第6話 過去編 何やってるんだろうね、俺は
毎日が息苦しい。
それが日本のどこにでもいる高校生のひとりにすぎない『
学校の勉強に意味を感じない。
頑張っていい成績をとって、いい大学に行って、いい会社に入る。
そんな人生設計は親の世代ですら通用しないご時世だ。
囚人のタスクめいた日々の授業は、篤志の未来を何も保証してくれない。
交友関係に意味を感じない。
篤志は誰とでもそれなりに仲良くしている。表向きは。
実際にところ誰とも深く関わることはない。別に困ることはない。
空気を読んで場を取り繕うのは、篤志ひとりに限ったムーヴでもない。
何もかもが別に珍しい話でもない。
現代日本に生きる若者は、だいたい似たり寄ったりじゃないか。
押し付けられる勉強を、ただ機械的にこなすのみ。
違いといえば、テストの点数に一喜一憂するのが精々とったところ。
学校で学ばされるアレコレが、自分の人生においてどのような局面でどのように役立つのかサッパリわからないし、具体的に教えてくれる人なんていないのだから。
うわべだけの人間関係の維持にエネルギーを浪費する。
胸襟を開いて語り合うどころか、何かを口にする際には常に人の視線を意識せざるを得ない。
学校という狭い世界においてマイノリティ側の人間が毎日を少しでも快適な生活を送るためには、ただひたすらに息を潜めて無難にやり過ごすことが求められる。マジョリティ側の人間だって好き放題やっているわけではない。誰もが教室の中での自分のポジションを守るために汲々としている。
幼い頃は、もう少し違っていた気がする。
勉強や運動をこなすことはゲームに似た達成感があった。
友人たちとも距離を取らず、あけすけに付き合っていた。
いまは──違う。あまりにも違う。
いつからこんなことになったのか、わからない。
どうしてこんなことになったのか、わからない。
何ひとつわからないままに時は空しく過ぎゆく。
抗う方法がわからない。ただひたすらに、辛い。
だから、篤志にとって誰もいない屋上は安息の地だった。
ごろりと寝転んで漫画を読んだりスマホを見たり。
人目を気にする必要はなく、将来のことなんて考える必要もない。
ただひたすらに穏やかで無為な時間が、そこにあるから。
現実逃避に過ぎないと頭の片隅から途切れることのない警鐘が鳴り響いているけれども、他にできることは何もなかった。
――つまんねーんだよな。
幼いころは『夢』を能天気に語ることができていたのに。
『現実』を知った今の自分は『夢』を口にすることができなくなった。
時折配布される『進路希望調査』は死刑執行のサインに似ている。
かつて思い描いた夢は、あくまで夢物語に過ぎないと思い知らされるから。
望んでもいない未来を書くたびに、心のどこかが死んでいく気がするから。
毎日が、生き苦しかった。
★
『大久保 篤志』から見た『
透は、おおよそあらゆる授業に熱心に取り組んでいる。
決して完璧超人の類ではないようで、得手不得手はあるようだが、手を抜くことはない。
ただ宿題をこなすだけでなく予習復習もバッチリな模様。
授業中も積極的に挙手している。それこそ教師たちが困惑するほどに。
彼女が日々積み上げている努力の成果は、廊下に張り出される定期試験の順位に反映されており、『天城 透』の名前は常に上位を占めていた。
篤志には、彼女が日々の授業にどのような意義を見出しているのか、さっぱり理解できなかった。
透の交友関係──交友関係なのだろうか?──は多岐に及ぶ。
誰に対しても態度を変えることはなく、基本的に正面から向かい合う。
背筋を伸ばして、胸を張って。ついでに肩をいからせて。
そんな彼女を疎んじる者がいないではないものの、概ねポジティブに受け入れられている。
やや生真面目にすぎるところはあるにしても基本的に誠実な人柄ゆえに、生徒と問わず教師と問わず多くの人間が彼女を信頼している。
あれこれと首を突っ込みすぎるせいで余計な苦労を背負い込むこともある(万事ぐーたらな篤志にいちいち説教じみた雷を落とすのはその典型的な一例だろう)ようだが、それでも彼女は概ねいつも笑みを浮かべている。
だから、透の周りには常にたくさんの人が集まっている。
『天城 透』は極めて希少な少女だった。
一体どのような人生を歩んでくれば、あのような性質を得るに至るのか。
何ひとつ不自由なかったが故の能天気には見えない。
筆舌に尽くし難い日々を過ごしたような陰惨な雰囲気もない。
ごく普通の少女に見えて、そうではない。彼女はれっきとした優等生だ。
現代日本に生きる若者の中でも、特別にレアでスペシャルな気質を有している。
ゆえに彼女は主人公あるいはヒロインとでも呼ぶべき存在に違いなかった。
これから待ち受けている長い人生を疎んじることなんてない。
胸中に思い描いた夢が叶うか否か不安を覚えることもない。
幸福な未来が訪れることに疑いを抱くことなんてない。
そういう人間。選ばれた人間。
──わけわかんねーんだよ。
だから、篤志にとって透は天敵だった。
毎日のように降り注ぐ小言など、どうということはない。
彼女を見るたびに、自分の矮小さを見せつけられることこそが辛かった。
透の方が正しい人生を送っていると頭の片隅で理解してしまっているからこそ、殊更に彼女を煩わしく思うのだ。
★
「なのに、何やってんだろうね、俺は」
もはや見飽きた感のある自室のベッドに寝っ転がって、篤志は独りごちた。
夕食を終え、風呂に入り──勉強はしなかった。勉強はルーティーンに存在しない。
天井を見つめながら思い出すのは、教室で垣間見た透の姿だった。
『天城 透』という少女は、いわゆる『勝ち組』に分類されると思っていた。
何事にもアグレッシブで、それでいて粘り強く取り組む姿勢を忘れることはなく。
男女を問わず、生徒教師の別を問わずに多くの人間の信頼を集め。
己が信じる正義を胸に、あらゆるトラブルに敢然と立ち向かう。
彼女こそ生まれついての主人公、あるいはヒロイン。
違った。
放課後の教室で見た透は、涙を流していた。
見苦しく泣き喚くのではなく、こみ上げる悲しみを無言で耐えていた。
透と同じクラスになって二年と少々、そんな姿を見たことはただの一度もなかった。
小さな身体に目一杯のエネルギーを蓄えた巨人は、実のところ思春期の少女に過ぎなかった。当たり前の事実をまざまざと思い知らされた。
彼氏が他の女子と親しくしていることに嫉妬する。
彼氏に対する怒りを覚えるよりも、途方に暮れて悲しみに暮れる。
彼氏自身に問いただすこともできず、ひとり孤独に泣き濡れる。
『天城 透』はどこにでもいるか弱いJKだったのだ。
制服を着ていなければ○学生に見えるだとか、ともすれば◎学生でも通用するとか、そういう物理的な現実はさて置いて。
透が苦手だった。嫌っていると言ってもいいかもしれない。
でも──ひとりの男子として、あんな姿を見せられては黙ってもいられない。それとこれとは別の話だ。
おおよそ日々を無気力無関心にやり過ごしている篤志にだって、男としての矜持がある。
「とはいえ、どうしたもんか」
透と
彼氏彼女の関係。
第3の人物。浮気。三角関係。
――浮気って……浮気って、なぁ。
協力すると嘯いたものの、難題だった。
篤志にはそれなりの交友関係はある。
しかし、親しい相手はいない。
もちろん彼女なんていない。
生まれてこの方、恋愛なんて経験ない。
「なんつーか、リアリティがないんだわ」
色恋沙汰の次元が違うのだ。文字通りの意味で。
篤志にとっての恋愛にまつわる情報源は、主に漫画やアニメ、小説など。
すなわち基本的に二次元に限定されている。
身も蓋もないことを言えばフィクションの類であって、そこから得られる知見をどこまで現実に適用して良いのか判断できない。
にもかかわらず、透と約束してしまった。今さら無理とも言えない。
俄かに言を翻せば彼女を悲しませるし、篤志としても面目が立たない。
「はぁ……まじで、どうしたもんかね、これは」
安請け合いの代償は、ずいぶんと高くつきそうだった。
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