第4話 過去編『天城 透』
『
可愛らしい(と言うと本人の機嫌が斜めになる)ルックス。
ちょっと(にしては苛烈にすぎる)規律を重んじる性格。
お堅いけれどお人好し。良くも悪くも裏のない人物であり、生徒だけでなく教師からの信頼も厚い。
そして──彼女を語る上では幼馴染である彼氏の存在も大きい。
美男美女のカップルは実に絵になるし、家族ぐるみの付き合いでもあるらしい。
ふたりの関係については校内の誰もが認めるところだった。
透の彼氏とは、バスケ部に所属している『
背は高くルックスに優れ、運動神経抜群。人好きのする笑顔が魅力的と他の女子が熱心に語る。まぁ、同性の
風祭はバスケ部であるから、主な活動場所は体育館。
篤志と透が出会ってしまったこの場所すなわち教室から直接目にすることはできないはずだ……と決めつけるのは早計だった。透はきっと彼氏を見ていたのだろうと考える方が妥当だ。彼女の性格を鑑みれば、わざわざ距離を取って見つめる対象が他にいない。やや強引ながらも消去法である。
問題は。
問題は、だ。
ここ最近学校のあちこちで囁かれる噂だった。
『風祭 優吾』と親しくしている女子がいると言う噂。
これだけ聞けば別におかしな話ではない。風祭には可愛い彼女がいるのだ。透という歴とした彼女が。透は可愛い。それは間違いない。篤志としては『口を開かなければ』という注釈が欲しいところではあるが。
繰り返しになるが、ふたりの交際は周知の事実である。どちらも有名人であるからして、とても人目を引く。これも間違いない。
では、何が問題かと言うならば──現在噂になっている『『風祭 優吾』が親しくしている女子』が透ではないと言う点が問題なのだ。
つまり、そういうことだった。
本当に大問題だった。
★
「あ〜その、なんだ……」
篤志の口から出た言葉は、何ひとつ要領を得ないものだった。
状況は概ね察した。篤志が悪いわけではない。透も悪くない。
悪いのは透の彼氏である風祭だ。あと、たぶん間が悪かった。
でも、それをズバリと指摘してしまうのは気が引けた。
男の矜持がどうとか、そんな高尚な問題ではない。
『お前の彼氏、浮気してるぞ』なんて、普通はそうそう口にできるものではない。そんなことができるのは、よほどの勇者か恥知らずのどちらかだろう。
「とりあえず、これ」
教室の壁に背を預けて床に腰を下ろした。
隣に座っている透に手渡したのは、季節外れのコーンポタージュの缶。
購買の自販機で購入したもので、まだ暖かい。
「
「あったかいもの、飲んで」
目の端に雫を浮かべたままの透に缶を押し付ける。
そして篤志もまた手に持ったコーンポタージュの缶を開けて口に運ぶ。
暖かい……と言うか熱くてドロリとした液体が口中を通って喉に流れ込む。微かな甘味と塩味がいい。コンポタはうまい。うまいが、夏に飲むものではないなとも思った。
篤志の顔と手元の缶の間で視線を泳がせていた透は、やがて根負けしたように倣って缶を開け、小さな口をつけた。
「あったかい」
「心が疲れてる時は、暖かいものが効くから」
甘いものも効くと思っている。
最初は缶コーヒーでいいかと思ったのだが、透はコーヒーを好まないという話を聞いた覚えがあったから止めた。炭酸飲料やらジュースの類を飲む状況かと問われれば首を捻らざるを得ない。
いっそお汁粉でもあればよかったのだが、自販機のラインナップになかった。『おのれ自販機業者め』なんて恨んでも仕方ない。今は夏なのだ。むしろコーンポタージュがある方がおかしい。
ちびちびとコンポタを飲んでいた透は、ポツリとひと言。
「大久保さん、知ってたんですね……」
「……まぁ、その、噂ぐらいは」
察したことを察された。
誤魔化してもどうにもならないので、大人しくうなずく。
篤志と透は仲が良いわけではない。
オブラートに包まず表現するならば、犬猿の仲といっても差し支えない。
そんな篤志が有無を言わせず暖かいコンポタを奢る状況と『心が疲れているとき』という表現から、透は正解に辿り着いてしまった。
──うまくいかねぇな。
気を使ったつもりだったのに、悟られていては意味がない。
悲しみに暮れる少女に気遣いできない自分の至らなさに呆れて、心の中でため息をつく。表には出さない。透がどのように解釈するか予想がつかないから。
「話は……その、一応聞いていたのですが……」
途切れ途切れに語る透の言葉は、基本的に丁寧語だった。
ことさらに他人行儀なわけではなく、透はデフォルトで丁寧語を用いる。
本人曰く『単なる慣れ』だそうだが、余所余所しいと裏で詰る者もいる。
何をやってもケチをつける奴はいるものだから気にしても仕方がないと思うのだが、これまでにも時折しょんぼりしている彼女を目にすることはあった。
透が気落ちする姿を見せるのは決まって人気のない場所であり、人と関わることを内心厭いがちな篤志が好む場所でもあった。今のところはバレていない……はずだ。
それはともかく、透もやはり噂を耳にしていたらしい。
誰とでも話せる反面、誰とも深く関わらない篤志ですら知っているのだ。
誰それ構わず面倒を見る、あるいは突っかかっていく透の耳に入らない方がおかしい。意図的に彼女に聞こえるように吹聴した者もいるかもしれない。
それでも、実際に自分の目で確かめるまでは信じたくなかったのだろうことは容易に推測できた。
篤志は直接グラウンドを見たわけではないが、透の様子から察するに割と決定的な場面だったのだろう。
恋愛経験のない篤志が思いつく『決定的な場面』のソースは少女漫画だけ。
まぁ、それほど的を外してはいないはずだ。
「滑稽ですね、私」
「そんなことは……ないと思うけどな」
どうなのだろう?
篤志は自問したが答えは出なかった。
風祭が浮気しているという噂は、じわじわと校内に広まっている。
……にも関わらず彼女ヅラをしていた自分に、透は自嘲の笑みを向けている。
でも、現段階における風祭の正式な彼女は透だ。
おかしいのは風祭と浮気相手の方ではないかと言いたいところだが……世の中はそれほどロジカルではない。
透は規律正しい正義の人である。
それゆえに男女を問わず生徒や先生の別を問わず多くの人の支持を得ている反面、少なくない人の恨みを買っている。
透に反感を持つ連中からすれば、彼女自身が言うように『滑稽』なんて感想を持つ者はいるかもしれない。
篤志は違う。苦手なだけで恨みを抱いてはいない。
何なら自分より透の方が人間としては正しいと認めてすらいる。
「いいえ、滑稽です。だって……」
好きなんです。
絞り出すような声だった。
『誰を?』と問い返すほど無粋ではなかった。
浮気されようが、噂されようが、『天城 透』は『風祭 優吾』に恋している。どうしようもないほどに。
だから滑稽だと自らを嘲笑う。
そんな透を見ていると妙な心持ちになる。『らしくない』と思った。
篤志にとっての『天城 透』とは般若のごとき形相で肩を怒らせて正論の雷をバリバリ落としてくる小さな巨人なのだ。放課後の教室で身体を竦めて俯いて、涙に濡れた声で未練がましく己を嗤う。そんな姿は『天城 透』には似合わない。
――調子狂うなぁ。
しょんぼり項垂れる天敵の姿は、何度見ても慣れない。
適切な表現が思いつかなかったが……納得がいかない。
「仲直りしたいのか?」
「はい」
即答だった。
意外な気がした。
透らしいとも思った。
率直であり、一途であった。
『天城 透』は恐ろしい怪物などではなく、歴とした恋する乙女なのだと知った。
篤志と透の身長差は約40センチのはずだが、並んで座ると透は数値以上に小さく見えた。俯いた頭の後ろで、ポニーテールが所在なさげに跳ねている。そのか弱さ、痛々しさ。見ているだけで胸が苦しくなってくる。
「そっか……」
辛うじて口から出せたのは、それだけだった。
隣の少女が鼻を啜りながらコーンポタージュを啜る音が、やけに耳についた。
篤志も缶を傾けたが……中の液体は冷めきっていて、味がしなかった。
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