的に。

 盗み聞きもとい情報収集のために絶好のポジションを確保するべく授業をサボって体育館の二階に隠れていた篤志は、眼下の光景を目にして軽いため息をついた。

 青春。あまりにも青春。

 直視できないほどに眩しい世界が、そこにあった。

 キュキュっとシューズがフロアを踏み締める音や、部員たちの掛け声、見学者たちの声援が四方八方から響いている。

 コートでは誰もがガチな空気をまとってボールを追い、シュートにディフェンスに一喜一憂していた。

 季節的には夏が近づきつつある頃合いで、まだ暑いというわけではない。

 でも、熱い。体育館を支配する熱気の源は、彼らの情熱だった。

 万年帰宅部の篤志には理解し難い部分もあったが……大会に向けてひたむきに取り組んでいる彼らを羨ましく思う自分を認めざるを得ず、心の中で舌打ちひとつ。


――はぁ……風祭はどこだよ?


 苛立ちを覚えながらコートに視線を走らせると、ひときわ目立つ男子を発見した。見た目も動きも他の生徒たちとは大きく異なっている。その巨体が動くたびに歓声が湧くあたり、相当に注目を集めていることが窺えた。


『風祭 優吾』は……コートのど真ん中で輝いていた。


 校内屈指のイケメンと名高い男の顔に浮かぶは、鬼気迫る表情だった。

 おそらく名のある美容師が念入りに手入れしているであろう髪は激しい運動で荒れ気味で、しかし整った顔立ちにワイルドな雰囲気が加味されており、同性の目から見てもよく似合っている。

 篤志や透と同じく風祭も三年生。つまりこの夏の大会はラストチャンス。主将兼エースとしては結果を残したいのだろう。あまり噂は聞かないが事と次第によっては将来に影響するのかもしれない。具体的にはスポーツ推薦とか。

 ホイッスルが鳴ってコートから外れると、すかさず女子が接近しタオルを渡し言葉を交わしている。

 先ほどまで厳しい表情を浮かべていた風祭は、相好を崩してタオルを受け取り汗を拭いた。

 おそらくこの女子が噂になっている『浮気相手』なのだろうと推測された。

 さすがバスケ部キャプテンだけあって、女子なのに背が高かった。

 運動部員だけに身体にぜい肉らしきものは見受けられない。

 髪は運動の邪魔にならないよう短く切り揃えられている。

 遠目に見た限りでは可愛らしいような気もするが……彼女の顔に見覚えはなかった。

 名前は調査の段階で判明している。

 篤志と同じクラスになったことはないし、会話を交わしたこともない。

 明朗快活で公明正大と聞いているものの、人物像は噂の域を出ない。

 浮気をする時点でまともな人物とは言えない気がするのだが。


──う〜ん、どうなんだろうな、これは……


 運動部と縁のない篤志には、彼らの距離感が適切なのか判断できなかった。

 件の女子は風祭以外の男子とも普通に会話を交わしている。女子部員を叱咤する声(こちらは体育館に響くほど大きい)にも不自然な点はない。

 いの一番に風祭に接近した点は怪しいけれど、風祭が男子バスケ部のエース兼キャプテンである点を踏まえれば不自然とまでは言えない。


「あ」


 篤志が陣取っている二階からコートを挟んで反対側の出入り口に集まっている生徒──おそらく風祭のファン──の中に、見知った人影があった。

 高校生としてはかなり低めの身長と、ちんまりしたポニーテール。

 眼差しは凛々しいのに、全体的には可愛らしい印象が先立ってしまうその姿は、言わずと知れた『天城 透』だった。

 情報収集を篤志に任せてくれたとは言え、彼氏の応援は話が別ということだろう。

 気に食わない光景を目にする可能性が高いとわかっているはずなのに、なんでわざわざダメージをもらいに来るのか、恋する乙女の心理は何とも複雑怪奇であった。


──めっちゃ曇ってるな……


 案の定、透の表情は冴えない。

 周りの生徒たちの空気もかなり微妙で、互いに目配せを交わし合っている。

 控えめに言って、とても居心地が悪そうだった。

 透と風祭の関係は校内でも有名で、最近は密かな噂が広がりつつある。

 その前提を踏まえた上で、透の目の前で風祭が噂のお相手と仲良くしているシーンを目の当たりにする。


──居た堪れないってレベルじゃねーな。


 概ね誰にとってもロクでもない展開だった。

 風祭は気づいている様子はなく、離れたところから見る分には滑稽だった。

 見たところ風祭が無自覚無神経と言うよりは、単にバスケに意識を集中しているだけのようだが。


「あ」


 篤志に気が付いた透が軽く会釈してくる。

 反射的に篤志も頭を下げた。

 隣に突っ立っていた女子が怪訝な表情を浮かべている。

 篤志と透の距離はかなり遠いし、校内では犬猿の仲と知られる関係だ。

 無理もない。側から見る限り、今の彼女は挙動不審の一歩手前だった。

 なんとも言えない心持ちで後頭部を掻きむしる篤志の視線の先で、透はくるりと身を翻し、体育館を後にした。

『追うべきだろうか?』と考えて、やめた。あまりにも不自然に思えたからだ。

 残された体育館に視線を戻すと──先ほどまで透がいたあたりの空気は弛緩しつつ、ひとりひとりの顔にはあまり愉快でない笑みが浮かんでいた。

 わざわざ風祭の追っかけをしている連中なのだから、彼にまつわる噂にも敏感なのだろう。


──いくら風祭の様子を見たいからと言って、よくもあんなところにいられるよなぁ……


 居心地の悪さでは、透の方が上だったかもしれない。

 周りの生徒たちに嘲笑されることがわかっていても、それでも心配だったのだろうか。

 彼女がいないどころか恋のひとつもしたことがない篤志には、透の心情を慮ることはできなかった。

 さて、とりあえず実際に現場を見た限りでは――


「思ってたほどひどくはないけど、思ってた異常に厄介だな」


 校内の有名人である風祭と透。

『浮気』というセンセーショナルなワード。

 風祭を取り巻くファンの複雑な心理。

 様々な要素が絡まり合って、認知を過剰に歪めている。

 あくまで遠目に見た限りの印象だが、大きく的を外しているわけでもなさそうだった。


「さて……どうすればいいか。それが問題なわけだ」


 スパっと答えが出るなら苦労はしない。

 首を突っ込んだことに後悔はしていないが、ため息のひとつぐらいはつきたくなる状況ではあった。

 意気消沈している透の前ではため息なんて御法度だ。

 だから、人目をはばかるように体育館を脱出し、ひとり帰途についている今この時に、胸の奥にたまったモヤモヤを盛大に吐き出しておいた。

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